崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

中国調査から帰国

2007年09月14日 07時08分27秒 | エッセイ
 昨日4泊の中国調査から帰国した。十数回も調査をして、調査地をサハリンにしてからほぼ7,8年ぶりになる。調査旅行には広島大学で博士号をとり、現在広島女学院大学等の非常勤講師の金俊氏が同行して案内と通訳をしてくれた。感謝したい。報道されているように中国の発展ぶりが感ずる。大連では広島大学留学生であった大連理工大学の副教授の孫蓮花氏と大連外国語学院大学の副教授の金龍氏に発展の街である海岸に案内され、翌日、現在観光化されている戦前日本人住宅街を歩いてみた。長春でも広島大学留学生の許春蘭氏の夫婦の案内で旧満州映画協会建物が現在観光化されている現状をみた。また北京では広島大学留学生であって、現在民族出版社に勤めている金在国氏の案内で瑠璃庁、日本食堂、マテオリッチ(Matteo Ricci)神父が建てたカトリック教会などを調査した。多くの弟子たちとその親族や友人には大変お世話になった。お陰様で疲れたけれども充実した調査ができたことに感謝し、満足している。

私はミミになりたい

2007年09月12日 07時18分52秒 | エッセイ
このところ仕事で肉体的に疲れを感じている。朝五時に起きてミミと散歩し、朝すべき家事をして、仕事にでかける。そして精一杯がんばって仕事をして帰宅するとミミが遊んでほしいとねだる。私が仕事をしている間、ミミは昼寝と軽い運動をしているようで、靴やらスリッパ、お風呂場のタオルやせっけん箱、いろいろのものがリビングに移動している。それをかたずける暇もなく、夕食の準備を始めると「早く食べたい」とねだる。ミミに言いたい。「一日でいいから私がミミになりたい。」と。

愛されるもの

2007年09月11日 06時54分11秒 | エッセイ
愛犬ミミの行動を見ていると「愛されている」という自信に満ちている。散歩に出ると道行く人に近ずき、足もとからじっと相手の顔を見上げてしっぽを振る。ほとんどの方は笑顔になってミミをなでてくれる。ミミはそれだけで満足しており、人間も「かわいいですね。」とか「おお元気な犬だね。」といい、私は「ありがとうございます。」という。この何でもないようなことから元気が出たり、幸せな気分になったりする。この犬を見ていると「君は愛されるために生まれた」という歌を思い出す。まさに私たち人間も神様から愛されるために生まれたのにミミのように人を穏やかな気分にするのではなく、争いやうそ、妬み、苦しさ、悲しさがあまりにも多い日々である。私たち人間も愛されているものとして本当に幸せや平和を作り出す人として存在したい。

ミミと留守番

2007年09月10日 08時12分39秒 | エッセイ
ミミとの留守番が始まった。ミミがいつもより元気がなくてこちらも寂しさを感じてしまう。中国に出張中の主人から電話が入るが、通じたり通じなかったりで、まだうまく海外で携帯電話を使えないようだ。上手に使えるようになったら帰国する時期になるとおもう。

久しぶりに中国へ

2007年09月09日 06時21分47秒 | エッセイ
 以前、中国の南西部、東北部など十数回調査に歩いてから久しぶりに今日中国に調査旅行に出る。目下中国製品は不信視されているが、以前の経験ではガイドさんなどに対する不信感が問題になったことを思い出す。私の調査は常に個人行動だったので当然のように賄賂の要求、嘘など、辛かった体験が多かったが、今は懐かしく思われる部分もある。唯物主義社会から民主化にならず、資本主義だけを開放している中国の経済が発展しているという。この度は経済の発展より精神文化の面においてどのように変化したかに注目したい。またこの調査地に広島大学に留学し帰国して教鞭をとっている弟子たちがいるので、彼らに会うことも楽しみにしている。

韓国の祭祀に日本の酒

2007年09月08日 06時45分13秒 | エッセイ
 韓国の儒教祭祀の「献盃」に日本の酒を使用することに反感を持っている人がいる。私の家系では濁酒のマッカリを使ったが家系によっては焼酎、清酒「正宗」、ウィスキーやビールなどまで使う。もちろん私の家系ではそれは儒教祭祀の礼法を知らないからだと思ってきた。しかし全国的には植民地時代に広く普及した日本の酒の一ブランドであった「正宗」を献盃するようになった。今の韓国反日状況から考えると非常に矛盾として感ずるはずである。しかしそれだけではない。先日調査に行った巨文島では戦後日本の神社を壊したその場に韓国の儒学者の銅像を建てた。その基礎を観察してみると神社の石段が使われている。それも矛盾であろう。それは否定できない歴史の連続性を物語るのである。

「北朝鮮は楽園」

2007年09月07日 06時31分25秒 | エッセイ
 日帝時代に日本人が作ったという北朝鮮の第二の都市「兼二浦」(現在の松林市)の現状をみるために総連を通して訪朝願いを出して数か月になって、不許可となったと連絡を受けた。理由は洪水の被害のために私を迎える状況ではないという。昨日北朝鮮はスパイ逮捕も発表した。一個の学者の旅行を認めないほど鎖国している。国際化時代という言葉では想像できない、「井戸の中の蛙」式「楽園」を叫んでいる。私は以前、若い青年から訪朝した印象を「祖国はやはり楽園でしょう」と聞かれて驚いたたことがある。彼自身がそう思っていないのか、あるいは彼は北朝鮮が楽園と思っており、私に同意を求めたのか私は戸惑った。しかしはっきり言ってあげたほうがよいと思い、他国は豊かな国になっているというと、彼はアメリカのお金を借りるなら北朝鮮もできるという。その時、彼の考え方は「自力」「自主」の価値を尊重する「主体思想」であることが分かった。

日韓における海苔文化

2007年09月06日 06時50分14秒 | エッセイ
 先日麗水で韓国の元群山大学教授の樹奐氏を招き「日韓における海苔産業」という題で講演していただいた。彼は、世界中海苔の文化は日韓両国しかないと言い切った。大部分の日本人の観光客は韓国のお土産として海苔を買う。これは他の国の観光客にはない風景である。私は中国やロシアに海苔をお土産にもって行って失敗したことがある。海苔文化とは広くワカメ、昆布などとともに食材、料理法、食べ方、儀礼など関わることを意味する。ワカメや昆布などは他の国でも食べるが海苔は日本と韓国に限る。植民地期に日韓の専門家によって養殖法も開発されたようである。日韓において海苔文化も細かく見ると異なる点も多い。その比較研究も期待したい。

日本人の被害者意識

2007年09月05日 07時32分54秒 | エッセイ
 一昔前、多くの日本人は韓国の反日感情の現象をみて、なぜ韓国人は日本植民地を忘れずにしつこく被害者意識を持つのかと疑問を投げた。しかし目下、北朝鮮への日本の対応においては日本人の被害者意識が強すぎるとは思わないのだろうか。韓国などには戦前の辛い体験を持っている生存者も多かったし、現在も多い。それでも当時、朴大統領は日韓国交正常化を成し遂げて、自由市場経済を発展させ現在に至ったのである。実に未来志向の政策であった。それだけでも政治家の偉大な決断であった。今日本は日朝国交正常化を拒む階層が厚い。しかし未来を考えるなら早く日朝国交正常化をして東アジアの繁栄を日本が先導すべきである。そうしながら人権問題を処理していくべきであると思う。

「惻隠之心」

2007年09月04日 06時19分34秒 | エッセイ
 朴仙容氏が紹介してくれた資料の戦場で起きた日本軍人の体験談は残虐このうえなしで読み切れなかった。大学時代に漢文講読時間で学んだ孟子の「惻隠之心」を思い出した。それは「他者を見て、いたたまれなく思う心」である。つまり残虐なことを思うことも我慢できない心である。孟子は、これが人間の本姓の性善説であるという。この戦場の告白談を読むと孟子の説とは真反対に人間性は本質的に悪いと思われる。たくましい「男らしさ」を作ってきたわが社会に私は悲観的になる。強い男よりはむしろ弱虫の人間の教育がましであるとも思う。 

池に溺れた事故死

2007年09月03日 06時00分13秒 | エッセイ
 池に溺れた事故死の記事を読んで私の周りにも危険なところがいかに多いかと思った。私は朝鮮戦争後小学生の時、戦前に恐れられた西大門刑務所の破壊された跡の傍の池で泳いだことがあった。そこは処刑された死体を沈めたとかなどの話を聞いていたがそれを信じなかった。ただ周りに泳げる池がなくて、そこが泳ぐのによい池だと思ったから、そこで遊んだのである。今から考えるといかに危険なところで遊んでいたかを思うとぞっとする。韓国では運が悪い人は皿の水でも溺れて死ぬという。死ぬような危険なところはどこにも多くある。行政的にはその危険を防ぐことが必要であるが、なにより必要であると思うのは子供たちが危険に関しても自己管理をする力を教えることであろう。

韓国キリスト教への批判

2007年09月02日 05時23分58秒 | エッセイ
 目下韓国キリスト教への批判は激しい。それは韓国のキリスト教の急成長への批判とも思われる。近代以来韓国キリスト教の急成長の原動力の一つは積極的な宣教活動にあった。セールスマンよりしつこく宣伝したのがある程度成長に効果を出して、信者を増やしてきたのは事実である。しかし一方では多くの韓国人に強い抵抗感を抱かせてきた。海外宣教もほぼ同様な方式で行った。イスラム教やユダヤ教の社会にも宣教を企て、多くの宣教師を派遣した。そこでアフガン問題が起きた。それは国際的な問題であり、国内ではキリスト教へ韓国人の抵抗感が爆発するようになった。ハンナラ党の大統領候補がキリスト教の長老であることもあって政治やキリスト教会への影響が予想される。これを機会に量的に成長した韓国キリスト教会においてこれからは質的に信仰を反省する契機にしてほしい。

朝青龍の表情から

2007年09月01日 06時17分23秒 | エッセイ
 スポーツ選手は勝ち負けを繰り返しながら成績を積んできたはずである。朝青龍も勝ち負けに強いはずである。しかしこん度の表情は負けに耐えられないように見える。彼の表情からは相撲界や日本人の一連の措置について納得がいかないように感じ取れる。彼はどうしても優勝を連続する自分を、スポーツ選手をスポーツ外のバッシングで除去しようとすることに納得がいかないと思われる。日本のマスコミはそれを言う人はおらず、口を揃えて日本の文化の基準で彼を批判する。「軽率」な行為は「軽罰」でよいのではないだろうか。一番強い選手を排除しての相撲ゲームは面白くない愚かな見世物にすぎない。朝青龍へのバッシングを越え、国技の相撲自体の殺しになるかもしれない。