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暴力か民主主義か






■8時起床。朝、埼玉は霧雨が降っていた。きょうは朝から一日、家人に付き添って、千葉大病院へ。千葉は、昼頃、大雨だった。東京駅まで出て特急「しおさい」で千葉へ。往きは、車中でケインズ全集第10巻の「トロツキーの『イギリス論』」を読み、待ち時間や帰りは、Batesonの"Double Bind, 1969"を集中的に読む。大変面白かった。とくに、ケインズがトロツキーをどう観ていたか、また、マルクスをどう観ていたか、その一端がうかがわれる。ケインズのマルクス理解は、おそらくは、スターリンによる解釈を経由したもので、存在論的な理解はなされていない。その点でこの当時の誤解を踏襲しているのではないかと思えた。トロツキーに対する見方は―トロツキー自身のイギリス社会論、とくに労働党やフェビアン協会への批判は、英国文化のempathyの偽善性と欺瞞性を突いた大変に本質的で説得的なものなのだが、ケインズは英国人であるので、その点への感度が鈍い―ケインズのトロツキー理解は、「暴力」をキーワードにしたもので、現在にも通じるアクチュアルな射程を秘めていると思えた。「暴力はなにごとも解決しない」というケインズの言葉は、反戦平和を語る者が、革命戦争の暴力は肯定する現代の欺瞞にも通じる、そして自己の利益から資本主義的な暴力を肯定する者への批判ともなりえるだろう。「トロツキーは手段のことに夢中になって、それがなんのためのものなのかを教えない」といった言葉や「どんな計画もそれがまず多数の人々を確信させないうちは成功しない」という言葉など、実に示唆に富んでいる。トロツキーとケインズを「革命か改革か」といった図式で語るよりも、「暴力か民主主義か」あるいは「根源性か有用性か」といった文脈で語る方が豊かな気はする。もっとも、後者は、対立はしていない。根源的なものほど実用的だからである。Batesonの"Double Bind, 1969"については、話すと長くなるのでやめるが、ケンブリッジで植物学者の息子として生物学を学び人類学を経由して、独自の思想を編み出したこの巨人は、ヴィトゲンシュタインとは違ったやり方で、「言葉」の持つ問題に迫っている。ルカーチを読むときに、片側に置いて、常に彼の視線を浴びている必要があると感じさせる、そういうアクチュアルで重要な人だという確信を深めた。千葉から帰宅後、ただちに、夕食の準備を行う。

家を出る間際、イランがイラクのアルビルとアルアサドの米軍基地に攻撃を行ったとの報が流れた。十数発の弾道ミサイルによる攻撃だった。電車に乗っていた9時半すぎに、第2波の攻撃をtwitterで知った。大変な事態になった。米国は、被害を発表していない。イラン国営テレビは80人が死亡と発表している。イランのザリフ外相やロウハニ大統領が、イランの攻撃と今後の方針をtweetsをしているが、大変説得力のあるものだった。米国の欺瞞は、国連本部で開かれる国連安保理事会の公開討論に出席するためにザリフ外相が申請したビザを米国政府が拒否した点にもっともよく出ている。民主国家をいやしくも標榜する米国が、他国の発言の機会を理由なく奪うことが、何を意味するか、一目瞭然であろう。イランに国際社会にアピールしてもらっては困るからである。国際法を踏みにじっただけでなく国連とのビザ発給合意も平然と自己都合で踏みにじる。この国の言う民主主義は、political and corporate interestsのためのイデオロギー的な手段に過ぎないことがよく現れている。日米安保イデオロギーの枠内でしか、世界を観ることのできない「ジャーナリスト」や「知識人」たちが、米国のスタンスに自己同一化し、自衛隊の中東派遣を正当する中で、きわめてすぐれた声明が、元米兵たちの反戦平和団体、ベテランズ フォー ピース ( Veterans For Peace)から出された。きょう、もっとも感銘した言葉である。

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🔵ベテランズフォーピース米本部から イラン開戦No!声明🔵

元米兵たちの心からの叫び、日本語でお届けします!
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「ベテランズフォーピースは、アメリカのイランに対する、あらゆる、そして全ての侵略行為に抗議する」

米政権による最近の一方的な行動、つまり、イランのソレイマニ司令官の暗殺によって、私たちは、今、戦争となるかどうかの瀬戸際に立たされている。

これは、最近のイランに対する一連の攻撃の一つである。
トランプはエスパー国防長官やポンペオ国務長官のような好戦論者ばかりを政権の中枢に置き、これまで順調であったイラン核合意から離脱、中東に数千の軍隊を追加派遣する「最大限の圧力」政策をとって、厳しい経済制裁をイランに加えてきた。

しかし、イランとの戦争は、この地域における更なる流血だけでなく、新たな、終わりなき戦争の始まりとなるだろう。先月明らかになったアフガニスタン・ペーパー(米政府の対アフガニスタン政策の内部文書)などを見ても、米国は、このような紛争地域において、何の戦略もなく責任も果たさず、ただ、混沌、混乱そして暴力を引き起こしただけだった。

イランには8000万もの罪なき人々がいて、そのほとんどが戦争を望まず、自国政府の行動にも反対している。イラクにも、米国による破壊的な戦争から復興し平和に生きる権利を持つ3800万もの人々がいる。これら両国の人々は、自らの政府によって正義が実現できるよう長い間努力してきた。米政府の行動は、これらの努力を踏みにじるだけである。

さらに、我々VFPは、米国が、イラクにおいてイランに関連する攻撃目標を拡大してきたことを非難する。イラク議会は、イラクから全ての米軍を撤去させることを決議した。もし米国がこの決議を尊重せず、部隊を撤退させないならば、2003年以来の戦いの意義としてきた「イラクの民主的主権」を侵害することに他ならず、米国のイラク駐留は、ただ自身の植民地的及び経済的利益が目的だったということになる。

トランプ政権の行為は、国際法のみならず、議会だけに開戦する権限を与えているアメリカ合衆国憲法に明らかに違反している。加えて、イランの文化的施設を攻撃すると脅し、イランの国連代表団の入国を拒否するという点でも、国際基準及び合意を無視している。
これまでも違法な戦争に従軍させられてきた我々元兵士は、危険で悲惨な戦争が何をもたらすか嫌というほど知っている。そして、これにより利益を受けるのは防衛関連企業だけだということも。

VFPは、これ以上の、嘘も、罪なき人々を虐殺することも、天然資源の無駄遣いも、そして私たちの兵士が死んだり、傷ついたりすることにも、我慢ができない。

私たちは、イランとイラクの人々と共に、戦争ではなく、平和を望む!

2020年1月7日





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