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ラムゼーとラスク






■7時半に起床して、ウェブチェックして、トランプの馬鹿げたイランへの52か所攻撃の脅迫tweetsを見てうんざりした。朝食に、西新井大師の参道に求めたいなりを食す。美味だった。天気がいいので、洗濯をして干す。その後、本を数冊持って散歩に出かける。寿広場では、親子が楽し気に凧あげをしていた。公孫樹の枝に凧がかかるまでの顛末を観た。また、祖父母と母子が幸福そうにサッカーをしていた。父親の姿はなかった。図書館で、『現代俳句集成』第17巻の延長手続きをして、ケインズ全集第10巻を借りる。ケインズによる人物評伝である。そのまま学習室で「フランク・プランプトン・ラムゼー」の項を読む。ラムゼー(1903-1930)は、英国ケンブリッジの数学者・経済学者・哲学で、26歳で死去している。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の英訳に協力した。この人の名前は、ヴィトゲンシュタイン関連の本で知り関心を持っていた。たしか、その本には、ラムゼーとヴィトゲンシュタインが議論しながら歩いていたとき、ヴィトゲンシュタインが「言葉には存在の根拠がある」と述べたときに、ラムゼーが、「じゃあ、あーという悲鳴はどうだ」と言ったと書かれていた。ずいぶん、ラムゼーは上から目線だなと思ったものだった。ラムゼーはヴィトゲンシュタインよりも14歳年下だが、指導教官でもあったらしい。この悲鳴だが、悲鳴を引き起こす出来事がそれに先立って存在し、その意味では、存在の根拠があるとも言えるのではないか。これがヴィトゲンシュタインの写像理論から言語ゲーム論への転換点になったのかどうかはわからない。ケインズの人物評を読み、ラムゼーの仕事に興味を持って、深夜、ラムゼーのケインズ批判の論文『TRUTH AND PROBABILITY』を打ち出す。ラムゼーのことを思うと、第一次大戦で若くして亡くなったハイデルベルク大学のユダヤ系哲学者で、ルカーチに影響を与えたエミール・ラスク(1875-1915)のことが思い出される。夜は、ニコの仕事を行う。






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一日一句(2333)







草だんご世に誠てふ言葉あり






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