崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

大往生

2010年11月01日 05時44分54秒 | エッセイ
 明後日(3日)東大の先端技術センターで行われる「がんフォーラム」のパネリスト役が気になってメンバーの一人である永六輔氏著の『大往生』を読んだ。「老い」「病い」、「死」に関わる寸言を拾ってことわざや詩的に自在に並べてある。一行か二行のものが多い。内容も軽いものから重いものもある。まるでユダヤ教のタルムードを読むような印象がある。「フルコースは薬呑みで終わる」「他人に親を押し付けやがって、面会に来て孝行面」「老いは平等、病いは不運」「畳の上で死にたい」など人生の知恵が綴られている。死へのまなざし、生の尊さを照らし出している。
 死をどう迎えるか。ヒントン氏の『死』の冒頭には教職を引退した女性はガンによる死を受け入れて死ぬが、クリスチャンの男性は死を拒絶、否定して苦しい死に方をした例が紹介されている。看護師の家内の経験談ではガンと告知されて、プロテスタントの高齢の牧師は肯定的で、カソリックの若い神父は否定的で自殺した例を聞かせてくれた。宗教や信仰は死に即時対応し切れない、やはり時間が必要であり、心の準備が必要であると思う。アメリカなどでは死生学Thanatologyで死を教えると言う。長寿国として、不死、延命だけに努力するのはバランスがよくない。死の覚悟もする必要がある。韓国の国立がんセンターで行われたシンポで「延命中止」がテーマになったのは異例ではない。