今年19回目の韓国語弁論大会は「日韓の祭りだ」と評した。私は6回目の審査委員長をさせていただいた。海峡歌合戦などと時間がダブっていたにもかかわらず満席であった。12時から6時まで韓国料理のバイキング、記念式、弁論、カラオケ、日本舞踊、合唱などメニュが多様であり、雰囲気全体が祭りのようだったからである。弁士全員が韓国のチマチョゴリを着た。弁論の中にはヨーガ体験があり、観客が手を合わせて一緒に動くなど全体が反響して面白かった。弁論では韓国語を学ぶために映像、旅行、交流などの機会を利用する話、竹島など政治的問題に困ったことなど、言葉だけではなく、状況が深化していくという内容であった。民団々長の韓氏は「今までで一番良かった」と評した。
私は冒頭に19回目と続いている点から「時間はただ流れるものではない。時間は人を成熟させていく」。この弁論大会も深化、多様化していくと好評をし、審査委員長賞を授与した。時間は人を死なせると言う言葉は押えた。帰宅して、食事中に家内の姉の夫が危篤であると連絡があり、ショクを受けた。回復を祈るしかない。死は他人ごとではない。自分のことも合わせて、死の順番は決まっているわけではないが誰にでもあることである。受け止めるしかない。最近友人、知人の病気や死の知らせが多い。「時間は残酷でもある」。「この辺で良い」時に去って行きたい。
私は冒頭に19回目と続いている点から「時間はただ流れるものではない。時間は人を成熟させていく」。この弁論大会も深化、多様化していくと好評をし、審査委員長賞を授与した。時間は人を死なせると言う言葉は押えた。帰宅して、食事中に家内の姉の夫が危篤であると連絡があり、ショクを受けた。回復を祈るしかない。死は他人ごとではない。自分のことも合わせて、死の順番は決まっているわけではないが誰にでもあることである。受け止めるしかない。最近友人、知人の病気や死の知らせが多い。「時間は残酷でもある」。「この辺で良い」時に去って行きたい。