『コールガール』 アラン・J・パクラ監督 ☆☆☆★
1971年のアメリカ映画。主演は、ドナルド・サザーランドとジェーン・フォンダ。ちなみに邦題だとジェーン・フォンダ演じるコールガールが主役みたいだが、原題は「Klute」で、ドナルド・サザーランドの役名である。ともあれ、主人公は探偵と娼婦、与えられたミッションは失踪者の捜索、舞台は70年代のマンハッタンといかにもノワールな道具立てだが、この映画の長所はアクションやスリルやミステリーというよりも、画面からたえず発散され続ける独特のクールネス、ぶ厚いフィルターを一枚かけたような陰り、そしてメランコリーにある。これは雰囲気で魅せる映画であって、実のところそれがほとんどすべてだと思う。
なので、はっきり言ってストーリーは弱い。ペンシルバニアの研究所に勤めていたマジメな既婚の男が失踪し、その調査を依頼されたクルート(ドナルド・サザーランド)がニューヨークにやってくる。失踪した男性が執心していたというコールガール、ブリー(ジェーン・フォンダ)に話を聞くためだが、彼女は正体不明の変質者につけ狙われていて、カウンセリングに通いながら不安と戦う日々を送っていた。にべもなく拒絶されたクルートは彼女の電話をテープにとって取引材料に使い、手がかりとなる変質者の情報を聞き出す。そこから彼はコールガールの元締め、ヒモ、麻薬中毒の女などを辿っていく。最初は反発していたブリーも、いつしか調査に協力する中でクルートに親密な感情を抱くようになるが、その彼女には変質者の魔の手が迫っていた…。
一応、ブリーにつきまとう怪しい男がいてそれがノワール的なスリルをもたらすが、そのスリルをぐいぐい盛り上げていく感じはまったくない。とても淡々としている。ミステリ的にもあっと驚く趣向は特にないし、犯人もなんとなく途中で分かってしまう。クルートの調査も事件の謎を解くためというより、大都会の底辺にうごめく人々の陰鬱なスケッチを見せるための仕掛け、という印象が強い。ブリー側のエピソードも同じで、変質者に狙われる話よりも、むしろ彼女がなんとか女優の仕事にありつこうとオーディションを重ねるがうまくいかず、生活のためと割り切ってコールガールとして働き、その中で色んな変態的な男たちを相手にするという、大都会の寒々としたロー・ライフ描写が中心になっている。ひたすらドライで、クールなタッチによって。
たとえば、ブリーの上得意である70歳を過ぎた老人。マジメにクリーニング店の商売をして貯めた金で時々ブリーを買うその老人は、ブリーを抱くわけでもなく、触れるわけでもない。ただ彼女に有名女優のふりをさせ、目の前でストリップをさせるのである。クルートがヘンタイ呼ばわりすると、ブリーは言い返す。あの人は無害な、かわいそうな老人よ。
また、そんなブリーもカウンセラーのもとへ定期的に通っている。彼女はカウンセラー相手に告白する、コールガールとして男の客を相手にしている時、私はその人にとって世界で最高の女になれるのよ。自分が支配者になって、しり込みし、怯えている男を自由自在に操ることができる…。
うーん、寒い。荒涼とした大都会のメランコリー。そんなエピソードの数々が、淡々と積み上げられていく。失踪者の中年オヤジを捜索するというプロットは、そのついでみたいにしてなんとなく進んでいく。夜の場面が多いため、映像の陰影は深い。ひたすらスタイリッシュでけだるいビジュアルが連続する。おそらくこの映画には、これ以上ないほどにノワールなニューヨークが切り取られていると言っていいと思う。
主演二人のキャラも、複雑でニュアンスに富んだ存在感があってとてもいい。ドナルド・サザーランドはクールで、動きのはしばしまで抑制されていて、ビジネスライクで、それでいて孤独と憂愁の影をまとっている。娼婦のくせにあまり肉感的ではない小柄なジェーン・フォンダも、それゆえに乾ききった大都会の片隅に棲息する妖精のようで、小悪魔的な魅力を放つ。彼女自身が持つどこかインテリっぽい雰囲気も、ブリーの複雑な造形に寄与している。
ところどころクライム・サスペンス的な場面もあるが、ニューヨークの底辺社会を舞台にしていながら全体に静かだ。抒情的な「間」が多い。ただクルートとブリーの表情だけを映し出し、セリフがひとつもないシーンもある。先に書いた通り、やっぱりこれはノワールな乾いたニューヨークと、主演二人のたたずまいを見せるための映画である、と言い切りたい。
事件が終わった後、ただ二人が黙って部屋を出て行くだけのラストシーンもいい。もともと別世界に生きる二人はただすれ違っただけで、結ばれることはない。カウンセラーに語りかけるブリーの独白によって二人のその後が暗示される演出もスタイリッシュ。スリラーとしてはB級かも知れないし、ストーリーにはメリハリが欠けているかも知れないが、このいわく言い難いムードが好きな私にとっては、なかなかに捨てがたい一篇である。
1971年のアメリカ映画。主演は、ドナルド・サザーランドとジェーン・フォンダ。ちなみに邦題だとジェーン・フォンダ演じるコールガールが主役みたいだが、原題は「Klute」で、ドナルド・サザーランドの役名である。ともあれ、主人公は探偵と娼婦、与えられたミッションは失踪者の捜索、舞台は70年代のマンハッタンといかにもノワールな道具立てだが、この映画の長所はアクションやスリルやミステリーというよりも、画面からたえず発散され続ける独特のクールネス、ぶ厚いフィルターを一枚かけたような陰り、そしてメランコリーにある。これは雰囲気で魅せる映画であって、実のところそれがほとんどすべてだと思う。
なので、はっきり言ってストーリーは弱い。ペンシルバニアの研究所に勤めていたマジメな既婚の男が失踪し、その調査を依頼されたクルート(ドナルド・サザーランド)がニューヨークにやってくる。失踪した男性が執心していたというコールガール、ブリー(ジェーン・フォンダ)に話を聞くためだが、彼女は正体不明の変質者につけ狙われていて、カウンセリングに通いながら不安と戦う日々を送っていた。にべもなく拒絶されたクルートは彼女の電話をテープにとって取引材料に使い、手がかりとなる変質者の情報を聞き出す。そこから彼はコールガールの元締め、ヒモ、麻薬中毒の女などを辿っていく。最初は反発していたブリーも、いつしか調査に協力する中でクルートに親密な感情を抱くようになるが、その彼女には変質者の魔の手が迫っていた…。
一応、ブリーにつきまとう怪しい男がいてそれがノワール的なスリルをもたらすが、そのスリルをぐいぐい盛り上げていく感じはまったくない。とても淡々としている。ミステリ的にもあっと驚く趣向は特にないし、犯人もなんとなく途中で分かってしまう。クルートの調査も事件の謎を解くためというより、大都会の底辺にうごめく人々の陰鬱なスケッチを見せるための仕掛け、という印象が強い。ブリー側のエピソードも同じで、変質者に狙われる話よりも、むしろ彼女がなんとか女優の仕事にありつこうとオーディションを重ねるがうまくいかず、生活のためと割り切ってコールガールとして働き、その中で色んな変態的な男たちを相手にするという、大都会の寒々としたロー・ライフ描写が中心になっている。ひたすらドライで、クールなタッチによって。
たとえば、ブリーの上得意である70歳を過ぎた老人。マジメにクリーニング店の商売をして貯めた金で時々ブリーを買うその老人は、ブリーを抱くわけでもなく、触れるわけでもない。ただ彼女に有名女優のふりをさせ、目の前でストリップをさせるのである。クルートがヘンタイ呼ばわりすると、ブリーは言い返す。あの人は無害な、かわいそうな老人よ。
また、そんなブリーもカウンセラーのもとへ定期的に通っている。彼女はカウンセラー相手に告白する、コールガールとして男の客を相手にしている時、私はその人にとって世界で最高の女になれるのよ。自分が支配者になって、しり込みし、怯えている男を自由自在に操ることができる…。
うーん、寒い。荒涼とした大都会のメランコリー。そんなエピソードの数々が、淡々と積み上げられていく。失踪者の中年オヤジを捜索するというプロットは、そのついでみたいにしてなんとなく進んでいく。夜の場面が多いため、映像の陰影は深い。ひたすらスタイリッシュでけだるいビジュアルが連続する。おそらくこの映画には、これ以上ないほどにノワールなニューヨークが切り取られていると言っていいと思う。
主演二人のキャラも、複雑でニュアンスに富んだ存在感があってとてもいい。ドナルド・サザーランドはクールで、動きのはしばしまで抑制されていて、ビジネスライクで、それでいて孤独と憂愁の影をまとっている。娼婦のくせにあまり肉感的ではない小柄なジェーン・フォンダも、それゆえに乾ききった大都会の片隅に棲息する妖精のようで、小悪魔的な魅力を放つ。彼女自身が持つどこかインテリっぽい雰囲気も、ブリーの複雑な造形に寄与している。
ところどころクライム・サスペンス的な場面もあるが、ニューヨークの底辺社会を舞台にしていながら全体に静かだ。抒情的な「間」が多い。ただクルートとブリーの表情だけを映し出し、セリフがひとつもないシーンもある。先に書いた通り、やっぱりこれはノワールな乾いたニューヨークと、主演二人のたたずまいを見せるための映画である、と言い切りたい。
事件が終わった後、ただ二人が黙って部屋を出て行くだけのラストシーンもいい。もともと別世界に生きる二人はただすれ違っただけで、結ばれることはない。カウンセラーに語りかけるブリーの独白によって二人のその後が暗示される演出もスタイリッシュ。スリラーとしてはB級かも知れないし、ストーリーにはメリハリが欠けているかも知れないが、このいわく言い難いムードが好きな私にとっては、なかなかに捨てがたい一篇である。
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