崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

下関の庶民史

2017年10月08日 06時09分42秒 | 講義

 今私が住んでいるところには植民地時代に朝鮮半島の日本村出身の方が多い。私はその研究対象のフィールドでもあった下関に住むようになった。いま考えると劇的な話である。私は昨日「楽しい韓国文化論」でその戦前の日韓関係について話をした。
 1968年に巨文島の白島旅館に泊まったことがある。その旅館は戦前の日本村の遊郭「喜楽」であったという。その島は日本村、「遊郭村」ともいえるほど遊郭が多かった。たくさんの漁船が集まり波市といわれる大きな魚市で栄えた日本村を作った方が下関市湯玉の木村忠太郎氏である話をした。その戦後はどうなっているのか。庶民史に迫って話した。ここのメディアや市民は倒幕明治維新を掲げて叫んでも庶民の生活史には無関心、無知である。下関市議会議員の板谷正氏、市役所の大江敏彦氏、藤川雅宏氏には感謝である。
 その木村氏のお孫さんの堀麗子氏のご息子の堀研画伯夫婦が参加して下さり巨文島に訪問した時の話をして下さった。母親が子供の時は植民地での幸せに暮らしたという美談は自分は一蹴して真剣に受け止められなかったとのこと。戦後の韓国の反日教育に対になる態度であった。貴重な証言であった。終了後には福岡から参加した朴米雄牧師と田中氏とはキリスト教史について談話した。
 昨夜は闇の中の赤間神宮では階段を舞台にした照明により豪華なミュージカルショー(代表伊藤壽真男氏)が行われた。下関の近代史が一目で楽しく分かるものである。2回目、さらに新鮮さが溢れた。帰路には中秋の名月が関門大橋に掛かっていた。