私は朴正熙軍事政権の下で生きてきた者として、それに言及するとそれを体験していない人から非難されることがある。当時北朝鮮は朴政権を「極悪無道な傀儡」と言っていた。今も人権意識の強い人はそう言っている。過ぎ去った過去を研究する学者もその当時を生きた人より過激になる傾向があるのではないだろうか。私は1980年代、日帝時代を体験した人を調査したことがあり、それによると日本植民地を体験した人よりそうではない世代がより反日的であった。
今月(6月)22日は朝鮮戦争終戦60周年を語るつもりである。国連軍の性暴行にも触れなければならない。私はすでに対談集『これでは困る韓国』などで言及したが、国連軍の性暴行は事実である。その意味でいわば従軍慰安婦の証言は事実であろうと思う。実際私は北朝鮮で開かれたアジア慰安婦たちの糾弾大会に参加し、直接聴取し、若干インタビューしたことがる。彼女らの言うことは「騙されて連れて行かれた」ということが共通のことばであった。ただ彼女らを引率していた尹明玉氏と個人的な対話から彼女は挺身隊そのものが従軍慰安婦のように語り、証言した慰安婦より彼女の表現が過激であった。その時は経験者より他者によって、より要領よくまとめられて過激に表現されると感じたものである。
私を含め韓国の民族主義の濃い民俗学者たちが調査してもただ一件も聞いたことのない「従軍慰安婦」の話は日本発信(『朝日新聞』の報道)で、韓国に伝えられ、反日感情が高まり、日韓の政治的問題となった。韓国のMBC放送のドラマが反日感情を煽ったのは周知である。日本政府は日韓関係が重要であるから歴史的事実の「強制連行」を立証する資料は無かったとしながらも「河野談話」を発表した。河野談話では「日本政府が強制したということは認めたわけではない」が、日本軍の要請を受けた業者によって女性が意志に反して集められ、慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」ことは認めた。
橋下発言はこの談話以前の、より根本的な問題、いわば日本は軍制として性犯罪に関わったかのかの問題に言及したことである。性は「戦争中軍につきもの」のような発言で問責まで問われたのである。
私は朝鮮戦争の時、国連軍が性暴行したことを経験的によく知っている。私の経験から「命を国家のために捧げる」という軍人は平和時代の一般人とはかけ離れた状況であった。日本人は常に原爆などの被害者として主張を強くしているが、加害者として戦争への反省と責任は問われるべきである。しかし「慰安婦」発言一つで政治家を虐め殺すようなことにむしろ「慰安」したくなる。魯迅の「阿Q正伝」に比喩されたような噂殺しの村社会性は脱皮すべきではないだろうか。
今月(6月)22日は朝鮮戦争終戦60周年を語るつもりである。国連軍の性暴行にも触れなければならない。私はすでに対談集『これでは困る韓国』などで言及したが、国連軍の性暴行は事実である。その意味でいわば従軍慰安婦の証言は事実であろうと思う。実際私は北朝鮮で開かれたアジア慰安婦たちの糾弾大会に参加し、直接聴取し、若干インタビューしたことがる。彼女らの言うことは「騙されて連れて行かれた」ということが共通のことばであった。ただ彼女らを引率していた尹明玉氏と個人的な対話から彼女は挺身隊そのものが従軍慰安婦のように語り、証言した慰安婦より彼女の表現が過激であった。その時は経験者より他者によって、より要領よくまとめられて過激に表現されると感じたものである。
私を含め韓国の民族主義の濃い民俗学者たちが調査してもただ一件も聞いたことのない「従軍慰安婦」の話は日本発信(『朝日新聞』の報道)で、韓国に伝えられ、反日感情が高まり、日韓の政治的問題となった。韓国のMBC放送のドラマが反日感情を煽ったのは周知である。日本政府は日韓関係が重要であるから歴史的事実の「強制連行」を立証する資料は無かったとしながらも「河野談話」を発表した。河野談話では「日本政府が強制したということは認めたわけではない」が、日本軍の要請を受けた業者によって女性が意志に反して集められ、慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」ことは認めた。
橋下発言はこの談話以前の、より根本的な問題、いわば日本は軍制として性犯罪に関わったかのかの問題に言及したことである。性は「戦争中軍につきもの」のような発言で問責まで問われたのである。
私は朝鮮戦争の時、国連軍が性暴行したことを経験的によく知っている。私の経験から「命を国家のために捧げる」という軍人は平和時代の一般人とはかけ離れた状況であった。日本人は常に原爆などの被害者として主張を強くしているが、加害者として戦争への反省と責任は問われるべきである。しかし「慰安婦」発言一つで政治家を虐め殺すようなことにむしろ「慰安」したくなる。魯迅の「阿Q正伝」に比喩されたような噂殺しの村社会性は脱皮すべきではないだろうか。