崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

増補版のために

2010年09月28日 04時59分33秒 | エッセイ
1年ほど前に韓国語で出した本『映像が語る植民地朝鮮』が再販されることになり、版型やフォントなども変えるので相当の量を増補しなければならない。その大変な作業をしているが資料が自宅と研究室に分散していることが不便と感ずる。理想的には自宅に資料を全部持ちたいがスペースの問題がある。運転とは縁のない私としてバスを乗り替えて通勤するような大学研究室の資料利用が不便である。運転免許を持っていない不便さがこの頃時々感ずる。中部大学や広島大学では研究室が近い大学の内外に住んだのも幸いであった。定年するときは学問は終わりだと思って多くの本を関連するところに寄贈したが今になって後悔する。
 下関では大学と離れた海辺に住むためである。この夏のような猛暑でも冷房をせず過ごせ、また執筆中に海を眺めながら憩いの場にもなっているので満足している。すべてが揃うことは難しい。道歩とバスでの通勤で人と出会い、観察する時にしている。柳田がバス停であった老人との対話から『先祖の話』を書いたという。そのような人と会えるかもしれないと今日も大学へ向かう。