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往還日誌(74)






■8月13日、日曜日。

朝、J.J.RousseauのDu Contrat Social読書会。ルソーは、非常にアクチュアルで面白く、さまざまなことを考えさせてくれる。きょうも、いろいろ、楽しい議論となった。

とくに、ルソーの「一般意志が市民各人に自由であるように強いる」という美しい文章。このルソーの自由論に関連して、ルソー専門家のN先生による、自由の3つの水準に関する議論――意思の自由、権利の自由、状態の自由――による全体の整理は、ルソーの全体主義的な解釈の誤解を解くうえで、わかりやすいものだった。

また、ルソーの「toute dépendence personnelle」「あらゆる人格的(個人的)な依存」から守るために、この自由が必要だという議論は大変興味深い。この部分は、人格的依存、物的依存、自由な人々のアソシアシオンというマルクスの自由の3段階論との関連でNさんは論じていた。

私の感想は、ルソーの自由論は、大変重要であると同時に、この自由論との関連で、習俗論(民俗論)を見落とすと、自由の理解が平板になってしまう、そして、それは、ある意味で空虚な、場合によっては、危険なものにもなりかねないと思う。つまり、自由の反対概念の中にあるものの「肯定性」を見失うことになるからだ。それは「愛」に関連すると私は思っている。

これを具体的に展開するのはきょうは止めておきたい。

今後の、8章でのルソーの自由論の展開が楽しみである。

きのうは、念願の龍安寺に行ってきた。40年ぶりくらいだろうか。

ここからだと、59系統で同志社前から乗車して、千本北大路を経由して金閣寺道から立命館大学、と懐かしいバス停を経由して竜安寺前に至る。北に大回りするので、約30分かかる。場所はわかっているので、歩いても行けないことはないが、この暑さではさすがにそれは避けた。

15時くらいに山門に入ったが、石庭は、石に影がまったくなく、簡素である。それは美しいというよりも、なにか、目が覚めるような、はっとするような、そういった一種の驚きとともに、直接心に入ってくる。来て佳かったと心底思える庭である。

この竜安寺は、室町期(1450年)に、守護大名の細川勝元が創建している。応仁の乱(1468年)で焼けてのち、1488年、勝元の子・細川政元が龍安寺の再建に着手、政元と四世住持・特芳禅傑によって再興された。

この石庭は、寺伝では、室町時代末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられる。

当初、石庭は、限られた支配階級の人々しか見ることができなかったが、現在では、入場料600円を支払えば、だれでも見ることができる。戦後民主主義のいい面の一つだろう。

ここの縁側に座っていると、ほかの観光客の話声が耳に入ってくる。パンフレットの英文を朗読している外国人や、女子大学生を連れた中年男性の、大学生活についていろいろ尋ねている話や、観光ガイドの男性が庭を説明している話など。

私は、ここの縁側で長い間座って、こうした話を聞くともなく聞くのが昔から好きだった。

庭と人間が対話しているわけだが、このような多彩な対話は室町時代にはありえなかったろうし、石庭という一つの沈黙の劇をめぐって、観客固有の多彩な劇が、石庭の周囲で自発的に展開されている。

これを誘発する石庭の力はそうとうなものだと思うのである。

帰りは、鏡容池を一巡りして、懐かしい藤棚と再会した。湯豆腐が安価で食べられることも知った。次回の楽しみに。





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一日一句(3033)







石庭はしづまりかへる猛暑かな






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