崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国籍の在日2世

2017年10月16日 05時52分36秒 | 日記

 二人の在日がわが家に訪ねてきた。一人は親しい友人の朴仙容氏、もう一人は初対面の李相進氏で、彼らは韓国籍の在日2世として、特に李氏は在日の存在が薄れて、アイデンティティの危機感を感じ、結束を図るはたらきをしようとしている。在日の代表的な団体の民団や総連が役割を果たしていない、人口の激減、同化に対しての無力感や危機感を感じているという。李氏は「門中」という血縁集団「慶州李氏同郷会」の設立総会を予定している。その会のために色々聞かれたがむしろ彼の講演を聞いているような時間であった。私は今は血縁や民族を超えた普遍的な愛の必要性を暗示する姿勢で対応した。


大学祭「亜蒔祭」

2017年10月15日 05時46分16秒 | 講義

 一緒に大学祭「亜蒔祭」に参加した。雨により室内行事になりコンパクトな良い雰囲気であった。カレーで昼食、韓国、ベトナム、ネパールのお茶とお菓子のティータイム、過剰な音響、音楽と歌の公演も視た。高校時代からドラム演奏が得意だったというチェギョンチョル君がプロのように演奏をした。出店が並んでいる。学生たちは教員に対する表情が普段とは違っていた。積極的な笑顔と活気が見えた。一般の方々とともに教員も「お客様」として見るようであった。「学生はお客様だ」と私は常に思っているがそこでは学生が主役であり、教員を「客」として迎えていた。人に注目されながらサーヴィスすることや売ることは簡単ではないことを体験するだろう。私も楽しいひと時であった。


ユネスコから撤退

2017年10月14日 05時21分38秒 | 研究業績

 ユネスコは文化遺産を保存するために働いている。ホロコーストの記憶を維持するなど。しかしイスラエルヨルダン川西岸のヘブロンの激しく争われている核心をパレスチナの世界遺産として宣言し、イスラエルとその同盟国によって批判される。これを偏見だとトランプ政権はユネスコから撤退し、非会員オブザーバーとなるという。
 2015 年には中国の「南京大虐殺」文書を
登録した。今度は「日本軍慰安婦」を登録しようとする。慰安婦と性奴隷を同一視している。日本の学者や米韓の有力学者たちが反対する見解を出す準備をしている。ユネスコは、政治課題や目的が道具になってはいけないと思っている。無用な対立と混乱を惹起してはいけない。アメリカの撤退が理解できる。


選挙熱風

2017年10月13日 05時58分07秒 | 講義

 昨日天気予報では寒くなるといわれたが冷房をつけて講義をした。予報の外れ、選挙にもありうる。だから面白い。選挙熱風が吹いている。野党は口を揃えて安倍下ろしを訴えるが下関では感じない。メディア出身、ポピュリズム劇の演出者の小池氏、野党連携を目指して存在感を失った前原氏、群小野党の羅列になり自民党政治の永久、独裁政権化するのではないかという憂いがある。読書会では在日韓国・朝鮮人の差別、在中朝鮮族の優遇の対照点が話題になった。同じ朝鮮民族でありながら日本と中国の差、選挙権のない在日のために日本の政治家が、在日のための政策を出すことはない。在日自ら生きる道を模索すべきであろうと思う。*写真はベランダのエアコン外付け換気扇の裏側に咲いた花


「女らしさ」

2017年10月12日 05時07分32秒 | 講義

 以前日本には虫や昆虫が好きな子供が多いと書いたことがある。生物の観察力を身に着けるのによい文化であり、よい教育であると思う。昨日の文化人類学の講義では「女らしさ」が話題になった。日本、中国、韓国、ベトナムの学生たちはそれぞれ日本人の化粧、服装、聲、喋り方、考え方、心理などの面で男性は礼儀形式が固く、女性は柔らかい傾向があると様々な指摘があった。特に日本の女性のトーンの高い声が目立つ。虫に対する態度にも男女の差があると、留学生キンギョンリョル君が指摘した。彼のアルバイト先でゴキブリが出たら男の自分に女たちからの視線が集まった。彼も嫌であり、結局女性が殺したという。鋭い観察である。今選挙で女性候補たちが「女らしい」声を上げて、得点を狙っている。小池、山尾、豊田・・・。流行、ファッション、ポピュリズムが民主主義を先導するようである。


満洲映画

2017年10月11日 05時57分24秒 | 講義

 日本は満州を13年間支配した。否、満州鉄道史ではより古くまで遡れる。日本帝国の中国大陸やインドまでへの夢は大きかった。終局には悲惨な敗戦で終わってしまった。そこから大きい教訓を学んだはずである。夢と悲惨、侵略と敗北から自由と人権を学んだ。日本では満州で近代化構築の経験を積んだ日本人が戦後の日本の復興と開拓に大きく貢献した。
 日本は満洲で映画を多く製作した。昨日私に博士論文を指導を受けている林楽青氏が満洲映画について諸先生方の前で発表した。日本帝国は満洲に人材、技術及び文化を導入した。そして近代化、日本化を図った。戦争により中止、終戦で終わった。満映はハリウッド映画大地Good Earthに映る中国とは違った近代化の政策、それをイメージアップしたもの、幻の映画であると林氏は語った。
 

 


台湾で「慰安婦」について基調講演予定

2017年10月10日 05時24分51秒 | 日記

 毎日書く本欄は私の日記を兼ねている。しかし日記そのものではない。長い年月日記を書いたが最近は本欄が日記を兼ねているので、別に日記は書いていない。私生活、迷惑な話などはあまり書かない。ある人は「それでも客観的か」、と言われるかもしれない。共有、知らせ、思考、エッセイ風になっており、意見交換や議論することもできる。新聞などの媒体は一方的であり、個人的なコミュ―ニケーションができない欠点がある。私のネット上の「友」は下関に多い。ただまだネットでは通信できない電話・ファックス世代の方が多いのでハガキや口コミが必要である。各種行事をほぼブログ、フェースブック、ツイッター、ホームページなどでお知らせして交流ができる。連休に「慰安所日記」(仮)のゲラを校正した。自分の文章が磨き上げられるのが面白い。その本が出るころか、12810日に台湾・中央民族研究院で「文化存亡への挑戦:エスニシティ間における和解と共生の可能性」という国際シンポジウムで「慰安婦」ついて基調講演をすることになった。*写真は私のフィールドノート

 


受講生

2017年10月09日 05時08分44秒 | 講義

 講義に受講生が多くなったのはよろしい。ある学生は多国籍の留学生と年齢差のある市民と一緒になっていることの新鮮さを語った。ある市民は学生たちの居眠りを指摘した。日本語が十分ではない学生が居眠りすることに私は、全く言葉が通じない場面にいること自体が日本語の勉強の始まりであるといった。私は日本語が解らずただ座っていた年月が長かった。それは辛い我慢の時間でありながら表情を観察し、把握しようとするチャンスでもあったと話した。つまり言葉が不通の対面も学習の一段階である。また言葉が出来てもつまらない話を我慢しながら聞かなければならない時が多い。それは社会生活の基礎である。
 

 


下関の庶民史

2017年10月08日 06時09分42秒 | 講義

 今私が住んでいるところには植民地時代に朝鮮半島の日本村出身の方が多い。私はその研究対象のフィールドでもあった下関に住むようになった。いま考えると劇的な話である。私は昨日「楽しい韓国文化論」でその戦前の日韓関係について話をした。
 1968年に巨文島の白島旅館に泊まったことがある。その旅館は戦前の日本村の遊郭「喜楽」であったという。その島は日本村、「遊郭村」ともいえるほど遊郭が多かった。たくさんの漁船が集まり波市といわれる大きな魚市で栄えた日本村を作った方が下関市湯玉の木村忠太郎氏である話をした。その戦後はどうなっているのか。庶民史に迫って話した。ここのメディアや市民は倒幕明治維新を掲げて叫んでも庶民の生活史には無関心、無知である。下関市議会議員の板谷正氏、市役所の大江敏彦氏、藤川雅宏氏には感謝である。
 その木村氏のお孫さんの堀麗子氏のご息子の堀研画伯夫婦が参加して下さり巨文島に訪問した時の話をして下さった。母親が子供の時は植民地での幸せに暮らしたという美談は自分は一蹴して真剣に受け止められなかったとのこと。戦後の韓国の反日教育に対になる態度であった。貴重な証言であった。終了後には福岡から参加した朴米雄牧師と田中氏とはキリスト教史について談話した。
 昨夜は闇の中の赤間神宮では階段を舞台にした照明により豪華なミュージカルショー(代表伊藤壽真男氏)が行われた。下関の近代史が一目で楽しく分かるものである。2回目、さらに新鮮さが溢れた。帰路には中秋の名月が関門大橋に掛かっていた。


教会と神社

2017年10月07日 05時23分53秒 | 日記

 昨日はキリスト教会と神社に足を運んだ。韓国からキリスト教聖潔教団の総務と日本向けの宣教牧師が来られたのでお迎えするために下関教会へ行った。周辺地域の牧師らも参加した。談話の中で私は宣教の主な対象が在日か、日本人かと質問した。牧師は聖書の聖句もってどの人種、民族でもという決りの言説。日本ではクリスチャンは極少数、さらにマイノリティの在日の極少数に在日中心の宣教では困ると反論した。宣教を叫びながらインタネットのホームページも管理していない点を指摘した。
 その後私は赤間神宮で演奏される雅楽を鑑賞した。全員起立「君が代」の斉唱から始まった。メロディ性が少なく、音が長く響く、リズムも遅い。「君が代」の起源を味わうような気分であった。雅楽は王権の聖なる権威を表す音で演奏される。私が知っている「王昭君」の話もされた。私は昔韓国の文化財専門委員としてほぼ毎年鑑賞したこともあり、韓国のものと比べて聞いた。ここでは踊りが大部あり、それも南方文化の影響のような拳式舞に特徴があると思った。


楽しい苦労

2017年10月06日 06時21分37秒 | 日記

 文芸小説家の柳美里氏と対談したばかりでノーベル文学賞受賞者が発表された。賞と全く無縁の私にとって賞はただ社会的評価の一つに過ぎないと思うが影響は大きい。日本では日系イギリス人のカズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)氏が受賞したと大きく報道している。文学に全く関心のない人さえ「日系イギリス人」だということで喜んでいる。なぜであろう。
 2年前にBBCの「著者に会う」という番組で偶然に彼の話を聞いてくまざわ書店で見つけた彼の作品を読んだことがある。戦前の思想を持ち続けた日本人を描いたという『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World)である。面白い発想である。帝国臣民が戦後の状況をどう考えるかに関心があり、印象的であった。
 私の机の上には出版社から送られてきたゲラがある。脱稿して3年近くなる。紆余曲折、タイミングを待っていたので、封筒を見て開く勇気さえなかった。編集者の丁寧、完璧に近いゲラを見て頭が下がるだけであった。明日講演を終えて連休には家内と一緒に楽しい苦労の校正の味を満喫したい。
 


非常にプライベートな話、しかしフィクション

2017年10月05日 06時11分53秒 | 日記

 今朝のハードトーク番組で作家があり溢れるラブストーリの話は、非常にプライベートな話であるがフィクションであると言った(private but fiction)。実は先週柳美里氏との対談がそうであった。深い話であった。しかし聴衆は静かに話の流れに乗ってくれた。毎日新聞の上村理花氏と長周新聞の竹下一氏によってその旨報道された。竹下氏は昨日長文の記事にしてくれた。その深い話の意味を明瞭に綴っている。感謝である。

 柳美里氏は初めに、母親が朝鮮戦争の混乱から逃れて最初に着いたのが門司港であったことなど、下関に対する特別な感情を語った。そして、在日韓国人として生まれ育った家庭環境や不登校も韓国人でもない、アイデンティティーがない」という苦悩を抱えて演劇・文学活動に入ったことを明らかにし、その後の体験から文学と人生に関する認識を発展させてきたことを紹介した。
 崔吉城教授は、「自殺をめぐる作品に関連して、「人はなぜ生きるのか」という人間的普遍性を文学を通して描く意義を強調した。また、「芥川賞作家」という肩書きを笠に着た商業的な作品ではなく、人間の内面の真実を追究する純文学への期待を語った。これに対して、柳美里氏は「息子の出産と東日本大震災が星きる価値がない”という青年期の価値観を、どんな困難な状況にあっても生きる価値がある”と、大きく変える契機となった」ことを明らかにした。また、「日本社会では毎年三万人もの自殺者が出る。とくに被災地では自殺が多く、岩手、宮城は以前の水準に戻りつつあるが、福島だけは高止まりしている。それも原発の避難区域であった浪江町、南相馬市に多い」とのべた。そして、「毎年、東日本大震災の犠牲者を上回る人人が、生きる価値がないと考えている社会について、文学者は考えなければならない」と強調した。さらに、「だれのために作品を書いているのかと問われたとき、居場所のない人のために書いていると答えている」と語った。その念頭にあるのは、東北被災地で居場所を失って生き方に悩んでいる人人である。現在、福島第一原発事故による避難指示を解除されたばかりの南相馬市小高区に居住し、作家活動の傍ら地域放送局やエ業高校の講師を担当するなど住民とともに地域振興のあり方を探っている。このことも、一人一人の被災者の物語を知って、創作に生かす活動と結びついていることも明らかにした。
 対談は、「芥川賞をどった作家が、そのあと書けなくなる」(柳美里氏)・・・・・・

 

 


中秋・秋夕

2017年10月04日 04時51分13秒 | エッセイ

 今日は韓国や中国では名節の中秋・秋夕である。秋夕は長い歴史上,中国文化圏であった伝統文化として持続している。韓国では1月3日の開天節、9日ハングルの記念日が土日曜日と合わさって10日ほどの長い連休だという。しかし日本では無感覚、普通の日である。在日韓国・朝鮮人にもこの名節の文化は存在しない。日本在住の教え子から牛肉とお菓子が届いた(写真)。これで一気に秋夕という雰囲気が湧いて、子供の時を回想した。今から考えるとその時代は貧困の時代、私の負の過去かも知れない。しかし決してそうではない。当時私は貧困と感じなかった。人は 後になって「当時」を幸,不幸と思うだけである。「当時」はただひたすら生きていた時であろう。


植民地研究の視点で

2017年10月03日 06時40分10秒 | 講義

竹下一記者の記事は最高の名文、ワンアジア講義の担当者と受講生全員に配らせていただく。講義全体の要約、順序、論理、明快な文には脱帽、脱帽である。感謝します。

崔吉城教授が講義:植民地研究の視点で

 下関の東亜大学の公開講座「アジアの民族と国家」が九月二五日から始まった。その第一回目の講義で、崔吉城・同大学教授(文化人類学)が植民地研究を踏まえて問題を提起した。
 崔教授は「日本とアジアの関係を見る場合、戦争と植民地が中心になる」と指摘した。世界史におけるスペインやフランス、イギリスなどが地球的規模で展開してきた植民地の事例と対比して、後発の宗主国となった日本帝国主義と台湾、樺太(サハリン)、朝鮮、パラオ、満洲など、アジアの植民地との関係について明らかにした。
 日本の場合、「戦争、占領、条約などによる植民地化、拓殖会社、近代化、強制動員、人の移動・移住」など、西洋の植民地支配を真似たものが多く、日本に近接する地域を植民地化してきた。植民者は「にわか成金」のような特権的態度をとるものが多く、一般労働者と変わらない植民者でも、被植民者に比べ法律的経済的などの面で優遇されいたことにも触れた。
 崔教授はまた、日本が「大東亜共栄圏」を求めたが失敗したとと関連して、満洲の開拓民が「夢を持たされた」あげく悲惨な目にあったことや、ミャンマーにおけるインパール作戦など兵隊に動員された民衆の凄絶な経験を上げた。さらに、日本の植民地から解放された韓国の反日感情の強さについて、「イギリスとそれにもっとも近接した植民地であったアイルランドとの関係に酷似している」と指摘した。
 崔教授はそこから、アジア共同体について「日本のアジア侵略と植民地統治による負の遺産、国境(領土)問題、米軍駐屯など軍事的な対立があり、共同体構築が難しい状況がある」と語った。そこから、EU共同体が経済的な協力が中心であるのに比べて、東アジアの共同体は「平和と安全」を求めることが中心になると強調した。
 崔教授は北朝鮮をめぐる軍事的緊張と関連して、「私自身、朝鮮戦争を直接体験したので不安だが、韓国の友人たちは心配するなと言っている」と紹介した。そして最後に、戦争と植民地の関係修復は国と国との政治的駆け引きではなく人間関係、つまり人民間のつながりを強めることによって可能であると提起した。*写真長周新聞2017.10.2


言葉コミュニケーション

2017年10月03日 05時28分58秒 | 講義

 昨日は広島大学時代に私が博士論文の指導をした学生だった二人と共に講義をした。上田崇仁氏の発表と山田寛人氏のコメントで進行した。日本語は昔日本帝国の国語であったが、戦後も比較的に日本語学習者が多かった。しかし最近大きく減少している。特に韓国が一番激減している。世界一の反日国を意味するのだろうか。日本語を母語とする人に国語として教えるのと違って朝鮮語を母語とする人に日本語を教えた経験は現在も他国籍の人々の日本語教育に有効であると述べた。朝鮮人に日本語教育をしたが朝鮮語抹殺教育だけであったのか、外国語教育であったのかはどうだろうか。言語学的には植民地や戦争などによる言葉の普及はそれほど大きい差がない。言葉はコミュニケーションの手段として重要な役割があるからである。