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Pierre-Laurent Aimard Piano Recital 2010

■旧暦11月9日、火曜日、

(写真)Einstein Haus in Bern

昨夜は、ピエール=ロラン・エマールのリサイタルへ行く。プログラムは、以下のとおり。

バルトーク 四つの哀歌 op.9aから第4番

リスト 巡礼の年第3年から「エステ荘の糸杉に寄せて―葬送歌第1」

メシアン 鳥のカタログから「カオグロヒタキ」

リスト 巡礼の年第1年「スイス」から「オーベルマンの谷」



リスト 巡礼の年第3年から「エステ荘の噴水」

ラヴェル 鏡

悲しい鳥たち
洋上の小舟
道化師の朝の歌
鐘の谷



アンコール

クルターク:「ピアノのための遊び」より フェレンツ・ベレーニ70歳へのオマージュ
バートウィッスル:Harrison's Clocks
ブーレーズ:ノタシオン第9、10、11、12番
ベンジャミン:「ピアノ・フィギュアズ」から 第6、8、9、10番
メシアン:8つの前奏曲から 第3番「軽やかな数」
カーター:Matribute
シェーンベルク:6つのピアノ小品 op.19

■よく考え抜かれたプログラムだと思った。リスト晩年の現代音楽に通じる「巡礼の年」を基礎にして、リストの水の音楽的な描写から強い影響を受けたラヴェルと、同じように、鳥の世界を全体的に、音楽で描写しようとしたメシアンの「鳥のカタログ」を配し、一番初めに、バルトーク初期の過渡期の作品を持ってきている。プログラムが、現代音楽の源泉を提示しているのに対し、アンコールは、そこから出てきた現代音楽そのものを提示してくれた。これだけで、優に一つのプログラムであった。アンコールの多さからわかるように、絶賛の嵐で、現代音楽のアンコールを一曲弾くごとに、まさに本領発揮といった感じで、すばらしいので、また、拍手が鳴りやまなくなり、次のアンコールを誘発するといった感じだった。

プログラムでは、一曲目のバルトークが一番面白かった。バルトークは、どの曲を聴いても、バルトークとしか言いようがない何かを持っていて、現代的でありながら、それが、上滑りしないのは、同時に深く民俗的だからだと思う。メシアンは、好きな作曲家だが、「鳥のカタログ」を聴いて考え込んでしまった。いや、エマールのピアノと相まって、実に素晴らしいのだが、その素晴らしさをどう表現していいのか、困るのである。メシアンの意図は、「カオグロヒタキ」の声だけをピアノで再現するのではなく、その周囲の、小鳥たちや、風の音や光の感じ、海の情景など、いわば、「カオグロヒタキ」の世界全体をピアノで再現することにあったと思うが、その意図自体が、きわめて、近代的というか、科学的な感じを受けるのである。つまり、その場に立って、カオグロヒタキの世界を享受することに勝てるのだろうか、という疑問がどうしても湧いてくるのである。自分の外部の世界を音で写し取ろうという意図は、フランス系音楽に特徴的だと思うが、メシアンの「鳥のカタログ」に関して言えば、名称が表現しているように、「カタログ」であって、ドビュッシーやラヴェルのように成功しているとは思えないのである。これに関連して、リストの「エステ荘の噴水」は水の感じを音で表現しているのだが、春の噴水のように甘く平和で、ラヴェルの「水の戯れ」と比べると、対照的で興味深い。

アンコールの現代音楽は、知らない作曲家も多く、楽しめたが、一曲目のクルタークが一番印象に残った。小さな音で、沈黙がにじり寄って来るような音楽。

現代音楽は、主客が分裂して物象化された音楽、理論的な展開からのみ作られた音楽、笑いがない音楽、パフォーマンスを意識しすぎた音楽といったイメージが強く、どうも積極的に聴く気になれないでいるが、エマールのプレイなら、聴いてみたいと思った。ベートーヴェン、バッハと現代音楽を組み合わせたプログラムを、いつか聴いてみたいものである。



Sound and Vision
















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12月13日(月)のつぶやき

05:28 from goo
芥川龍之介の俳句(7) #goo_delfini2 http://bit.ly/e3hMS6
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poetic fragments 23 #poem #poetry >>> http://bit.ly/fUhrRj
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