崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ダイエット

2010年09月25日 03時21分25秒 | エッセイ
先日同年の人に久しぶりにあって痩せたので何か病気でもしていないかそのわけを聞くと、彼は大変なダイエットや、断食の努力をしたと言う。その話を聞いて私も「減量しないといけない」といいながら健康を意識した。それで私は自分のことに気が付いた。やせないといけないという言葉を傍で聞いた家内から私がやせることには否定的であり、太ることには抵抗がないことが指摘されて正鵠を指したと思った。私はやせることには懸念、太ることにはそれほど抵抗がないのは私の成長過程が背景にある。私の中高の時代の写真を見ると顔が長細く貧困相そのものである。私が成長した時代の農村では太った人が健康であると思われ、母は村で一番太った人を品格のある人のような態度をとった。
 ダイエットという言葉はまだ私には栄養があまる贅沢な話のように聞こえる。食料はもちろん料理に有り余るほど経済的に豊かな今の世代を生きる人は幸せである。昨夜東京に来て専修大学の樋口先生に中華料理をご馳走になった。もちろんとてもおいしかったこともあるが食料の危機を感じた時代を思い出しながら最後の皿のスープまで飲んでしまった。このような私にはダイエットという言葉はふさわしくない。