アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

座頭市御用旅

2014-02-01 21:09:19 | 映画
『座頭市御用旅』 森一生監督   ☆☆★

 シリーズ第23作目である。冒頭から映像の美しさに目を奪われる。これはてっきり撮影・宮川一夫かと思ったら違った(森田富士郎という人である)。いきなり旅の女が赤ん坊を産み、市は女のまたぐらに顔を突っ込むようにして産婆代わりを努める。うーむ、シリーズも終盤になると演出がえぐいなあ、と思いながら見ていると、案の定市が赤ん坊を父親のところへ届けることになる。ここでタイトルクレジットだが、音楽がまたヘン。浪曲と洋楽バンドサウンドのミックスである。B級感がバリバリに漂ってくる。本編が始まると、やはり出て来たお笑い芸人たち。もはや恒例の賑やかし。B級感がますます亢進していく。

 『血笑旅』でも赤ん坊を背負い込んだ市だが、あちらが赤ん坊と市の道中がメインのロード・ムーヴィーだったのに対し、こちらはすぐ目的地に到着。旅に出ているという父親の代わりに、妹の大谷直子に赤ん坊を預ける。そしてそこに乗り込んでくるヤクザ集団・鉄五郎(三國連太郎)一家。なぜか大谷直子も二十両の借金をしていることになっていて、明日までに払わないと女郎として売り飛ばされることになる。来ました、市の得意なパターンであります。

 重要なキャラとしてもう一人、頑固な目明し森繁久彌が登場。目明しなのに賞金がかかったお尋ね者・座頭市を「あの人はこの町では何もしてねえ、むしろわしらを助けてくれた。おれにはおれの信念がある」といってお縄にしない。オトコだねえ。この目明しと鉄五郎(三國連太郎)には過去の因縁があり、鉄五郎何かといえば目明しにネチネチと絡む。

 さて、この状況下、なぜか座頭市は旅の女=赤ん坊の母親を殺して二十五両ドロボーしたという疑いをかけられる。なぜかというと、死んだ女の子供がそれを見たと証言したからである。この子供は何かというと市を「人殺し!」呼ばわりし、そのせいで市は柄にもなくヤクザに掴まって拷問されたりする。珍しい場面で、結構痛々しい。しかし子供に人を斬るところを見せたくないからって、何も掴まることはないと思う。下手すると殺されてるところだ。

 濡れ衣をかけられた市はなんとか二十五両作って大谷直子を助けようとする。するとナイスなタイミングで真犯人が判明し、悪人に斬られた赤ん坊の父親は「市っつぁんじゃなかったのか…」などと説明的に呟きながら死んでいく。市を人殺し呼ばわりした子供もなぜか急に真犯人を指摘し、すべて鉄五郎一家が悪かったんだということで合意が成立した後、クライマックスのチャンバラになだれ込む。

 鉄五郎役の三國連太郎は、どこか屈折した不気味な感じがなかなか良い。まあ、この人はいつもどこか屈折した不気味な感じだが。頑固な目明しの森繁久彌もいいし、大谷直子は美人だ。が、なんでせっかくつかまえて縛り上げた市を鉄五郎は殺さないのかとか(賞金をもらおうとしたからと説明はあり)、あの子供はどうして市を人殺し呼ばわりしたのかとか、ちゃんと見てなくて誤解したんならなぜ真犯人を知っていたのかとか、色んな脚本上のご都合主義が目立ち、安直さは否めない。目明しの森繁久彌が鉄五郎に殺された後、帰ってきた息子が「市のヤロウ!」といきなり犯人を市と決めつけるのもあまりにもアホだし、子供にも濡れ衣を着せられているのでアイデアが二番煎じでもある。

 クライマックスでは鉄五郎一家と浪人集団と捕り方多数に囲まれる市だが、バッサバッサと斬り捨てて掴まらない。途中、火が油に引火して袖のあたりが燃え上がるが、そのまま鉄五郎を斬って逃走する。その逃走は目明しの息子が自分の間違いを知り、罪滅ぼしに市を助けるのだが、彼が捕り方に「おやじの仇なんだ、おれに任せておいてくれ!」と言うと捕り方たちはその場に立ち止まって追ってこないという、かなりテキトーな脚本である。

 という具合に、不自然さ、安直さ、いやに説明的で都合の良い展開、演出のあざとさなどでB級感は溢れんばかりだが、まあそれが雑駁なエネルギーになっているといえなくもない。

 ところで最後、もう終わりかと思っていると鉄五郎が雇った浪人(高橋悦史)との対決が控えている。『椿三十郎』の最後の殺陣からヒントを得たのだろうと思えるような演出だが、エンディング直前の無音の斬り合いはなかなか斬新でかっこいい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿