アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

それでもボクはやってない

2007-10-09 20:04:17 | 映画
『それでもボクはやってない』 周防正行監督   ☆☆☆☆☆

 前々から観たかった周防監督の新作を、ようやくDVDを購入して観ることができた。傑作だという評判で期待を膨らませて観たが、期待は裏切られなかった。これを傑作といわずして何と言うか、というぐらいの傑作である。いや素晴らしい。

 痴漢冤罪を題材にした問題提起型の社会派映画である。作風は抑制されており真摯、変化球で逃げないど真ん中直球勝負、そして一切の無駄がない。映画が始まった途端電車が映る。まずは本物の痴漢の逮捕シーン、間髪入れずに主人公・徹平が痴漢容疑で連行される。事件前の日常描写など一切なし。そのまま取り調べ、拘留、起訴、裁判、判決とわき目もふらず緻密なディテールが積み重ねられていく。2時間23分の長尺にもかかわらず、ダレるシーンは一箇所もない。ものすごくテンションが高い。が、本田博太郎演じる妙に世話焼きの拘置所の中の男などちょっとユーモラスなシーンもあり、どうしても重く硬くなってしまうムードがうまく和らげられている。

 直接の題材は痴漢冤罪だが、周防監督はそこから日本の裁判、司法の問題、さらに敷衍して人が人を裁くことの難しさと限界にまで迫っていく。「疑わしきは有罪」をベースに取り調べる警察、検察、そして裁判におけるさまざまな問題が指弾されていることは言うまでもないが、それだけじゃない。徹平を捕まえた駅員の無責任な態度、証人となったサラリーマンのいい加減な証言などで分かるように、司法関係者だけでなくあらゆる人間が徹平の有罪ありきで動いているのである。そしてそれが悪意によるものではない、というのが一番恐ろしいところだ。彼らにそうさせるのは偏見と思い込み、そして多分他人の運命についての無関心である。

 警察での取調べ、副検事の態度などショッキングなシーンの連続だが、何よりショッキングなのは主人公徹平を呑み込むアリ地獄のような不条理である。まさにカフカ的状況。それが戦時やファシスト政権下でなく、現代の日本で起きてしまうという恐怖。それも日常のすぐ横で、あなたや私にいつ降りかかってきてもおかしくないほど近くで。徹平はやってない、けれども「やった」ものとして扱われる。むしろ本当にやった人間の方がそれを認めてすぐに釈放される。徹平はやっていないが故に、実際には「やった」人間よりはるかに重い懲罰を課せられるのである。

 俳優達の演技も素晴らしい。特に主演の加瀬亮がうまい。不条理な状況におかれてしまった普通人の動揺、怯え、怒りを丁寧に緻密に演じきっている。特に取調べや裁判の過程で、怒りと衝撃で放心したように見える表情は実にリアル。刑事が証人席に座るシーンで刑事を凝視するところ(平然と嘘をつく刑事に衝撃を受けている)では本当にキレて爆発しないか観ていてハラハラしたぐらいだ。
 裁判官は途中で交代する(この交代劇も問題提起の一つ)が、最初の「疑わしきは罰せず」を旨とする良心的な裁判官を演じる正名僕蔵、そして二番目の裁判官を演じる小日向文世もすごく良かった。正名僕蔵みたいな裁判官いかにも本当にいそうだし、小日向文世は柔和そうな中に時々見せる冷たい表情が実にいい具合だった。この小日向文世は多分この映画におけるキーパーソンで、彼が戯画的なヒールになってしまっては映画が台無しになってしまう、ギリギリのバランスでリアルな裁判官を演じ問題提起しなければならない。コメディの役者さんという印象が強かったが、いい演技をする人だと再認識した。
 
 この映画はおおむね好評だが、批判もあるようだ。警察や裁判官を悪者のように印象操作している、警察・検察・裁判官に対してフェアではない、という批判である。しかし私はこの映画における司法関係者の描き方は比較的慎重で、あからさまにヒールとして描かれているようには感じなかった。裁判官が多くの案件を抱えている現状、その難しさなども役所広司の弁護士が説明するし、一番の憎まれ役である取調べをした恫喝刑事でさえ「シロかも知れないと思ったら落とせない」と捜査する側の事情をうかがわせる。一方で、徹平を支援する冤罪被害者である光石研は、「支援者で傍聴席を埋めなきゃ」などと運動を展開するが、彼の行動は善意であるにもかかわらずどこか胡散臭さを感じさせる。これは私がひねくれているからではなく、そう感じるようにちゃんと演出されている。また裁判所の前で「裁判所は悪の巣窟です」と演説する人物が一瞬映るが、その主張も「アクのソークツ」などという極端な物言いのせいで逆に相対化されている。これによって、「裁判所なんてひでえところだな」と感情的になりそうになる自分の中の何かにブレーキがかかるようになっている。

 それからまた、周防監督は周到な調査を行ったようで、取調べや裁判の模様はかなりリアルに作りこんであるようだ。私は幸いにして警察の取り調べを受けたことはないが、本当にあんな感じだと言う経験者の意見をいくつかネットで読んだし、逆に「あんなことは実際はない」というような指摘は今のところ知らない。従ってプロパガンダのための事実の歪曲やでっち上げはなされていないと思われる。
 警察や裁判所関係者には言いたいこともあるだろうし、そもそも痴漢がいるからいけないんだとか、証拠主義にしたら痴漢を罰するのが難しくなるとか色んな見解があるわけだが、この映画で描かれたようなことが実際に行われているとしたらそれもまた問題であることは間違いない。本当の痴漢を罰するために必要なメカニズムなんだから、あなたの人生を犠牲にして下さいと徹平に言えるわけがないのである。

 この映画はこのように司法の問題をあぶりだしつつもそれらの解決が容易ではないことも同時に描き出しており、映画の最後では単なる告発を越えて「人が人を裁くこと」の根源的な矛盾と不条理性にまで迫っていると感じさせる。見事です。


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2 コメント

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僕も観ました (チョンガー公爵)
2007-10-10 21:55:19
いろいろ考えさせられる映画でしたよね。権力の恐ろしさを考えざるを得ませんでした。
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裁判官 (ego_dance)
2007-10-12 06:36:11
他人の人生をこんなに大きく左右する職業って恐いですね。
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