昨日は敬老の日であった。韓国では母の日、父の日、先生の日などを総合したものが日本の敬老の日になるようである。若者は高齢化社会への負担を感じ、高齢者が無能力層のように感じるかもしれない。しかし個人の立場から考えると高齢期は人生の結末で、幸せに暮らしたいと希望の固まった時期である。高齢者や障害者などが幸せに暮らせることは良い社会の象徴である。それは老人だけのものではなく、若者自身のことでもある。年を取ってから自分の老人問題を考えては遅すぎになる。「敬老」は実に若者自身の問題であることを知ってほしい。
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