崔吉城との対話

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東洋経済日報に「パンソリ」寄稿

2010年06月01日 05時04分42秒 | エッセイ
2010年5月28日の掲載文
          
           パンソリ
 多くの人はパンソリといえば韓国映画林權澤の「風の丘を越えて―西便制―(1993)」を思い出すだろう。韓国では大ヒット作で、第一回上海国際映画祭最優秀監督賞・最優秀主演女優賞を受賞している。パンソリは韓国の「国唱」といわれ伝統的な歌劇ともいえる。2003年11月7日、ユネスコの世界無形遺産に登録された。李俊(1939∼2008)原作の「西便制」の映画で、娘にパンソリを教える父親が娘のパンソリの歌に「恨」が足らないといって毒薬を飲ませて盲人にし、「恨」を持たせる場面がある。娘は時間をかけて父親を許すが、父親はそれを悔やむ。
私が大学で国文学を学んだ時、パンソリは巫俗からの起源説が有力であった。1968年に私が全国民俗総合調査の初年度に全羅南道で調査に参加した時、ダンゴレという巫女が一晩中、徹夜で歌いながら儀礼をするのを観て感動した。パンソリの巫俗起源説の現場にいたからである。高齢な女性ダンゴレが寒い冬に外で一晩中、一人で神話を語り、巫歌を歌い、喉が嗄れ、破れるまで歌い、一人前の「得音」(発声法)した「名唱」(名人)パンソリの芸術が生まれることを調査経験から知った。以降数十年間この地域を歩き調査を行い多くの論著などを発表してきた。
 先日その調査地の長興から講演の招請があった。前下関韓国教育院長であった李永松氏と奥さんの画伯魏明溫氏の協力があった。調査地であったところからの招請には喜びと不安があった。長興は「西便制」の原作者の故李俊氏をはじめ現役超一流作家の韓勝源氏、宋基淑氏などの出生地でもある。宝城郡庁の職員の案内でパンソリ発祥地に行き、記念館で女名唱李チソン氏のバンソリ春香歌のスッテモリを、鼓手張氏の伴奏で聞き、本場での最高の公演であった。それから懐かしき作家韓勝源氏、元交通省の長官の孫守益氏など20数名の歓迎パティに招かれ、韓氏の自宅では緑茶でもてなしを受けた。 
 長興地域の最高リーダーたちの文化行動の集会である「長興学堂」で講演をした。私が初めて長興で調査したのは1968年に遡る。当時私は陸軍士官学校の教官をしていて民俗調査に参加した。講演はそれを振り返りながらこの地域を調査した話から始めた。1930年朝鮮総督府が警察の報告を通して得た情報に基づいた調査が始まった。被差別集団への調査の始まりと言える。1960年代に調査した私の調査報告が東亜日報に大きく報道されて当時長興出身のパンソリ名唱だった鄭氏の怒りをかったこともあったが、被差別された人々の中から人間国宝が出るように変わった時代の激変に驚く。
 私はひとりの研究者として社会通念を変えるために力を注いてきた。知識人として社会変化を待たず、変えようとして努力してきたことを訴えながら、彼らにも社会を変えていくように願った。講演をしながら差別される彼らを調査した時を思い出し、今は故人となった人を思い出し、一瞬泣きそうになったがやっと抑えることができた。