西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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ジョルジュ・サンドの書簡集より

2014年01月31日 | サンド・ビオグラフィ
1870年1月31日

この日、サンドはパリから4通の手紙を書いています。
一通は長男モーリスの嫁リナに、二通は友人のヘンリー・ハリスとポール・ムリスに、最後はサンドの肖像を描いたルイ・ユルバックに。メールもカメラもなかった時代、一日に4通もの手紙を書き、肖像画家ともコンタクトを取っていたのです。サンドは、世の中から離れて隠遁生活を送るのではなく、時代や社会の中に自ら飛び込み時代を生きるタイプの作家だったことがわかります。

たとえば、リナに宛てた手紙のなかでは、プレス紙が1月30日に報じた血なまぐさい事件について、パリの人々の好奇心を潤すこうした事件は騒がれれば騒がれるほど同種の犯罪が増えるでしょう、犯罪とは伝染性があるから、とサンドはコメントを残しています、

それは、どのような事件だったのでしょうか。
ジョルジュ・リュバンの注によれば、サントノレ通りでこの通りの83番地に住む老夫婦の家で起こった殺人事件のことでした。
この老夫妻の家で部屋付き執事として雇われていたフランソワ・ラトヴェールはひどく酔っ払っていたのですが、中風で動けない年老いた夫の目の前で夫人を殺害し、物音に気づいて駆けつけた料理番と女中にもひどい傷を負わせたという事件でした。

いつの時代にも形や方法は変わっても凶悪事件は起こっているようですが、何かの弾みで犯罪者になることがあり得るのであって、犯罪者とそうでない者との間に大した距離はない、誰もが犯罪者となり得るのだというようなこともサンドは他の作品で述べています。












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