崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

残すために

2010年09月08日 04時36分21秒 | エッセイ
 友人知人の中に定年退職した研究者が多い。その中のある人は田んぼを買って農業を始めたという。彼らがわが家に来たときは私が育てる花や熱帯植物にも視線を配らなかったのに意外なことである。一本の鉢物でも水と光、温度、肥料、虫除け、土などの管理には知識と経験が必要なのに農業はそれほど簡単にできるものであろうか。畑仕事もただ時間があるからできるものではない。ただ好きでやる園芸のようなことをすることと農民とは異なる。彼らはそれは健康のためだという。
 退職などで研究をやめてしまうということは研究が好きでやっていたことではないということになる。彼らの中には私になぜ研究を続けるかと聞く人もいる。ただ好きであるからと答えても物足らず「残すためだ」といってしまった。「残して何になるのか」と寓話のようになった。実は生き方の究極の点に至る。私は死後も人に記憶されたい。神は認めてくれると信じている。今、著作集の2号を「キリスト教とシャーマニズム」をテーマに準備している。不特定な人に残すために・・・。