
登呂遺跡巡り その1
の続きです。
2階は天井が低く、中腰にならないと歩けません。古代の人たちはこんな所に住んでいたのでしょうか。
2階の展示品で心惹かれたのはこれ、上の写真の琴です。
視力が弱いので写真からも何弦の琴なのかはっきり認識できないし、記憶もあやふやなのですが、多分七弦だったのでは。「源氏物語」の末摘花が七弦の琴を愛用していましたよね。「源氏物語」の時代は七弦の琴はすでに過去のものになっていた→末摘花は古風な姫という設定だったような。
そんなわけで、末摘花の気持ちになって琴に触ってみました。
そうそう、こちら登呂遺跡からは、2000年前の琴が出土しているのだそうです。出土した琴は日本最古の琴と認定されているそうで。2000年前にも琴が愛用されていたなんて、びっくりです。その頃の人はどのような音楽を奏でていたのでしょう。興味津々。
時間もあまりなかったので、琴を見たあとは下に降りて皆さんと一緒に火起こし体験へ。
2000年前は摩擦で火を起こしていたので、体験しても火を起こせるのは10人に1人ぐらいなのだそうです。そこで私たちは、江戸時代後期の火起こしを体験することに。竈のような所で、棒のようなものを上下させて火を起こします。
こちらも、火をつけられる人は3人に1人ぐらいで。私もやってみましたが、力加減がうまく行かなかったようで、結局、火を起こせませんでした。でも、体験できたのは良かったです。
ちなみに、火打ち石が使われるようになったのは飛鳥・奈良時代ぐらいからなのだそうです。そして戦国時代ぐらいにマッチのようなものが使われ始めたとか。
ということは、「源氏物語」の時代は火打ち石だったのね。ひとつ覚えました。
火起こし体験のあとはミュージアムショップへ。写真添付の関係でどのような物を買ったかは次回に書きます。時間は前後しますが、遺跡見学の方を先に。
外に出ると田んぼが広がっていてびっくり。こちらでは古代の米、赤米を作っているとか。私も2008年に京都で創作平安王朝料理を頂いたときに、赤米の湯漬けを食べたことがあります。とてもおいしかったです。秋の日帰り京都旅行のこちらのページに少し書いてあります。
実は午前中から見学するコースなら赤米を食べられるのですが、今回は午後からだったので残念でした。
田んぼを見ながら歩いていくと、古代の建物に行き着きました。触ってみると私の身長ぐらい(150センチ強)の柱の上に建物が建っています。これが高床式の神殿とのこと。まるで、卑弥呼が占いをやっている神殿のような気がしました。
そうそう、だんなさんは古代史が大好きで、邪馬台国や卑弥呼に関する本をたくさん持っていました。調べたことを書き付けたりもしていたのですが。そんなだんな三のメモの中に、邪馬台国の候補地の一つとして静岡が上がっていたのを思い出しました。多分、こちら登呂遺跡のことだと思うのですが。でも、だんなさんも言っていましたが、その可能性は限りなく低いような気がします。
こうして見学していたら突然、大きな雷が鳴ってびっくり。
じつはこの日の天気予報、午後からにわか雨と雷雨と言っていたのです。で、雨が降ってきたら大変と、博物館に戻ることに。
次回が最終回ですが、ミュージアムショップで買った物と、博物館の方からうかがった興味深いお話しのことを書きます。
☆第3回へ続く
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2階は天井が低く、中腰にならないと歩けません。古代の人たちはこんな所に住んでいたのでしょうか。
2階の展示品で心惹かれたのはこれ、上の写真の琴です。
視力が弱いので写真からも何弦の琴なのかはっきり認識できないし、記憶もあやふやなのですが、多分七弦だったのでは。「源氏物語」の末摘花が七弦の琴を愛用していましたよね。「源氏物語」の時代は七弦の琴はすでに過去のものになっていた→末摘花は古風な姫という設定だったような。
そんなわけで、末摘花の気持ちになって琴に触ってみました。
そうそう、こちら登呂遺跡からは、2000年前の琴が出土しているのだそうです。出土した琴は日本最古の琴と認定されているそうで。2000年前にも琴が愛用されていたなんて、びっくりです。その頃の人はどのような音楽を奏でていたのでしょう。興味津々。
時間もあまりなかったので、琴を見たあとは下に降りて皆さんと一緒に火起こし体験へ。
2000年前は摩擦で火を起こしていたので、体験しても火を起こせるのは10人に1人ぐらいなのだそうです。そこで私たちは、江戸時代後期の火起こしを体験することに。竈のような所で、棒のようなものを上下させて火を起こします。
こちらも、火をつけられる人は3人に1人ぐらいで。私もやってみましたが、力加減がうまく行かなかったようで、結局、火を起こせませんでした。でも、体験できたのは良かったです。
ちなみに、火打ち石が使われるようになったのは飛鳥・奈良時代ぐらいからなのだそうです。そして戦国時代ぐらいにマッチのようなものが使われ始めたとか。
ということは、「源氏物語」の時代は火打ち石だったのね。ひとつ覚えました。
火起こし体験のあとはミュージアムショップへ。写真添付の関係でどのような物を買ったかは次回に書きます。時間は前後しますが、遺跡見学の方を先に。
外に出ると田んぼが広がっていてびっくり。こちらでは古代の米、赤米を作っているとか。私も2008年に京都で創作平安王朝料理を頂いたときに、赤米の湯漬けを食べたことがあります。とてもおいしかったです。秋の日帰り京都旅行のこちらのページに少し書いてあります。
実は午前中から見学するコースなら赤米を食べられるのですが、今回は午後からだったので残念でした。
田んぼを見ながら歩いていくと、古代の建物に行き着きました。触ってみると私の身長ぐらい(150センチ強)の柱の上に建物が建っています。これが高床式の神殿とのこと。まるで、卑弥呼が占いをやっている神殿のような気がしました。
そうそう、だんなさんは古代史が大好きで、邪馬台国や卑弥呼に関する本をたくさん持っていました。調べたことを書き付けたりもしていたのですが。そんなだんな三のメモの中に、邪馬台国の候補地の一つとして静岡が上がっていたのを思い出しました。多分、こちら登呂遺跡のことだと思うのですが。でも、だんなさんも言っていましたが、その可能性は限りなく低いような気がします。
こうして見学していたら突然、大きな雷が鳴ってびっくり。
じつはこの日の天気予報、午後からにわか雨と雷雨と言っていたのです。で、雨が降ってきたら大変と、博物館に戻ることに。
次回が最終回ですが、ミュージアムショップで買った物と、博物館の方からうかがった興味深いお話しのことを書きます。
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