平安夢柔話

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登呂遺跡巡り その1

2018-11-11 11:15:17 | 静岡大好き
 10月20日、静岡県視覚障害者情報支援センターのイベント、登呂遺跡見学に参加してきました。
 全体の写真や建物の写真は残念ながら撮れなかったのですが、部分的な写真を2枚と、ミュージアムショップで買ったお土産の写真を1枚、撮ることが出来ました。記事の頭にしか写真を載せられないので、その関係で全3回になります。ご了承下さい。

 さて、当日は午後1時頃のバスでJR静岡駅を出発。約10分ほどで登呂遺跡入り口に到着しました。
 参加者は支援センターの職員さんやボランティアを含めて30人近くの大所帯。バス停から坂道を上がって博物館に到着。
 博物館のベンチに腰を下ろすと、古代の服が配られました。上からかぶるタイプの服で、ベストみたいな感じです。色も地味で、後世の十二単に比べると天と地の差。
 でも考えてみたら、これは庶民の服だと思うので仕方がありませんよね。
 そんなわけで私も、着ていたTシャツの上から古代の服を着て、古代人になったつもりで体験コーナーに出発。

 体験コーナーは、バーチャルで田植えや稲刈りが出来るコーナーがありました。私は田植えを体験。
 稲の模型を穴にはめていって田植えをしている気分に。上の写真は模型の稲を植えた?ところです。稲の模型がかわいらしくて胸がキュン。

 そのあと、古代のげたをはいて、ぬかるみのようになっている所を歩いてみました。
 古代のげたはものすごく幅が広い板に、足をくぐらせる縄がついているシンプルな物。でも、こんなに幅が広い必要あるのかしら?と思ってそのことを博物館の方に質問したら、
「このくらい幅が広くないと、ぬかるみを歩いたときに沈んでしまうんですよ」
とのこと。なるほど。
 そんなわけで早速体験。幅が広いので、がに股で歩かないと反対側の足にはいたげたを踏んでしまいます。それにぬかるみ(実際はクッションが入ったゴムの上だったのですが)はとても歩きにくくて、とにかく力がいります。私は古代では生きていけないかも。

 あ、登呂遺跡のことをちょっと書いておきますね。 

 登呂遺跡は、静岡市南部にある弥生時代後期の遺跡です。

*以下、静岡市ホームページこちらのページより引用 ーー

昭和18年の軍需工場建設の際、多量の木製品や土器片が出土したため、同年第一次の発掘調査が行なわれました。戦後間もない昭和22年には考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての学際的発掘調査が行なわれました。発掘調査により東西に長い自然堤防上に、12軒の家、2棟の倉庫、井戸、森林の跡や、南側には水田の広がりが見つかりました。遺跡からは、壺・甕などの土器、石器の狩猟漁撈具、木製の農耕具・機織具・日常生活用具、青銅製装身具など、多種多様な生活に関する道具が出土しています。
 現在、遺跡内には、復元住居や復元倉庫、赤米など米づくりを行っている復元水田が広がっています。遺跡に隣接して「静岡市立登呂博物館」があり、1階は参加体験型展示、2階は登呂遺跡の考古資料の展示がなされています。
 平成11年度より5カ年計画で再度発掘調査が始まり、毎年夏~秋に調査が実施されました。この再発掘調査の成果をもとに平成18年度から登呂遺跡の再整備工事を行い、平成24年度リニューアル・オープンしました。
              ーー引用終了。

 私は小学校の時に社会科見学で初めて、こちらを訪れました。竪穴式住居しか記憶に残っていないのですが。確か、体験コーナーなどは、その頃はなかったのでは。
 そして20年ほど前、だんなさんと一緒に来たことが。でもこの時も、ミュージアムショップしか行っていないと思います。その時、土器と古代の住居の模型を買いました。でもどちらも引っ越しで無くなってしまい、なので、ショップでのお買い物も楽しみ。((o(^-^)o))

 さて、そんなわけで体験コーナーをあとにし、2階に上がってみることにしました。2階には何があるのでしょうか。楽しみです。

第2回へ続く

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