崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

有難うございます

2013年06月18日 04時06分07秒 | エッセイ
写真は中村八重氏からの花
昨日は私の誕生日、朝食は韓国の祝いの習慣によりワカメスープを食べた。誕生日とは非常に私事ではあるが、「命」を大事にするという普遍的な価値観を表すものある。ブログやFBに書いてしまって多くの方からお祝いの文、電話、花(写真)、記念品などをいただき、恐縮している。そして心から感謝している。最近FBなどを通して誕生日のお知らせを受けても即お祝いのことばを発しなかった自分の鈍感さを考えると、申しわけない気持ちにもなる。いただいた祝辞のことばはほぼ「健康と活躍」であり、それは決まり文句のようであるが、いただくと新しく活きた言葉として励ましを感じます。ある人は「高齢の方とは思わなかった」とか、またある人は「活躍ぶり」をほめてくれた。またある人は娘の誕生日と同日であり、電話で祝ってくれた。弟子、出版社社長、言論社の新旧支局長と記者、国会議員、知人、友人、同僚、親戚、芸人などからのお祝いに感謝している。しかし一部の人には自分の片思いのような物足らなさも感じる。なぜは彼(女)は一言も言ってくれないのかという心が残る。こんな気持ちから人間関係がこじれてしまうかもしれない。ここに人間関係の重要な原理、愛する心の基礎の発見のような悟りも感じる。無言の方々の祝い(?)にも感謝すべきでしょう。
 お祝いの言葉を兼ねて新宿大久保のへィトスピーチについて聞かれた。、語源をまだ調べていないが、私はラブ・アゲイニスト・へイト(Love against Hate)を思い出す。人は愛しながらも一方では憎むこともあろう。へィトスピーチは同居する在日朝鮮人、ニューカマーなどに対する日本人のヘィト(憎悪)から起きた現象である。それは日韓関係のこじれによって起きたのであろう。戦争や危機の時、日韓の両民族の間で起きた悲劇的な事件、関東大震災と樺太での虐殺事件などが教訓である。愛憎の問題、愛の本質を考えてほしい。