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芥川龍之介の俳句(7)

■旧暦11月7日、日曜日、

(写真)シャルル・ドゴール

仕事部屋を掃除してから、やっとヘーゲル全集のケースから、『精神の現象学』上下巻を出す。金子武蔵訳である。これと長谷川宏訳を参照し、円高で安くなっている原書で確認しながら、マイペースで、検討を進めていきたいと考えている。ヘーゲルのドイツ語は、もっとも難しいドイツ語の一つ(社会哲学者 石塚省二)ということなので、興味津々である。

午後、ぶらり、図書館へ。以前から関心のあった『撰集抄』を借りる。これは、西行の作として、700年にわたって読み継がれてきた本(13世紀半ばに成立)だが、後代の擬作であることが現在でははっきりしている(700年も、騙されてきたのは、内容的にも面白かったからに違いない)。なぜ、この本に興味があるのかと言えば、第15段に「西行、高野の奥において人を造る事」というとんでもない話が載っているからである。わりと、言及されることも多い段なのだが、借りてすぐに、いつもの喫茶店で読んだ。文庫で3ページ足らずの分量なのに、情報量が意外に多いことに驚いた。西行が、風流を解する友を欲して「反魂の秘術」で人を造った話。その造り方。しかし、心がなかった話。どうすれば心ある人ができるかの具体的な話。西行以外にも人を造った事例が二つなど。なかなか、楽しめるのである。他の話も面白いのでは、と期待している。



癆痎の頬美しや冬帽子   大正7年

■一読印象に残る。癆痎(ろうがい)は結核のこと。病めるものに美を見出すのは、近代の感受性だろう。文学が一人宗教に近いもので、自己救済の手段でもあるのは、否定できない。自分を救うことで他者も救う。そのとき、自己は、貧・病・争・老などの否定的な環境にいる。救済の方向としては、そのまま、嘆く。価値を逆転させる。資質の似た先人にidentifyする、笑いで対抗する。などがありえるが、芥川の句は、病める対象に美を見出している(蕪村にもこういう句があり驚いたことがある)。このとき、芥川自身は、病者ではないが、病者へとまなざしが向う内的必然はあったはずである。

「結核」は、近代の病気というイメージがあるが、明治以前は、漢方で言う「肺労・労瘵」という病気に含まれていた。面白い事に、言葉として見れば、「肺労・労瘵」が文献に初出するのは、1862年の「七新薬」であるが、「結核」という言葉自体は、1565年の「全九集」にすでに見られる。「結核」は言葉としては古いのである。「肺労・労瘵」が「肺結核」と呼ばれるようになるのは、明治以降、病理が明らかになってからである。芥川がここで使用している「癆痎」という言葉は、なんと、1024年の「小右記」にすでにある。病理が不明だったとは言え、結核を表す言葉としてはもっとも古いのである。




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12月11日(土)のつぶやき

10:02 from web
poetic fragments 22 Going mad #poem #poetry >>> http://bit.ly/f0Mi7p
19:53 from goo
植民者の生活世界:村松武司をめぐって(1) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/b1d0e51a3fcb33418d65cb6553aced6e
21:19 from web
Thank you very much @apwpoet for #ff. I write plain English poems recently. That's a try to apply haiku's methods to poems.
23:20 from web
Vielen Dank Angerika fuer #followsaturday. Ich versuche einmal deutsche Gedichte zu machen. Aber es ist mir sher diffizil.
23:28 from web
@robinmarchesi I've read your "Law of Three." So interesting. It's a still poem, I think. I feel an oriental feeling.
by delfini_ttm on Twitter
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