崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

風呂の中で若い女性

2013年06月04日 05時18分54秒 | エッセイ
 昨日下関のロータリークラプの月例会が東亜大学で行われ、そのメンバーが東アジア文化研究所を訪づれることになった。朝から掃除と整備をして待っていた。三十数名の方々がニ回に分かれて訪問して下さった。どんな印象を受けられたのだろうか。市民にオープンしているのかなどの質問があり、知らなかったと言われた。私は写真を撮るつもりでスマーフォンカメラを手にしていたのに撮ることを忘れてしまって残念であった。突然の訪問者にあわてて掃除や整備をし、お客さんを迎えることは家庭でも多くあることである。それは醜い自分をそのままみせたくないこともあるが、見せかけのためだけではない。相手を尊重する心使いという意味が大きい。大げさにいうと聖書には「新婦が新郎を迎えるように」と、その心構えを教えくれる。
 午後福祉施設の一つである満珠莊のお風呂で初めて憩いの時間を持った。客は数人だけで、関門大橋の眺めの絶景、完璧に掃除、整備されている。男性の風呂の中ほどまで若い女性職員が入って片づけたり挨拶をしたりした。40年ほど前の留学時の大衆浴場の光景の驚きを思い出した。家でも裸になることはないが、私は日本文化に慣れたのか、風呂の中で若い女性に会っても平気だった。これはどんな意味?老人となったせい?…。話を聞いてみると客が少ない時に特に高齢の方の滑り事故などの防止に心掛けているという。よい建物の施設だと思ったが、その上に良い心遣いを持っている施設だと思った。贅沢な施設に客が少ないので営業を心配する人もいるだろうが、日本の老人は幸せであろうと思った。