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飴山實を読む(20)

■旧暦5月24日、日曜日、のち

やはり、気圧と関連がある。高気圧から低気圧に変わるときに、耳鳴りは激化する。低気圧から高気圧に変化すると、耳鳴りは楽になる。詳しくはわからないが、副交感神経は低気圧のときに活発化するらしい。その機能に障害があることと耳鳴りの激化に関連性があるとすれば、自律訓練法が重要な意味を持ってくる。いずれにしても、睡眠時間と気圧の変化。これが2大要因かもしれない。

午前中、散歩。いつもの喫茶店で、子規の『墨汁一滴』を読む。この中に、不平十ヶ条なるものがある。今から見ると、はなはだ不穏な条項もあるが、明治という時代、子規という人柄を表していて興味深い。

不平十ヶ条

一、元老の死にさうで死なぬ不平
一、いくさの始まりさうで始まらぬ不平
一、大きな頭の出ぬ不平
一、郵便の消印が読めぬ不平
一、白米小売相場の容易に下落せぬ不平
一、板ガラスの日本で出来ぬ不平
一、日本画家に油絵の味が分らぬ不平
一、西洋人に日本酒の味が分らぬ不平
一、野道の真直ぐについて居らぬ不平
一、人間に羽の生えて居らぬ不平

この不平の中で一番好きなのは最後の奴ですな。

午後、図書館に籠もって作業。アファナシエフの詩の翻訳などを行う。今日も新聞が読めた。新聞は、本当に面白い記事しか読まないから、以前より、読むのが好きになった。長い散文をそろりと読み始めてみようかと思い始めている。ああ、そうそう。ぼくの翻訳しているリチャード・ライトの俳句が、すでに翻訳されて、本になっていた。今日、新聞の書籍広告欄で初めて知った。全部で809句あるのだが、2人で訳している。どう訳しているのか、興味のあるところである。『HAIKU』彩流社、2940円。買ってもいいと思っているが、当分は、読まないだろう。ライトとの対話にノイズを入れたくないからである。



初夏のむらさき透ける貝の殻   『次の花』

■「初夏のむらさき」にまず惹かれた。初夏が「むらさき」に掛かることで、「初夏のむらさき」を作者は見出している。この掛かり方は新鮮でしかも無理が無い。芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」の「秋深き隣」と同じ構造である。一見何気ない修飾なのであるが、実際にこれに類したことを俳句にしてみれば、すぐに分るように非常に難しい。なぜなら、説明に堕してしまう可能性が高いからである。こうした季語の使い方は高度なセンスが要求される。第二に、惹かれたのは、「透ける」という動詞の使い方である。「貝の殻」という措辞と相俟って、その「むらさき」が生きて動いているような臨場感がある。
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