崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

号と名前

2010年11月30日 05時55分23秒 | エッセイ
 韓国国立国楽院から私が寄贈した巫俗資料を展示すると言うことでコレクション名を求めてきた。つまり名前の前に「号」をつけたコレクション名、たとえば「○○崔吉城コレクション」という名称のことである。韓国では一般的にある程度世間に知られた人は自他により芸名のような「号」を作り本来の名前の前に付けて使っている。それは韓国では目上の人の名前は呼称はもちろん名称としてもタブー視するネームタブーがあるからであり、タブーのない号を使おうということである。ちなみに王様の名前は見ることも書くこともできないように隠している。
 私は文学少年時代に「雲山」などと自作していたが忘れてしまった。その後世俗的な格好付けの慣習と思って、やめた。朝鮮戦争で戸籍が焼失し、自分で作った名前「吉城」を号のように愛用することとにした。「吉城」という落款も使っている。しかし私を名前のファーストネームで「キルソン」(吉城)と呼ぶ人は高校以下の友人しかいない。その名前を号として呼ぶ人はいないであろう。考えた末に「崔吉城コレクション」と名づけて、新しく顔写真(写真)をつけて略歴などを送った。読者が国立国楽院を訪れる機会があったらご覧になって欲しい。