崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

中国新聞文化部記者の伊東雅之氏のニュース記事

2013年06月24日 06時07分38秒 | エッセイ
作成者: 伊東 雅之さん

☀ニュース(뉴스)
朝鮮戦争を10歳の時に体験された崔吉城(チェ・ギルソン)・東亜大教授の講演「朝鮮戦争と私」が6月22日、下関市の同大であった(左写真)。いち少年の目を通して語られる朝鮮戦争は、我々の想像とは異なった側面も持ち、とても興味深い話だった。
幾つか挙げてみると...
☆開戦直後、東豆川(トンドゥチョン)==開戦まで南北を分けていた北緯38度線のすぐ南の町==近くの故郷からソウルを越え、南へ南へと避難したが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。避難といっても、自分たちよりはるか南を猛スピードで進撃する北朝鮮軍の後を追うような奇妙な形の避難。結局、初めて見た兵士は、反撃して北進する国連軍だった。
☆故郷が再び北に占領された間、北を支持する青年たちに「金日成(キム・イルソン)将軍の歌」を覚えさせられ、木銃を担いで行進の練習もさせられた。北の手先となった人は、国連軍の再占領時に銃殺された。
☆北支援で参戦した中国義勇軍は、当初うわさに上った性暴力のような行為はなく、むしろソフトな感じがし、住民たちも徐々に親しみを持つようになった。駐屯中は私たちと遊ぶことも。兵士といっても15歳前後。何かいたずらをして泣かれたことがあり、その時は「なんて弱い兵隊だ」と思った。
☆性暴力がひどかったのは、むしろ国連軍側だった。地元の少女に対する英国軍兵士の行為は、今も記憶に残っている。などなど。
右写真は、「東亜大学東アジア文化研究所」での崔吉城教授。教授は所長も兼務されている。ここには韓国・朝鮮関連の書籍も多い。

私の古い写真

2013年06月24日 05時04分38秒 | エッセイ
 昨日教会である二人の女性から私はいつも笑顔で平和な表情で不満がなく、怒ることはないでしょうと言われた。最近そのようなことが他の人からも指摘されたことがあって本当かなと思うようになった。しかし1980年セマウル指導者研修の40歳の私の古い写真を見つけたので、見ると私の顔の表情が暗く印象が悪い。ほんとうに私の表情は変わったと実感した。何故変わったのだろうか。
 昨日の朝9時半過ぎに我がマンションで火事の警報が鳴り、隣人などが避難態勢、消防署員が出頭するなど大騒ぎ、家内は素早く犬を抱いて、どこが出火場所かを確認しに出て誤報のようだと知らせてくれた。何を持って逃げるかも考えていたというが私は何も危機感を感じなかった。火事の警報に危機感を持たない私が危険ではないのか、反省している。私の平和な表情(?)は俗世を解脱した釈迦や仏に似つつあるわけではなく、単に鈍感になっていくだけではないのか心配になる。(写真はただ三日前中国新聞の伊東雅之氏が撮ってくれたもの)