
『失われた時のカフェで』 パトリック・モディアノ ☆☆☆☆
モディアノは私の中ですっかりタブッキやガイイやノーテボームと並ぶ(つまりもっとも芸術的に高度と私が考えるランクの)存在になったが、そのモディアノ体験の三冊目『失われた時のカフェで』を読了。本書はルキという女性の肖像を描く試みで、五つの章で構成されている。章によって語り手が変わり、学生、探偵、ルキ自身、ルキの恋人ロラン、という四人の視点で物語が進む。ロランのみ二章を担当している。
複数の語り手がひとりの女のことを語る、という手法はたとえば有吉佐和子の『悪女について』のようなエンタメ作品でも使われるが、27の断章で構成された『悪女について』に比べ、五章で構成された本書は当然ながらひとつひとつの章がより長く、充実しており、それぞれが独立した短篇の趣きを持っている。おまけに語り手によってトーンが変わるので、章によって異なる雰囲気を読者は愉しむことができる。
とはいえ、時間と空間を自在にたわめるいつもながらのモディアノの魅力はどの章でもあますところなく発揮されているし、本書全体を包み込むメランコリックな陰り、瞑想性、そしてロマンの香りも、いつもの通り馥郁たる香りを放っている。
五つの章の内容を簡潔に紹介すると、最初はボヘミアンたちが集うパリのカフェのスケッチ(その中にルキがいる)、二つ目は探偵によるルキの探索(依頼人はルキに捨てられた夫)、三つ目はルキ自身の語りによる彷徨の記録、四つ目と五つ目はルキの恋人が回想する痛ましい青春小説、といったところだろうか。
特に私が好きなのは一章と二章で、一章ではボヘミアン的雰囲気が濃厚に立ち込めるカフェにいつもルキという謎めいた女性がいて、語り手の若い学生は彼女に淡い憧れを抱いている。ヒロインのミステリアスな紹介編という趣きだが、個性豊かな脇役が多数登場するのが楽しく、何よりパリという街のロマンティックな空気感が横溢している。二章では、一章に登場した謎の男が語り手となる。彼は探偵で、ある男から家出した妻を探して欲しいと依頼され、その女性ルキの居場所を探索する。ルキは家出した人妻だったのだ。探偵と孤独な夫の対話場面の静謐さなど、どことなくポール・オースター風で、これもミステリアスなムードに酔える。
訳者あとがきに、それぞれの章が独立した短篇の趣きを持つ本書はモディアノのベスト盤のようだ、と書かれているが、私は全体の出来は『さびしい宝石』の方が良いと思う。個々の場面は素晴らしく魅力的なのだが一つの長篇としてみた時のまとまりが今ひとつ弱いように思えること、ヒロインであるルキの行動の裏付けというか動機が、ちょっとぼんやりしているように思えたことが理由である。ただし同じくあとがきに書かれていた、モディアノの小説には具体的な地名が溢れているのに現実感が薄いという不思議、についてはまったく同感で、これこそがモディアノの魅力の秘密ではないかと思う。つまりディテールが具体的で、精緻であるにもかかわらず、現実から少し浮き上がったような浮遊感を感じさせる。現実が夢幻化され、幻覚化されているのだ。
ところでアマゾンのカスタマーレビューを読むと、翻訳に文句を言っている人が数人いる。たしかに独特の癖がある文体で、これは作家でもある訳者が正確さより自分の印象を再現することを重視して訳したと言っているので、もしかすると訳者自身の文体なのかも知れない。が、確かに英語やフランス語がそのままカタカナ書きになっているのはちょっと目についたものの、読む気をなくすほど悪いとは思わなかった。モディアノの良さは、本書でも十分に味わえるはずである。
モディアノは私の中ですっかりタブッキやガイイやノーテボームと並ぶ(つまりもっとも芸術的に高度と私が考えるランクの)存在になったが、そのモディアノ体験の三冊目『失われた時のカフェで』を読了。本書はルキという女性の肖像を描く試みで、五つの章で構成されている。章によって語り手が変わり、学生、探偵、ルキ自身、ルキの恋人ロラン、という四人の視点で物語が進む。ロランのみ二章を担当している。
複数の語り手がひとりの女のことを語る、という手法はたとえば有吉佐和子の『悪女について』のようなエンタメ作品でも使われるが、27の断章で構成された『悪女について』に比べ、五章で構成された本書は当然ながらひとつひとつの章がより長く、充実しており、それぞれが独立した短篇の趣きを持っている。おまけに語り手によってトーンが変わるので、章によって異なる雰囲気を読者は愉しむことができる。
とはいえ、時間と空間を自在にたわめるいつもながらのモディアノの魅力はどの章でもあますところなく発揮されているし、本書全体を包み込むメランコリックな陰り、瞑想性、そしてロマンの香りも、いつもの通り馥郁たる香りを放っている。
五つの章の内容を簡潔に紹介すると、最初はボヘミアンたちが集うパリのカフェのスケッチ(その中にルキがいる)、二つ目は探偵によるルキの探索(依頼人はルキに捨てられた夫)、三つ目はルキ自身の語りによる彷徨の記録、四つ目と五つ目はルキの恋人が回想する痛ましい青春小説、といったところだろうか。
特に私が好きなのは一章と二章で、一章ではボヘミアン的雰囲気が濃厚に立ち込めるカフェにいつもルキという謎めいた女性がいて、語り手の若い学生は彼女に淡い憧れを抱いている。ヒロインのミステリアスな紹介編という趣きだが、個性豊かな脇役が多数登場するのが楽しく、何よりパリという街のロマンティックな空気感が横溢している。二章では、一章に登場した謎の男が語り手となる。彼は探偵で、ある男から家出した妻を探して欲しいと依頼され、その女性ルキの居場所を探索する。ルキは家出した人妻だったのだ。探偵と孤独な夫の対話場面の静謐さなど、どことなくポール・オースター風で、これもミステリアスなムードに酔える。
訳者あとがきに、それぞれの章が独立した短篇の趣きを持つ本書はモディアノのベスト盤のようだ、と書かれているが、私は全体の出来は『さびしい宝石』の方が良いと思う。個々の場面は素晴らしく魅力的なのだが一つの長篇としてみた時のまとまりが今ひとつ弱いように思えること、ヒロインであるルキの行動の裏付けというか動機が、ちょっとぼんやりしているように思えたことが理由である。ただし同じくあとがきに書かれていた、モディアノの小説には具体的な地名が溢れているのに現実感が薄いという不思議、についてはまったく同感で、これこそがモディアノの魅力の秘密ではないかと思う。つまりディテールが具体的で、精緻であるにもかかわらず、現実から少し浮き上がったような浮遊感を感じさせる。現実が夢幻化され、幻覚化されているのだ。
ところでアマゾンのカスタマーレビューを読むと、翻訳に文句を言っている人が数人いる。たしかに独特の癖がある文体で、これは作家でもある訳者が正確さより自分の印象を再現することを重視して訳したと言っているので、もしかすると訳者自身の文体なのかも知れない。が、確かに英語やフランス語がそのままカタカナ書きになっているのはちょっと目についたものの、読む気をなくすほど悪いとは思わなかった。モディアノの良さは、本書でも十分に味わえるはずである。
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