崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

朝鮮戦争を語る

2013年06月23日 04時59分14秒 | エッセイ
昨日東亜大学で「朝鮮戦争を語る」という題で講演をした。日本、韓国を結ぶ会の主催で公開し、25人ほど集まった小人数の会であった。参加者全員の紹介とフリーディスカッションで幅広く議論することが出来た。私の話はただの証言ではなく、記憶の持ち方など戦争をめぐる平和観などを語った。皆さんから質問などによって気がついたことも多くあった。しかし小さい問題ではないことを話した。録音しておいた方が良かったのではないかと後で言われた。幸い、広島から中国新聞文化部の伊東雅之記者と、下関の長周新聞の竹下一記者が参加していたので記録した名文を期待するしかない。 
 私は朝鮮戦争を体験したのは38線近くの生まれ故郷で(地図の黒点)韓国の国軍以外に北朝鮮の人民軍、中国の支援軍、国連のUN軍の駐屯などによる村での被害と変化に関するものであった。宇部から参加された広島市立大学教授の堀研家族のコメントに下関ではこのような重要なイベントになぜ人が集まらないのかと言う言葉もあった。
 朝鮮戦争で私が関わった略年表は1950年6. 25.人民軍の南侵、6. 25 ー6. 26. 議政府戦闘、6. 28ー 7. 3. 漢江戦闘、9. 15. 仁川上陸、9. 28. ソウル復帰、10. 1. 国連軍, 38線突破、11. 5.中国・支援軍と交戦、12. 26.中国軍38線を超えて南へ、1951年1. 4.ソウル 占領‘1•4後退’、2. 10. 国連軍仁川へ、3. 14. 国連軍, ソウルへ、3. 24. 38線突破、東豆川などに米軍キャンプ駐屯である。私の北朝鮮の3か月間(1950年6月~9月)、中国支援軍の3カ月(1951年1月~3月)、国連軍の2カ月(3月~5月)の直接体験である。1951年ソウルの蓬莱国民学校5年生へ編入、母のいる故郷に帰省するたびに見聞したものである。
事例1)M女は(下の図)38線以北から難民として私の父を頼りに一家が朝鮮戦争勃発前に我が家に来られた家族の長女である。共産主義者の青年と村内で恋愛、北朝鮮の占領期間中に内務所に勤務し、韓国国軍に性暴行や拷問され、妹の一人は戦争中行方不明、もう一人は米軍相手の売春婦、西洋人の子供を産んで、母子共事故死、彼女の母と父の姉の伯母も売春婦になり、一家が売春家になって後に村を離れざるえなかった。
 事例2)のOX女は国連軍の性暴行から防衛のために売春婦を招いた時30余名の売春婦「洋カルボ」の中の一番歳上だった女性である。彼女は米軍キャンプが移動しても村に残り農民として定着して村人から還暦祝いなど受けて、死んで葬儀きまで済まされた。村人は戦時中は50歩100歩の体験をしたので恥ずかしい過去に拘らず差別もなく、暮らすことが出来た。これについては日本とは違うという意見が出た。
 事例3)のX母はソバ畑に陳した米軍キャンプに行って抗議して賠償してもらった物を売り大金持ちになった例である。村人は米軍とは常に付き合いの態勢をして、後には米軍の移動には反対をしたりしていた。
 最後に政治的な話に広がりそうな時、時間もかなり過ぎており、会を閉じた時には16時間半になっていた。会が終わっても研究室で話は続き、疲れも知らず全体で4時間かかった証言であった。これが最後の証言であろう。


FBから伊東雅之氏の文をシェアします。
近況アップデート

作成者: 伊東 雅之さん

☀ニュース(뉴스)
朝鮮戦争を10歳の時に体験された崔吉城(チェ・ギルソン)・東亜大教授の講演「朝鮮戦争と私」が6月22日、下関市の同大であった(左写真)。いち少年の目を通して語られる朝鮮戦争は、我々の想像とは異なった側面も持ち、とても興味深い話だった。
幾つか挙げてみると...
☆開戦直後、東豆川(トンドゥチョン)==開戦まで南北を分けていた北緯38度線のすぐ南の町==近くの故郷からソウルを越え、南へ南へと避難したが、一度も北朝鮮兵を見ることはなかった。避難といっても、自分たちよりはるか南を猛スピードで進撃する北朝鮮軍の後を追うような奇妙な形の避難。結局、初めて見た兵士は、反撃して北進する国連軍だった。
☆故郷が再び北に占領された間、北を支持する青年たちに「金日成(キム・イルソン)将軍の歌」を覚えさせられ、木銃を担いで行進の練習もさせられた。北の手先となった人は、国連軍の再占領時に銃殺された。
☆北支援で参戦した中国義勇軍は、当初うわさに上った性暴力のような行為はなく、むしろソフトな感じがし、住民たちも徐々に親しみを持つようになった。駐屯中は私たちと遊ぶことも。兵士といっても15歳前後。何かいたずらをして泣かれたことがあり、その時は「なんて弱い兵隊だ」と思った。
☆性暴力がひどかったのは、むしろ国連軍側だった。地元の少女に対する英国軍兵士の行為は、今も記憶に残っている。などなど。
右写真は、「東亜大学東アジア文化研究所」での崔吉城教授。教授は所長も兼務されている。ここには韓国・朝鮮関連の書籍も多い。