崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「朝鮮部落」

2010年06月14日 05時49分55秒 | エッセイ
 北九州在住の朴仙容氏(写真左端)のノンフィクション『帰魂』(未刊)を読みながら私の人生や研究の時代とダブって面白い。彼の文章を読むと私がこなせない表現が多い。私は日本語の極一部分を使っていると思われる。それより大きい違いは在日の経験と気持ちの理解が足りないことである。この作品を通して惨めな生活自体より、差別をどのように受けて昇華していったかを読んでいきたい。

 「当時、朝鮮は全国至る所にあった。その場所は河川敷の公共用地だったり、大企業の所有地だったりした。東雲の住むは旧国鉄の土地で、線路の敷地内である。百世帯を超える朝鮮人が、焼け爛れたトタン葺きのバラック小屋を建てて、そこに住み着いていた。住居と線路の境界はない。年間、幾人もの朝鮮人が列車事故で死亡する危険な場所だった。汽車が通ると地響きが起り、家が大揺れする。最悪な住環境だが、無断借用だから誰にも文句は言えない。内には豚の飼育をする者もいれば、ドブロクや焼酎の密造者もいて、喧騒で異様な臭いの籠もる朝鮮人独特の集落だった。警察官が一人や二人で入ることのできない無法地帯でもあり、治安当局から要警戒地域と指定されていた。」

 ナチスのゲートのような雰囲気、しかし在日のものは自然に近い。今ソウルの南には中国朝鮮族のができている。去年南アフリカのケープタウンのキャンプ・カリチャーをたずねたことを思い出す。戦争と難民などのキャンプが世界的には散在している。考えさせられる。