崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

広島大学東千田キャンパスで

2010年06月27日 05時35分24秒 | エッセイ
 6月26日中四国人類学談話会で「植民地朝鮮民族学を学説史的に読む
-朝鮮総督府調査資料を中心に」という題で発表した。私の古希記念講演を兼ねたようであった。私は最近韓国語で訳した植民地時代の朝鮮総督府が発行した村山智順の『朝鮮の巫覡』から秋葉隆がオリジナリティを無断で利用した事実を私の論文を人に無断で利用されたことを踏まえて話をした。今度は学者が研究した核心である独創性を分析したものである。それは最近、学史といえば論著をきちんと読まずに周辺的な書誌的な話でうまる傾向に助言するメッセージがある。友人であり、私を広島大学へ引っ張ってくれた嶋陸奥彦氏がコメンテーターとして秋葉隆の本を読んで調査に参考した話など対話式で秋葉の功績を語るように進行ができた。しかし秋葉が村山智順の剽窃に近いことをした話から彼の功績の話にもなった。越智、上水流、川田順造など質問から植民地の比較など総合的に把握することができて良かったと思う。
 続いて太田心平氏(国立民族学博物館)の韓国の「386世代」という、主に80年代「熾烈なデモ世代」というカテゴリーについて発表し中村八重氏(韓国外国語大学助教授)が代表質問のようなコメントがあった。私はその世代より20年も早い時期に集会が許可されなかった時代に殺されるかも知れないという覚悟でデモをした世代なのに80年代のデモはただ安易な大衆文化「蝋燭火デモ」の世代が「熾烈だ」と叫ぶ、どんでもないことで憤怒を感じた。
 懇親会は私の古希記念会になっていた。私が広大を定年するときの学部長の堀越孝雄氏が宴会場にわざわざおいでくださって挨拶をしてくださった。前同僚であった高谷氏による古希を祈念する乾杯の音頭で始まり、窪田幸子氏をはじめ懐かしい顔、佐野真理子教授の祈念メッセージの手紙など意外な歓迎振りに感動した。このように歓迎、賛美されて良いのかと、恐縮した。