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植民者の生活世界:村松武司をめぐって(1)

■旧暦11月6日、土曜日、

(写真)in Basel

今日は、朝から、阿佐ヶ谷の皓星社へ出かける。詩人・編集者の村松武司に関する書き下ろしのための資料を見せてもらうためである。事務所にあるだけでも、4、5箱分のノートやメモの資料。このほかに、貴重な詩誌『純粋詩』、『造形文学』、『列島』の束。これ以外に、JR高架下に借りた倉庫に、雑誌書籍の箱が15、6箱。相当な資料の山に嬉しくなる。

当面、月に一度のペースで通って、資料の読解から始めようと考えているが、キーコンセプトは「植民者の世界」である。村松武司は、1924年京城生まれ。戦後詩の出発点となった詩誌『純粋詩』や『造形文学』、『列島』に参加した詩人であるばかりか、自ら出版社も経営した編集者。

祖父の代からの朝鮮の植民者だった村松の生活世界とはどんなものだったのか、また、その周囲の人々はどんな人々だったのか。イデオロギー的な洗脳は、どう行われたのか、そもそも植民地とは何だったのか。そんなことを、村松の弟子にあたる皓星社社長、F巻さんと話していて、村松は、その点にも自覚的で、『朝鮮植民者』という本を1960年に出していることがわかった。まずは、この本の元になった資料を、先の資料の山から探し出すことが、先決である。

村松さんの奥さん方の系譜もなかなか、興味深く、奥さんの祖父に当たる人は、若いころ、大杉栄や山本飼山などと無政府主義運動に関わった人物。奥さんの名前は、大杉栄から取っている。

村松武司を語る上で、もう一つ、欠かせないのが、ハンセン氏病との関わりである。どうも、朝鮮にいた頃に、すでに、ライ病者との接触があったらしい。ハンセン氏病は、国との和解成立後、患者の高齢化が進み、規模的には、小さくなっているが、差別構造や国家と差別構造との関わりといった、より一般的なレベルで、アクチャルな問題を提起し続けている。この問題をどう考えるか。これも、村松武司を考える上で、避けて通れない大きなテーマだと考えている。

村松さんは、F巻さんにこんなことを言ったらしい。「朝鮮を懐かしがってはならない」





東明王陵への道行きで




                               村松武司







高速道路は元山へ
赤土の膚は地平に消え
われらもまた地平のなかに沈みつつ。
疾走するボルボの疼き腰を浮かせて
呉委員はしずかに語る
指一本立てるしぐさ
高句麗建国、朱蒙の説話
その王陵へ行く道で。

ポプラ並木 すべて葉は落ち
陽だまりの赤蜻蛉むれて舞いあがる
昨夜来の討論の辛い刺激は舌にのこり
なおも叢に伏して栄光煙草に火を点ける
呉委員 あなたも過去を語らず
齢相応の戦歴が
しずかな声のなかにしずむ
内戦は中学を卒えたころ
おそらく志願したのだろう
そのまま西部戦線
少年の足が踏んだ 仁川 ソウル
落ちた橋梁 枯れた川石
そして石はすべて炎を浴び
白い膚を失っていたのだろう

ウスリイの鶴のように
戦い終わって北に帰れば 瓦礫の故郷
落ちた橋梁 枯れた川石
そして石はすべて炎を浴びる…

松の丘陵に立ってあなたは指を一本立てる
不意に時がとまる/あれが定陵寺の跡
三国時代の回廊 石と炭がみえます。

秋の陽 滾々とあふれ
王陵から開く西への平野
ピョンヤンにゆっくり流れてゆく
流れのなか 統一国家を語り継ぎ
あなたも化石のように
陽を浴びる。







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