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原爆詩181人集(3)

■旧暦6月13日、木曜日、

今日は、朝から、国府台に自律訓練法の習得に行く。腕から力が抜けて重くなるという自己暗示をかけるバージョンにアップした。これをやると、手のひらだけでなく、腕全体が熱くなってくる。午後、少し、仕事が進んだ。嬉しい。

布袋が町田康を殴った、という夕刊記事にびっくりした。お互い45歳。共同でコンサートをやったり、町田が詞を布袋に提供したりしていた仲という。45にもなって、こうなるのは、裏に女性問題か、金銭問題か。もっと、びっくりしたのは、1951年に、フルトヴェングラーがバイロイト祝祭管弦楽団を振った第9が、まがい物だった可能性が出てきたという記事。リハーサル音源をEMIが編集して作り上げた「作品」だったようなのだ。つまりは、ライブじゃない。この録音は、名盤中の名盤と言われ、EMIのCDの帯びには「足音入り」なんて書かれている! 最近、本物のライブ録音のテープが出てきて、CD化された。これも面白い。



嵯峨信之(1902-1997)


ヒロシマ神話

失われた時の頂にかけのぼつて
何を見ようというのか
一瞬に透明な気体になつて消えた数百人の人間が空中を歩いている

   (死はぼくたちに来なかつた)
   (一気に死を飛び越えて魂になつた)
   (われわれにもういちど人間のほんとうの死を与えよ)

そのなかのひとりの影が石段に焼きつけられている

   (わたしは何のために石に縛られているのか)
   (影をひき放たれたわたしの肉体はどこへ消えたのか)
   (わたしは何を待たねばならぬのか)


それは火で刻印された二十世紀の神話だ
いつになつたら誰が来てその影を石から解き放つのだ



■原爆で、石段に人間の影だけが焼きつけられていたという話は、子どもの頃に、父から聞いたことがある。この詩は、まるで、原爆投下直後に立ち会っているような臨場感があり、心に残った。そのリアリティは、死者たちの声を届ける霊媒になっているところにあるように思う。「死はぼくたちに来なかった」という一行は強烈な印象を残す。

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