崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「ソウル1945」

2010年06月26日 05時10分59秒 | エッセイ
 昨日は1950年6月25日朝鮮戦争勃発の記念日である。ソウルへ向けて歩き道峰山の麓で野宿して翌日ソウルの清涼里に付き、26日の夜にまた避難の道を歩いて砲声に驚いてねぎ畑を走り、漢江の北岸で農業用の物置に寝た。27日、ヤミの渡り船を利用して漢江を渡り、江南についた。潅木の間を通りぬけて歩いた。「漢江奇蹟」はソウルを変え、今、江南は富裕層地区になっている。しかし私はこの地区とは縁がすくなく、去年一度だけホテルで泊まったことがある。しかし昔の痕跡は一つもみい出せなかった。
 朴仙容氏から送られてきた韓国テレビドラマ「ソウル1945」を見始めた。朝鮮戦争から始まる。私が見た戦争とオーバーラップして考証する気持ちになった。私の生まれ故郷が苦戦場であることは確かである。私は避難民の中にいたので直接戦場にいたのは後のことであり、ソウルでは空の飛行機をよく観察した。北朝鮮の戦闘機がS字で飛行したが、ソウルの人々が多く犠牲になることは見ていない。ドラマでは敗戦軍の韓国軍の勇敢さが浮き彫りにされることもある。戦争がドラマになりやすいことはなぜであろうか。それは「戦争と平和」のプロパガンダ的なことではなく、「面白さ」があるからである。実はその面白さに「危険性」がいっぱいあるのである。