崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「講義」

2014年09月23日 05時33分40秒 | 旅行
 長い夏休みが終わり、明日から講義が始まる。長い休みといっても盆休みでも研究室でインタビュー、勉強会、作家佐木隆氏宅訪問するなどをし、また、韓国での調査旅行、翻訳などを行っていて忙しく過ごしていて後期の講義が新しく始まるというような実感がない。わが家のリビングは家内と向かい合ってコンピューターを置いて仕事をしている。私が草稿したものを家内がリライト、校正する。まるでミニ出版社のようである。しかし開講が明日からはじまるとなるとその準備も並行してしないといけない。先日韓国の申栄福氏から9.11というサイン入りの本と手紙を送っていただいたその著書『講義』を開いている。2004年初版で38刷にもなっている。彼の『監獄からの思索』は全国民の愛読書のようになっている。1960年代から彼の文章力を知っているが、常に深い思索に刺激されている。
 『講義』も監獄からの話が基になっている。彼は淑明女子大学の講師から、私は高校の教師から陸軍士官学校の教官となった。訓練期間中や教官の時も、社会奉仕活動も一緒にしたことがある。1968年彼が朴大統領独裁政権の転覆を図ろうとしたとする罪で無期懲役、20年20日間服役して出た。出所して聖公会大学で教鞭をとり今に至っている。その時代の罪による懲役は私は全く信じていない。数々のスパイ事件、北朝鮮のダム放水、海上の漁民らちなどなど無限の事件は私はかなりの嘘やごまかしがあると思っている。今まで北朝鮮が掘ったというトンネル観光さえも全く信じない。彼の罪を信ずる国民は一人もいないだろう。
 彼の刑務所での青春、中年時代までの冤罪というか、その恨みや欝憤を国民が代わりに払ってあげる気分である。有能な人材を刑務所に入れたその大統領の娘がまた大統領になっている矛盾は土をたたきながら慟哭すべきであろう。しかし彼自身は刑務所によって人生が潰されたわけではない。監房の中を宇宙にして人との出会い、偉大な思索をして、まるで世俗から離れた聖なる空間で悟ったような偉大な人になったのである。以前彼が監房の窓から見たネズミ、タンポポの花、列車の汽笛など如何して平然と社会が動いているのかと書いた文を読んでいまだに忘れられない。個人の危機、恨みとは縁のないような世俗社会の存在に根本的な疑問を投げている。『講義』では論語など中国の古典を以て思索している。同じ監房で4年間一緒にいた漢文学者との暮らし、『監房からの思索』の文に出会う。私の講義はどうであろうか。気になってきた。

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