崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

小沢一郎氏敗れ

2010年09月15日 06時09分31秒 | エッセイ
 昨日民主党代表選の所信表明の演説、投開票まできちんと見守った。投開票に先立つ2人の演説では「私には夢がある」と熱弁を語った。特に小沢氏の迫力あるスピーチを聞いて昔学んだスピーチ論の講義を思い出した。オバマなどのような名スピーチだ思った。菅氏がやや優勢と聞いていたが大差をつけて勝利した。
 私は内心、やや小沢氏に傾いていたので残念ではあったが、日本の民主主義「選挙」の勝利のようで嬉しい。私の身の回では選挙はほぼ確認するプロセスに過ぎない。今度民心が「衆愚」か「天心」か、民が代表を選ぶという民主主義の制度を使いこなしたことに喜んでいる。もっとも良かったのは小沢氏の堂々とした登壇する態度であった。これからは選挙は一つのゲームと思い、悔いを残さず政権へ協力すべきであろう。日本は経済だけではなく、政治的にも先進国になっていくように願っている。
 
 

月餅

2010年09月14日 05時37分10秒 | エッセイ
 中国旅行から帰国した人から月餅をいただいた。料理といえば中華料理と言われている中国のイメージがダウンしているためかお客さんに出してもあまり好感を持たないようである。しかし食べてみると日本の洋菓子に比べて低糖で餅の味が分かり、美味しく食べた。今中国では仲秋を前にして名節の雰囲気が徐々に高潮しつつあることが想像できる。去年の今頃中国で月餅を買いに名店を回ったことを思い出す。
 昨晩から涼しくなり、日本でも猛暑は一つ峠を超えたと感ずる。韓国では秋夕(旧8月15日)のハレ食にソンピョン(松餅)をたべる。ソンピョンは松の葉で香りをつける。朝鮮赤松は背が高く、曲線が美しく、山と川が調和してとても美しい。しかしそれを庭木にすることはない。松葉に鶴が停まっている風景は花札にもある。またそこに満月が調和するとこの上ない風景になろう。中国の月餅と韓国の松餅が秋を飾る仲秋の名節にふさわしいものであろう。食べ物はただの栄養や味だけのものではない。イメージがインプットされて脳が反応することによって美味しさを感じ、栄養にもなる。珍しく久しぶりに月餅をいただきながら中華料理の国のイメージを回復することを期待する。

反イスラム

2010年09月13日 08時01分27秒 | エッセイ
 今朝インタネットの不具合で更新が遅れた。
 フロリダ州のキリスト教会の牧師の乱暴な発言によりイスラム社会から反抗が激しくなった。アフガンでの抗議デモで12人が怪我をしたという。キリスト教は長い歴史においてユダヤ民族を差別したり反ユダヤ的なことで問題を起こしたことも多い。特にアメリカのキリスト教は反イスラム的な傾向が強いのは問題である。キリスト教信者の中には信仰心が強いことを強調し、無理な伝道活動を行っている人も多い。それが逆に相手を傷付けることになり、悪く思われることにもなる。今度のジョーン牧師は牧会経歴においても、問題のある牧師と評されているようである。彼はマスコミに注目され、キリスト教を過剰に見せかけている。それがアフガン平和軍(?)へ悪影響を与えている。
 私もクリスチャンではあるが、信仰を狂信するような人には警戒心を持っている。普通の生活の中で生き方を見つけていくところ、そこにイエスがモデルになるような信仰で満足する。キリスト教は本当の民主主義、男女平等、人類愛などが教義になっている。しかし教会によってはそれがないただの集まりになっているところもある。今度の馬鹿けな牧師がキリスト教へ悪影響、また世界平和へ悪影響を与えている。狂信はやめてほしい。

死刑制度

2010年09月12日 04時02分45秒 | エッセイ
 先日法務省が初めて死刑の刑場を公開したことを契機に死刑制度に関する議論が起きている。私は旅順監獄などで首を吊る刑場を見たこともあり、古くからその制度に対する賛否に関心がある。また安重根が死刑になる映画を分析している。この制度の基本思想は復讐心である。殺された側の復讐心によって殺人が再発生し、殺人が繰り返され、否、増幅して紛争、戦争へまで拡大する恐れさえある。それを防ぐために死刑制度が存在し、その効果のために一罰百刑として死刑を利用したこともあった。
 死刑も刑の一つである。刑とは何か。苦しめることである。社会や時代によっては残酷に苦しめ方も多様である。チベットの曼荼羅には裸にして寒いところにだすか、舌を引っ張る刑がある。地獄図には死後までの刑が表れている。自由を大事にする社会では自由を剥奪して隔離する、終身刑もある。
 戦争などで殺したり殺されたりすることか本当にに残酷なことであり、悲惨ではあるが刑ではない。捕虜は残酷に扱わないようになっている。シベリアに流刑された人がが農業労働やその他強制労働に利用されたこともある。チェーコフは「刑は刑であるべきだ」と反対した。
 苦しめられるより楽に死を選びたい人もいるかもしれない。大罪を犯した者の刑をどうするかを議論すべきであろう。刑務所を住居として利用する人さえあっては困る。復讐と刑の本質を議論すべきであろう。

「日本は駄目」

2010年09月11日 06時11分03秒 | エッセイ
 昨日は言論人・文化人と昼食、夕食を共にしながら長く談話した。「日本はだめだ」という言葉が耳に残った。そこで韓国や中国の発展の話につながった。以前広島大で教科課程の改造の時、私が韓国で経験した例を上げて説明しても反応はまったくなかった。それだけではなく良い例での韓国の事例には関心がなかったが、今はテレビや学会、大学でも韓国の例を上げることが多い。
 帰宅た時、村木氏の無罪のニュースが流れた。韓国では日本の植民地で具体的に日本が悪かった点は警察である。村木は検察によって苦労した。検察や警察は普通の人間であるがその帽子や制服を被せる国家権力を得て、中には国家権力で乱暴になる者もいる。昔から村人は皮肉で「木棒にも帽子をかぶせたらそうなる」といった。
 昨夜の夕食時に東京から来られた東大先端技術センターの特任研究員の川原ノリエ氏と談話した。彼女の父が日本軍として南京虐殺で20人も殺したということから父の罪意識から本当の謝罪と解放の話を聞いた。村木氏が苦労したのは日本の戦前のような警察、検察、などのあり方を本当に反省や解放が必要である。司法が社会を安定させるのではなく、政治主導を狙っているような印象さえある。今日本の司法とマスコミが一番怖いといった新聞人の佐々木氏の言葉が気になる。本当に日本は駄目であろうか。

キリスト教会がコーランを焼却する

2010年09月10日 05時24分45秒 | エッセイ
米フロリダ州のキリスト教会が9.11を記念にイスラム教の聖典コーランを焼却するデモ行事を計画しているとして大騒動である。以前コペンハーゲンの新聞がイスラムを侮辱する風刺漫画を掲載して世界的に話題になり、本欄でも扱った覚えがあるが、今度無名の牧師が一気に世界的に有名(?)になった。反テロとか愛国心に基づいてといってもあまりにも無謀な宣言である。
 オバマ大統領や軍司令官などが反対の声明を出している。イスラム教は脅威だという問題よりキリスト教会の根本的な問題である。キリスト教会が原理主義になり、閉鎖的に教派主義になりやすい。社会に光を当てるために人類普遍的な愛の信仰を宣教したイエスの精神を誤解している人は牧師の中にも多い。社会と信仰の関係を本質的に考えなければならない。教義のドグマが政治政策になるわけではない。
 この文を書いてからニューヨークタイムズのトップニュースで「中止」が報じられた。(写真は中止を報じるMuhammad Musri, an Islamic leader in Florida、ニューヨークタイムズより)

「手を洗いなさい」

2010年09月09日 04時44分17秒 | エッセイ
 昨日、月一回の定期受診で病院に行った。先日韓国でハードなスケージュールで悪くなったのではないか思ったが意外にも、健康状態良好と診断された。しかし医師はこれから寒さに向かい風邪を引きやすくなるので注意すべき点として「手を洗いなさい」という。それを聞いて消化器系統の病でもないのに、と思ったが手はいろんなところに触れ、汚染されている可能性が高い。それを鼻や口元に持って行くことが多いからとの説明であった。めがねを掛けた人はより頻繁にずれためがねをなおすために鼻の近くに手がいくというのだ。手を洗いなさいとは多く聞いていたが、初めて納得した。
 日本では手を洗いなさいという言葉を多く聞くだけでなく、トイレを「お手洗い」というほど習慣とされている。それでも風邪を引く人が多い。韓国では風を軽く思う傾向がある。私も季節が変わる時の象徴的な病気だと軽く思っていたことは事実である。しかし今の私には風邪は脅威の病気である。暑さが続いて騒動になっているこの夏は私にとっては健康上、楽であったがこれからが注意すべきだと言われ、気になる。昨夜は窓を閉めて寝ても寒くて早く目が覚めてこの文を書いている。暑さ騒動は寒さ騒動になるかもしれない。四季の季節を持っているところで住むことに感謝すべきである。
 

残すために

2010年09月08日 04時36分21秒 | エッセイ
 友人知人の中に定年退職した研究者が多い。その中のある人は田んぼを買って農業を始めたという。彼らがわが家に来たときは私が育てる花や熱帯植物にも視線を配らなかったのに意外なことである。一本の鉢物でも水と光、温度、肥料、虫除け、土などの管理には知識と経験が必要なのに農業はそれほど簡単にできるものであろうか。畑仕事もただ時間があるからできるものではない。ただ好きでやる園芸のようなことをすることと農民とは異なる。彼らはそれは健康のためだという。
 退職などで研究をやめてしまうということは研究が好きでやっていたことではないということになる。彼らの中には私になぜ研究を続けるかと聞く人もいる。ただ好きであるからと答えても物足らず「残すためだ」といってしまった。「残して何になるのか」と寓話のようになった。実は生き方の究極の点に至る。私は死後も人に記憶されたい。神は認めてくれると信じている。今、著作集の2号を「キリスト教とシャーマニズム」をテーマに準備している。不特定な人に残すために・・・。

ある読者からの手紙

2010年09月07日 05時16分33秒 | エッセイ
 『「アジア的価値」とは何か』(青木保/佐伯啓思編、TBSブリタニカ、1998)に書いた拙稿に関する読者からの手紙を抜粋して紹介する。
 <本の内容>
序:今なぜ「アジア的価値」論か(青木保)
「アジア的価値」派存在するか(佐伯啓思)
「多にして一」の秩序原理と日本の選択(山室信一)
日本はどのように「入亜」するのか(宮本光晴)
近代日本のアジア主義(筒井清忠)
アジアの時代は本当か(粕谷一希)
韓国の反アジア的パラダイム(土佐昌樹)
「儒教文化圏における伝統的価値観と近代化」(崔吉城)
中国的秩序における個人の位相(季衛東)
アジアは「和魂」を受容できるか(倉沢愛子)
他者の言葉で語る自己(永淵康之)
東と西、そして南(春日直樹)
「文明の没落」の中のアジア的価値(佐藤光)
「アジア化」の進展とデモクラシー(梶原景昭)
グローバリゼーション下のアジア(守口親司)
「東洋の理想」論瞥見(青木保)

  <手紙>
 拝啓 
 初秋の候、ますますご隆盛のこととお喜び申し上げます。9月に入りましたがまだまだ暑い日が続きますね。教授の母国大韓民国はいかがですか。
 私は教授が広島大学在職中に書かれた「儒教文化圏における伝統的価値観と近代化」『アジア的価値とは何か』(青木保・佐伯啓思編)を読んでいます。私が教授のご研究分野のみならず朝鮮半島の文化文明歴史に強い関心を持ったのは私の母校が韓国の大学校と姉妹関係にあることと在学中韓国出身の先生との出会いがあったからです。それまでは日本に一番近い外国にもかかわらずあまりにも無知過ぎなことを知りました。
 出張で中断したこともありますが自宅の近くにある図書館で働きながら朝鮮半島の文化、文明、歴史の他に韓国、北朝鮮の政治経済も勉強してきました。そこで「儒教文化圏における伝統的価値観と近代化」はアジア情勢にますます関心を持つきっがけとなった書物でした。これを読んだ東亜大学の学生、卒業生はどのくらいでしょうか。東亜大学とは何の縁やゆかりもないよそ者ですが、東亜大学は独創的な研究をしている先生に恵まれた大学のひとつと思います。教授から習える、習えた人は恵まれていると思います。一度お目にかかれたらこれ以上の喜びはありません。

民主党選挙

2010年09月06日 06時40分05秒 | エッセイ
 韓国から帰国して民主党代表選の雰囲気を満喫している。密室交代の総理代わりに嫌がったので民主主義の新鮮さを感じている。昨日の大阪街頭演説の映像をみながら日本でも民主主義があるんだなと、感じられて嬉しい。ただ憎まれているような小沢一郎前幹事長の信念と説得力のある話を聞けて良かった。氏は「政治家自らの責任で政策、予算を決定できる体制をつくらないといけないと感じ、立候補した」と述べ、政治主導の実現に全力を挙げるという。小沢、菅両氏が演壇に並んでそれぞれの決意が表明された。
 直前まで選挙になると党が分裂するなどの懸念する世論が流れた。党が分裂しても選挙をすべきである。選挙結果に承服、敗北するのが民主主義である。私はマスコミ主導の世論による政治には反対である。それだけではない。学問の世界でも世間の人気を楯にする人がいる。しかしそれが実態である。小沢はその中で「世間で言われることとは異なる」という意向を表現した。政治も学問も信念をもって行われるべきである。


墓参り

2010年09月05日 05時46分20秒 | エッセイ
 なぜか久しぶりに父母の墓参りに行きたくなって急なスケジュールで姉などと一緒に行った。早朝ソウルのホテルから出発して、北上して50キロ、昔は軍事作戦道路であった道路を走りながら、戦争を思い出してしょうがない。私の生まれた家のある小さい村は今繊維工場や牧場になっており、分かりにくく変わっていた。門中という親族の代表役である宗家の子孫だけが残っている。「宗家」とは長男系の家として門中を代表し、共同財産の山などを守るべきなのに、それを私有化し、墓を移転、処理して売り、お金を儲けたので卑しい存在になった。私の父母の墓を移せというが私は譲らない。新著『韓国人の祖先崇拝と孝』を供え物と一緒において拝礼した。古希になって親孝行をする気持ちであった。
 昼過ぎ福岡空港に到着し、今度の絵図研究団の代表である川村博忠先生と茶話をした。彼は戦前朝鮮の京城黄金町(現在乙支路1街)に生まれ、九大でドイツ文学専攻、新聞社記者を経て、歴史地理学へ、そして山口大学、東亜大学の教授などを歴任した。彼の一番の業績といわれるエッセンスは地図製作年代に関する細かい証明だったという。私は韓国のシャーマニズムの南方説など開拓的説が時々盗用されたことなども話た。二人とも研究が面白くてやっているということが大きい共通点であった。

母校のソウル大学訪問

2010年09月04日 05時04分43秒 | エッセイ
ソウル大学校・奎章閣(王宮資料)図書館で朝鮮王朝の古地図を閲覧した。13人がそれぞれの関心から見どころとコメントを言いながら見た。作り方や時代による変化など総合的に読み取る作業が長く続いた。そこでたった2日の前9月1日にソウル大学の教授に任命された嶋睦奥彦氏に会った。彼は古い友人で私を広島大学へ誘い推薦してくれた恩人でもある。彼に私を母校のソウル大学校に推薦したことが恩返しができたことになっているようである。彼に言った。「戦前の秋葉隆教授のように戦後の秋葉のように韓国研究で大いに業績を残してくださいと」。構内食堂で嶋氏と並んで一行がビビンバップを食べた。(写真は奎章閣前で絵図研究メンバー、中央は嶋氏)。東大名誉教授であり、日本で朝鮮史研究の吉田光男氏とは図書館前で偶然に会って歓声を上げた。
 ホテルでは朝鮮日報の元社長・編集局長の印輔吉君と茶話をした。そこには遠く大邱からわざわざ来てくれた崔鐘星と学生、出版社の社長が同席した。印氏の韓国での日本観へ意見が出されたが、中には20年ほど前小沢氏と東京でインタビューした時彼は「朝鮮系だ」と言って朝鮮日報に大きく報道したことがあるという。民主党代表選を前にしている今も話題性のある話であった。
 韓国民俗学の代表的な元老たちの崔仁鶴、李相日、洪潤植が訪ねてきて冷麺の名門「興南屋」で私は二人前を一気に食べた。夕食会がホテルに戻って東亜大学の私の元で研修をした3回目のお客は姜氏家族4人であった。彼の妻は書道家であり、日本でも熱心に練習してMBCテレビ局主催で受賞もした人であり、作品一品をプレゼントしてくれた。私は上げるものがなく、困って彼らが帰った後チョコレートが見つかって子供に上げることができずとても残念である。私の心遣いが足りないと思った。

満足、満腹

2010年09月03日 06時05分01秒 | エッセイ
日本絵図研究グループと一緒に国立中央博物館を訪ね、古地図4冊を見た。中国中心の発想、朝鮮を大きく描いている。中国への憧れが現れている。客観的な地図作成は西洋の地図が入ってからである。途中崔光植館長にも会って談話をした(写真は左から倉地克直、川村博忠、私、館長、杉本史子、平井松午)。午後はソウル市立歴史博物館を見ることになって昼食はそこから近い観象台正門のところで今度二回目の韓定食になった。友人の出版社多楽園の横である。食後会社を訪ねて友人の鄭社長の面会を要請したら6月9日死亡したという悲報を聞いてびっくりしかつ失望した。拙著『親日と反日』を出版してくれたのが私との友情の思い出になる。坂道を下り歩きながら悲しくなった。元朝鮮日報の社長の印君に電話した。回りの人がなくなり、次はわれらの順番になろうか。彼は私に世間知らずでストレスが少ないから長生きするだろうと慰めてくれた。
 夕食は3回目の韓定食が「海南の天一館」で私の読者という医師の金映均氏の配慮で行われた。中村八重、崔錫栄、姜顕秀、徐恵卿夫婦などが参加した。天一館とは民俗調査のとき全羅南道海南でよく訪ねて覚えている有名な食堂であり、昨夜50種類の料理が出されて満足、満腹した。周囲の方々からぬくもりを感じ、幸せを感じた。

明洞

2010年09月02日 05時49分32秒 | エッセイ
 私はここ韓国ソウルの中心地の明洞にいる。日本の歴史地理学者の現地調査に同行して韓国に来ている。仁川空港まで民俗苑出版社の洪鐘和社長が迎えに来てくれた。入管には自動通過もあり、迅速に対応するようになっており、ある韓国人は韓国の仁川空港が世界で一番良いと言っていた。一番とは別に、政府が国民のために社会を変えていっているのを皮膚で感じる。日本が保守、安定的であれば韓国は革新的であろうと感じた。保守と革新は常に必要なものであろう。日韓の調和が望ましい。
 出版社に寄った。この春、社員旅行で下関に全員が来たそのメンバーたちと挨拶を交わした。去年発行したした拙著の『映像が語る植民地朝鮮』の改正版を出すという嬉しい話も聞いた。写真のグレードアップ、内容も増補すると言った。2巻目の著作集についても相談した。夕食は「山内里」で韓定食を食べた。今日は台風7号の中、韓国中央博物館とソウル私立歴史博物館で古地図をみる予定であり、私は付いて行って勉強をすることになる。

祖国訪問とは

2010年09月01日 05時13分19秒 | エッセイ
 アリラン祝祭観光を兼ねる「祖国訪問」に誘われて申請して昨夜説明会があって参加した。そこで私は不合格だといわれた。その理由は北朝鮮に親族がいないことなどが言われた。2000年には親族訪問で行ってきたのにその理由ではないだろう。以前にも2回申請したが朝鮮総連本部から許可が出なかった。。「禁止された国家、フォービデンカントリー(forbidden country)」とはいっても同族として人々と会って話をしたいのに断わられるのはなぜであろうか。コラムや論説などで日本の北朝鮮政策を変えるようにとも主張したなのになぜ断わられるのだろうか。
 しかしだからといって私がこれから北朝鮮や総連に対して反感を持つことはないが独裁が3代も続くのは北朝鮮の人民があまりも気の毒でかわいそうである。戦争や植民地が悪いが、もっと悪いのは自民族を弾圧し監獄化する指導者である。その国家にいささかも外部からの空気をいれることができない閉塞社会がいつまで続くのだろう。開放されることを期待する。