崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

死刑制度

2010年09月12日 04時02分45秒 | エッセイ
 先日法務省が初めて死刑の刑場を公開したことを契機に死刑制度に関する議論が起きている。私は旅順監獄などで首を吊る刑場を見たこともあり、古くからその制度に対する賛否に関心がある。また安重根が死刑になる映画を分析している。この制度の基本思想は復讐心である。殺された側の復讐心によって殺人が再発生し、殺人が繰り返され、否、増幅して紛争、戦争へまで拡大する恐れさえある。それを防ぐために死刑制度が存在し、その効果のために一罰百刑として死刑を利用したこともあった。
 死刑も刑の一つである。刑とは何か。苦しめることである。社会や時代によっては残酷に苦しめ方も多様である。チベットの曼荼羅には裸にして寒いところにだすか、舌を引っ張る刑がある。地獄図には死後までの刑が表れている。自由を大事にする社会では自由を剥奪して隔離する、終身刑もある。
 戦争などで殺したり殺されたりすることか本当にに残酷なことであり、悲惨ではあるが刑ではない。捕虜は残酷に扱わないようになっている。シベリアに流刑された人がが農業労働やその他強制労働に利用されたこともある。チェーコフは「刑は刑であるべきだ」と反対した。
 苦しめられるより楽に死を選びたい人もいるかもしれない。大罪を犯した者の刑をどうするかを議論すべきであろう。刑務所を住居として利用する人さえあっては困る。復讐と刑の本質を議論すべきであろう。