作成者: 伊東 雅之さん
☀ニュース(뉴스)
朝鮮戦争を10歳の時に体験された崔吉城(チェ・ギルソン)・東亜大教授の講演「朝鮮戦争と私」が6月22日、下関市の同大であった(左写真)。いち少年の目を通して語られる朝鮮戦争は、我々の想像とは異なった側面も持ち、とても興味深い話だった。
幾つか挙げてみると...
☆開戦直後、東豆川(トンドゥチョン)==開戦まで南北を分けていた北緯38度線のすぐ南の町==近くの故郷からソウルを越え、南へ南へと避難したが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。避難といっても、自分たちよりはるか南を猛スピードで進撃する北朝鮮軍の後を追うような奇妙な形の避難。結局、初めて見た兵士は、反撃して北進する国連軍だった。
☆故郷が再び北に占領された間、北を支持する青年たちに「金日成(キム・イルソン)将軍の歌」を覚えさせられ、木銃を担いで行進の練習もさせられた。北の手先となった人は、国連軍の再占領時に銃殺された。
☆北支援で参戦した中国義勇軍は、当初うわさに上った性暴力のような行為はなく、むしろソフトな感じがし、住民たちも徐々に親しみを持つようになった。駐屯中は私たちと遊ぶことも。兵士といっても15歳前後。何かいたずらをして泣かれたことがあり、その時は「なんて弱い兵隊だ」と思った。
☆性暴力がひどかったのは、むしろ国連軍側だった。地元の少女に対する英国軍兵士の行為は、今も記憶に残っている。などなど。
右写真は、「東亜大学東アジア文化研究所」での崔吉城教授。教授は所長も兼務されている。ここには韓国・朝鮮関連の書籍も多い。
☀ニュース(뉴스)
朝鮮戦争を10歳の時に体験された崔吉城(チェ・ギルソン)・東亜大教授の講演「朝鮮戦争と私」が6月22日、下関市の同大であった(左写真)。いち少年の目を通して語られる朝鮮戦争は、我々の想像とは異なった側面も持ち、とても興味深い話だった。
幾つか挙げてみると...
☆開戦直後、東豆川(トンドゥチョン)==開戦まで南北を分けていた北緯38度線のすぐ南の町==近くの故郷からソウルを越え、南へ南へと避難したが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。避難といっても、自分たちよりはるか南を猛スピードで進撃する北朝鮮軍の後を追うような奇妙な形の避難。結局、初めて見た兵士は、反撃して北進する国連軍だった。
☆故郷が再び北に占領された間、北を支持する青年たちに「金日成(キム・イルソン)将軍の歌」を覚えさせられ、木銃を担いで行進の練習もさせられた。北の手先となった人は、国連軍の再占領時に銃殺された。
☆北支援で参戦した中国義勇軍は、当初うわさに上った性暴力のような行為はなく、むしろソフトな感じがし、住民たちも徐々に親しみを持つようになった。駐屯中は私たちと遊ぶことも。兵士といっても15歳前後。何かいたずらをして泣かれたことがあり、その時は「なんて弱い兵隊だ」と思った。
☆性暴力がひどかったのは、むしろ国連軍側だった。地元の少女に対する英国軍兵士の行為は、今も記憶に残っている。などなど。
右写真は、「東亜大学東アジア文化研究所」での崔吉城教授。教授は所長も兼務されている。ここには韓国・朝鮮関連の書籍も多い。