崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

非常にプライベートな話、しかしフィクション

2017年10月05日 06時11分53秒 | 日記

 今朝のハードトーク番組で作家があり溢れるラブストーリの話は、非常にプライベートな話であるがフィクションであると言った(private but fiction)。実は先週柳美里氏との対談がそうであった。深い話であった。しかし聴衆は静かに話の流れに乗ってくれた。毎日新聞の上村理花氏と長周新聞の竹下一氏によってその旨報道された。竹下氏は昨日長文の記事にしてくれた。その深い話の意味を明瞭に綴っている。感謝である。

 柳美里氏は初めに、母親が朝鮮戦争の混乱から逃れて最初に着いたのが門司港であったことなど、下関に対する特別な感情を語った。そして、在日韓国人として生まれ育った家庭環境や不登校も韓国人でもない、アイデンティティーがない」という苦悩を抱えて演劇・文学活動に入ったことを明らかにし、その後の体験から文学と人生に関する認識を発展させてきたことを紹介した。
 崔吉城教授は、「自殺をめぐる作品に関連して、「人はなぜ生きるのか」という人間的普遍性を文学を通して描く意義を強調した。また、「芥川賞作家」という肩書きを笠に着た商業的な作品ではなく、人間の内面の真実を追究する純文学への期待を語った。これに対して、柳美里氏は「息子の出産と東日本大震災が星きる価値がない”という青年期の価値観を、どんな困難な状況にあっても生きる価値がある”と、大きく変える契機となった」ことを明らかにした。また、「日本社会では毎年三万人もの自殺者が出る。とくに被災地では自殺が多く、岩手、宮城は以前の水準に戻りつつあるが、福島だけは高止まりしている。それも原発の避難区域であった浪江町、南相馬市に多い」とのべた。そして、「毎年、東日本大震災の犠牲者を上回る人人が、生きる価値がないと考えている社会について、文学者は考えなければならない」と強調した。さらに、「だれのために作品を書いているのかと問われたとき、居場所のない人のために書いていると答えている」と語った。その念頭にあるのは、東北被災地で居場所を失って生き方に悩んでいる人人である。現在、福島第一原発事故による避難指示を解除されたばかりの南相馬市小高区に居住し、作家活動の傍ら地域放送局やエ業高校の講師を担当するなど住民とともに地域振興のあり方を探っている。このことも、一人一人の被災者の物語を知って、創作に生かす活動と結びついていることも明らかにした。
 対談は、「芥川賞をどった作家が、そのあと書けなくなる」(柳美里氏)・・・・・・