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往還日誌(78)






■8月20日、日曜日、

第1回の京都合宿のテクスト、ルカーチ著『歴史と階級意識』第4章「物象化とプロレタリアートの意識」を遅くまで読み、睡眠時間3時間強だった。徒歩で、東一条通りの先の芝蘭会館別館へ向かう。

朝9時から、途中休憩を挟んで12時まで、みっちり、テクストに向かい、徹底的に議論を行う。参加者6名。

いくつか、問題提起したが、一つは、欧州社会が対象であるこのテクストを考えるとき、アフリカ大陸との関りを抜きには議論できない、ということである。15世紀から続いた奴隷貿易と、その後の植民地体制、現在も形を変えて続くCFAフランなどの欧州の新植民地体制を前提にして、商業資本主義も産業資本主義も成立してきたし、現在の金融資本主義や情報資本主義も成立している。

デンマークにおいて欧州で初めて出された1803年の奴隷貿易禁止令は、このとき以降に、産業資本主義、すなわち、産業革命が始まったことを明確に区分するメルクマールになっている。この欧州の「他者」、欧州の「外部」――それはそのまま日本の資本主義における朝鮮半島経営にあてはまる――を、いかに、理論的に組み込むか、という点が、ルカーチの極めて鋭い分析において、比較的弱いのではないか、ということだった。

ルカーチが、経済学者として、マルクスの後継者として高い評価を与えるローザ・ルクセンブルクには、この植民地問題への視角が明確に存在している。

もう一つ、私が面白かったのは、自然科学と社会の関連性について、ルカーチが、そうとは、直接言っていないが、そういうことが現れている部分がある、ということだった。19世紀以来の自然科学で主流の、存在を要素に分解して、それぞれの部分の法則を独自に探求すれば、その存在が理解できるという「要素還元主義」が、産業資本主義の労働過程の疎外・物象化で基礎づけられているのである。

「第一に、労働過程が計算できるものとなるためには、生産物そのものの質的に規定された有機的・非合理的な統一との分裂が必要になる、ということである。めざしている結果のすべてを前もってますます正確に計算するという意味での合理化は、どの複合物をもその要素にきわめて厳密に分解し、それらの要素が生み出される際の特殊な部分法則を研究することによってのみ、達成されうる」(『歴史と階級意識』p170)

これこそ、自然科学が労働手段の研究として、とくに、19世紀以降、顕著に、行ってきたことにほかならない。つまり、この自然科学的研究の方向性を規定してきたのが、人間の労働過程の疎外・物象化だった、ということが言えるのである。

いずれにしても、12月に公開講座で発表するときには、ルカーチのこのテクストは確実に押さえておく必要があることがよくわかった。

お昼は、みなさんと芝蘭会館別館近くの定食屋さんで。トロ鯖の塩焼を注文。たいへん美味だった。赤味噌の味噌汁も佳かった。

夕方、チョコレート・ムースを作る。若宮と道具が異なるので、チョコレートを溶かすとき、お湯がチョコレートに入り込んでしまった。チョコが分離してしまう可能性があるが、3時間後にどうなっているか。

しゃぶしゃぶ用の豚肉の脂身を切って、塩麴に漬けた。

きょうの夕食のイメージとデザートのイメージまではできた。

きょうは、しかし、やることが多く、何を優先すべきか、困っている。

とりあえず、『20の物と2つの場の言葉』の初校の返送をしなくてはならないだろう。かなり遅れてしまった。この詩集も、ルカーチを通過した後に読み返すと、なかなか、思うところがある。つまり、詩と社会の関係は、科学と社会の関係と相似形だという意味で。

このポイントも、今後の詩作上の課題になってゆく予感がある。




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一日一句(3037)







百日紅白しこの世の邪気払ふ






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