6月26日中四国人類学談話会で「植民地朝鮮民族学を学説史的に読む
-朝鮮総督府調査資料を中心に」という題で発表した。私の古希記念講演を兼ねたようであった。私は最近韓国語で訳した植民地時代の朝鮮総督府が発行した村山智順の『朝鮮の巫覡』から秋葉隆がオリジナリティを無断で利用した事実を私の論文を人に無断で利用されたことを踏まえて話をした。今度は学者が研究した核心である独創性を分析したものである。それは最近、学史といえば論著をきちんと読まずに周辺的な書誌的な話でうまる傾向に助言するメッセージがある。友人であり、私を広島大学へ引っ張ってくれた嶋陸奥彦氏がコメンテーターとして秋葉隆の本を読んで調査に参考した話など対話式で秋葉の功績を語るように進行ができた。しかし秋葉が村山智順の剽窃に近いことをした話から彼の功績の話にもなった。越智、上水流、川田順造など質問から植民地の比較など総合的に把握することができて良かったと思う。
続いて太田心平氏(国立民族学博物館)の韓国の「386世代」という、主に80年代「熾烈なデモ世代」というカテゴリーについて発表し中村八重氏(韓国外国語大学助教授)が代表質問のようなコメントがあった。私はその世代より20年も早い時期に集会が許可されなかった時代に殺されるかも知れないという覚悟でデモをした世代なのに80年代のデモはただ安易な大衆文化「蝋燭火デモ」の世代が「熾烈だ」と叫ぶ、どんでもないことで憤怒を感じた。
懇親会は私の古希記念会になっていた。私が広大を定年するときの学部長の堀越孝雄氏が宴会場にわざわざおいでくださって挨拶をしてくださった。前同僚であった高谷氏による古希を祈念する乾杯の音頭で始まり、窪田幸子氏をはじめ懐かしい顔、佐野真理子教授の祈念メッセージの手紙など意外な歓迎振りに感動した。このように歓迎、賛美されて良いのかと、恐縮した。
-朝鮮総督府調査資料を中心に」という題で発表した。私の古希記念講演を兼ねたようであった。私は最近韓国語で訳した植民地時代の朝鮮総督府が発行した村山智順の『朝鮮の巫覡』から秋葉隆がオリジナリティを無断で利用した事実を私の論文を人に無断で利用されたことを踏まえて話をした。今度は学者が研究した核心である独創性を分析したものである。それは最近、学史といえば論著をきちんと読まずに周辺的な書誌的な話でうまる傾向に助言するメッセージがある。友人であり、私を広島大学へ引っ張ってくれた嶋陸奥彦氏がコメンテーターとして秋葉隆の本を読んで調査に参考した話など対話式で秋葉の功績を語るように進行ができた。しかし秋葉が村山智順の剽窃に近いことをした話から彼の功績の話にもなった。越智、上水流、川田順造など質問から植民地の比較など総合的に把握することができて良かったと思う。
続いて太田心平氏(国立民族学博物館)の韓国の「386世代」という、主に80年代「熾烈なデモ世代」というカテゴリーについて発表し中村八重氏(韓国外国語大学助教授)が代表質問のようなコメントがあった。私はその世代より20年も早い時期に集会が許可されなかった時代に殺されるかも知れないという覚悟でデモをした世代なのに80年代のデモはただ安易な大衆文化「蝋燭火デモ」の世代が「熾烈だ」と叫ぶ、どんでもないことで憤怒を感じた。
懇親会は私の古希記念会になっていた。私が広大を定年するときの学部長の堀越孝雄氏が宴会場にわざわざおいでくださって挨拶をしてくださった。前同僚であった高谷氏による古希を祈念する乾杯の音頭で始まり、窪田幸子氏をはじめ懐かしい顔、佐野真理子教授の祈念メッセージの手紙など意外な歓迎振りに感動した。このように歓迎、賛美されて良いのかと、恐縮した。
大田氏の発表の観点はわかりませんが、4・19と韓日条約反対闘争を経験したある人物が、386世代について、「我が子が『烈士級』でないことは、当の親たちが一番よく知っている」と語った言葉を思い出します。崔先生のおっしゃるとおり、まさに殺されるかもしれない状況の中で闘った世代の言葉だけに重みがあり、私も納得させられたのですが、遺族感情を思うと、どうしても本には書けませんでした。386世代は民族主義に固着して普遍的イシューを提示できず、それなら全学連や日本赤軍の方がよほどマシ、「教養がない」という指摘を活字にするのが精一杯でした。そんなわけで、ここで密かに書かせていただきました。先生の憤慨には同感できます。
崔先生が憤慨なさった対象は三八六世代をめぐる世論のいい加減さであり、私の観点はその世論のいい加減さをどう分析するかという分析者のそれだったと思います。しかし、真鍋氏も御教示くださっているとおり、世論とも分析とも別に、史実というものもさらにありうるわけですね。
人類学者と聴衆と当事者のあいだ、史実と世論と分析とのあいだには、悲しいかな溝があるのかもしれません。ただ、人類学者も人間であり、分析ばかりしているわけにはいきません。史実だって知りたいし、世論を形成する一人でもありたいわけです。私はこういう問題を、学問的にも論じてみる価値があると思います。
なお、私も日本社会にあふれた自己認識の世論(特に関西人をめぐるものや、今どきの若者評)には、憤慨を覚えることが少なくありません。日本だけではなく、世界における東アジア評についても同じです。
遅ればせながら、崔先生、古希をお慶び申し上げます。今後とも益々の御健康と御活躍をお祈りいたしております。
このブログにはたびたび目を通させていただいておりましたが、コメントにまで目を走らせたのは、恥ずかしながら初めてです。
何年かに一度しかお会いできない先生ですが、このように先生とお話が出来たことを、ただただ感謝です。またお目にかかれる日を楽しみにしております!
「4.19」と「386」という拙稿を東京発行の「東洋経済日報」に掲載しました。よろしくお願いします。
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2010/419386.php