アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

白夜(映画)

2018-01-02 17:30:58 | 映画
『白夜』 ルキーノ・ヴィスコンティ   ☆☆☆

 『夏の嵐/白夜』ブルーレイ・セットで『白夜』を鑑賞。先日ドストエフスキーの原作を読んだばかりなので、一体どんな映画かと興味深く鑑賞した。正直、原作がまったく私の好みではなかったので、果たしてヴィスコンティはあの小説をどう料理したのだろうか、という興味がメインとなった。ちなみに本作はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得している。

 『白夜』の方が『夏の嵐』より後だが、こちらはモノクロ映画。主演はマルチェロ・マストロヤンニで、まだ若い。後年のマストロヤンニにはスレたプレイボーイのイメージがあるので、本作のやたら純情な青年役にはなんだか違和感があったが、これは私の先入観というものだろう。イタリア・フランス合作映画なので、舞台となる都市は原作のサンクトペテルブルクからイタリアの港町に変えてある。物語はほぼ全篇夜の街角で展開するため、ガス灯がともる街並みをソフトフォーカス気味に捉えたモノクロ映像がなかなか美しい。ストーリーが「都会のおとぎ話」風なので、映画もリアリズムと幻想的タッチの折衷スタイルとなっている。

 ストーリーは短かった原作を膨らませ、さまざまなディテールを加えて引き延ばし、原作よりも幾分リアリズムを強めてあり、あの極端に喜怒哀楽が上下する激情的な調子は薄まっている。たとえば娘は婚約者を罵倒することはないし、衝動的にマリオ(マルチェロ・マストロヤンニ)を愛するなどと言ったりはしない。ストーリーに追加された部分は、マリオとナタリアがダンスホールで踊るシーン、マリオに声をかけてくる娼婦の挿話、マリオの乱闘事件、マリオとナタリアが一緒に過ごすボートのシーン、同じく雪のシーン、などである。これらの引き伸ばしと調整によって、映画『白夜』の全体的なトーンは原作の熱に浮かされたような皮肉な寓話色を多少やわらげ、素朴でロマンティックな、はかない恋愛譚になっている。

 が、きわめて舞台演劇的であるところはやはり原作と変わらない。登場人物は叫び、泣き、けたたましく笑う。自分の気持ちをセリフで長々と、饒舌に説明する。ヒロインのナタリアは泣いたと思ったらすぐ笑う、いささか躁鬱病的な女だ。そういう意味では、このヴィスコンティ作品はやはり原作が持つドストエフスキー的狂熱を受け継いでいる。まあ逆に、それがなければドストエフスキーを映画化する意味もあまりないのだろう。しかし前にも書いた通り、私はこの過剰な喜怒哀楽表現には懐疑的だ。

 それからまた、マリオとナターリアが恋愛について語り合う際のあまりにナイーブなやりとりに、現代の観客は白々しい思いを抱くのではないだろうか。私はそういうところを古臭く感じてしまった。それは時代の感性の違いなので仕方がないことかも知れないし、好意的に見れば、それがまた古き良き時代の恋愛譚の味わいを醸し出しているということもできる。しかし少なくとも、これは時代を超える普遍的な物語ではないなというのが私の感想だ。

 どうしてこれをヴィスコンティが映画にしたいと思ったのか私には不思議だが、あえて推測すれば、娘のもとから去っていく男の(一見そう見える)薄情さや、簡単に心変わりをする娘の中に人の世の無常を見たのかも知れない。また、結末で再び孤独の中に取り残される青年(とそれを見守る観客)にとって、この数夜の出来事はまるで幻のように思え、それが一抹の詩情を漂わせていることは否定しない。

 従って原作と比べれば好印象だったけれども、やはり私にはこれが傑作とは思えない。ただ公平性のために付け加えておくと、本作に対する一般の評価は高く、実際に銀獅子賞も受賞しているし、雪の場面などモノクロ映像の美しさを賞賛する人は多い。ちなみに、ブレッソンもこの原作を映画化している。機会があったらそっちも観てみたい。



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1 コメント

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親切と迷惑 (sunaoni)
2020-01-11 20:15:39
【迷惑】
1.他人のしたことのため、不快になったり困ったりすること.
2.どうしてよいか迷うこと.
3.困ること.

それぞれの対比を考えてみると、
1.に対しては、親切が当てはまりそう.
2.に対しては、決断すること.
3.が少し難しいけれど、困らないことを考えてみると、例えば約束を破られると困る、約束を守る、と言うことが困ることの対比になるみたい.と言うことで、これだけ書けばこの映画のほとんどを言い表せれたと思うのですが.

ナタリアは橋のたもとで、約束した恋人が戻ってくるのを待っていた.なかなか恋人が現れないので、彼女は泣いていたのだが.そんなナタリアの姿をみとめたマリオは、彼女を慰めようと優しく彼女に話しかけ、親切に家まで送って行こうとした.
けれどもナタリアにとってマリオの親切はありがた迷惑で、余計なことをしないで欲しいと拒み、また彼の姿をみると鶏小屋へ逃げ込んで隠れようとしたのだった.

ナタリアは好きな人を待ち続けているのだから邪魔をしないで欲しい、あなたは私を好きにならないで欲しいと言ったのだが、マリオはそれでも無理矢理ナタリアに親切にしたのだった.
とうとう根負けしたのか、ナタリアはマリオの親切を受け入れ、そしてマリオを好きになったのだが.....
もう、約束の男は戻ってこない、マリオの心を受け入れる決断をしたその時になって、ナタリアの前に恋人の男は約束通り戻ってきたのだった.

恋人の男を見つけたナタリアは、彼の方へ走っていって、そして、もう一度マリオの所へ戻ってきた.
詫びるナタリアに、
「僕が悪かった、君を迷わせて」.....迷わせた、迷惑をかけたとマリオは謝った.
マリオの親切はナタリアを迷わせることになった.彼の親切は、迷惑な結果に終わってしまったのだ.

愛とは親切にする行為にあるのだろうか.....
否、迷惑にならないように気遣う、さりげない心の中にあるのでは.....

鶏さんに迷惑をかけたけど、鳥小屋に隠れることは出来なかった.....当たり前だ.
心が通じ合って、マリオはナタリアをボートに乗せて.....わざわざ乞食の家族が暮らす橋の下へ行って、幸せな未来を語ることはないだろう.乞食の人々にとって、迷惑な話.
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