アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

異人たちとの夏

2008-08-08 21:11:15 | 映画
『異人たちとの夏』 大林宣彦監督   ☆☆☆☆★

 DVDで再見。これはいつ観てもやばい映画である。どうしても泣いてしまう。絶対に我慢することができない。観た事ない人にひとつだけアドバイスしておくと、これは観るなら両親が健在なうちに観ておくべき映画である。両親をなくしてから観てはいけない。号泣ではすまなくなる。ちなみに私は両親ともに健在である。

 以下、完全にネタバレありでレビューさせてもらう。ネタバレしたからと言って価値が下がる映画じゃないが、一応最後がどんでん返しっぽくなっているのでこれから観る人は注意。

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 原作・山田太一、監督・大林宣彦。映画は見事なまでに大林カラーに染められている。ノスタルジックな浅草の風景、そこで出会う死んだはずの両親。木造のアパート、手作りのアイスクリーム、花火。まだ若い風間杜夫が離婚した脚本家・原田を演じている。彼は都会のマンションに一人で住み、「もう人を愛せる力なんてない」と思いこむほど心が冷えている。そんな彼が若くして死んだ両親、そして孤独に絶望して自殺した女、という二組の死者=異人と出会い、生きる力を取り戻していくひと夏の不思議な物語である。

 二組の異人たちと原田とのエピソードは平行して進み、二組の異人たち同士が出会うことはない。エピソードの雰囲気も対照的で、浅草の木造アパートを舞台に進行する亡き両親との出会いは温かく、懐かしく、ノスタルジックで、たまらない切なさに溢れている。こちらが号泣パートである。一方、同じマンションに住む孤独な美女(名取裕子)と出会い、愛し合うようになるエピソードは都会的で、ひんやりしている。こちらはホラー・パート。この二つの物語がセットになって、この映画は成立している。両親と出会うパートはいいが名取裕子のパートは嫌いだという人もいるようだが、私は対照的な物語がセットになったこの構成が気に入っている。名取裕子のパートをなくして純然たる「人情ファンタジー」にしてしまうより、「恐怖」という要素を取り込んだこの構成の方がいい。生者と死者の交流に恐怖がないわけはないのである。

 「死んだ両親との出会い」プロットに関しては、父・片岡鶴太郎、母・秋吉久美子というキャストが見事にはまっている。鶴太郎は昔かたぎでざっくばらんな父親にぴったりで、秋吉久美子は柔らかい母性とともに幻想的な色香をも映画にもたらす。そしてひたすら甘美なノスタルジーを盛り上げていく。なんといっても感動的なのは、この二人が息子である原田に注ぐ愛情の深さである。完全に無条件の、留保なしの愛情。こんな愛情を自分以外の人間に注げるのは親しかいない。この当たり前の真実が激しく胸に迫る。そして最後の、スキヤキ屋での別れのシーン。「お前を自慢に思っているよ」という母の言葉。消えていく両親の姿を見つめ、泣きながら原田は叫ぶ。「ありがとう! ありがとうございました!」ここで原田が、つまり子供が口にできる言葉がこれ以外にあるだろうか。号泣必至。
 
 もう一方のホラー・パートは、非常にクラシックな怪談のフォーマットに則っている。雷雨の夜。マンションの窓にたった一つ灯る三階の部屋の灯り。そして原田を訪ねてきた永島敏行の「三階にもう一人住んでるじゃないですか」の言葉に答えて管理人、「三階に住んでいた女の人、自殺したんですよ。夏の初めぐらいに」
 コワイ。プッチーニのオペラ音楽が甘美な恐怖を盛り上げて効果的だ。

 原田は死んだ両親の温かい愛情と、絶望して死んだケイの淋しさの両方に触れ、死者の世界に危うく一歩踏み込むことで、結果的に生きる力を取り戻す。この映画において両親とケイは陽と陰の関係にあり、やはりどっちか一方では駄目なのである。
 


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-11-23 13:03:31
12月にジャパンソサエティで上映するみたいですね!
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Unknown (ego_dance)
2015-11-30 11:53:32
貴重な情報ありがとうございます。NY在住の方でしょうか?
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