オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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敦は敦

2011-09-08 22:14:21 | 千葉ロッテ

どうやら晴れ男の力は東北の地で使い果たしてしまったのか、北海道は明日から天気が崩れそうです。
そんなこんなで今日は函館を少し早く切り上げて松前に向かい、雨が降りだす前に松前城をクリアしました。
結果的に予定外のライトアップをされたところを見ることができましたし、禍を転じて福となすとばかりにポジティブシンキングです。

しかし今のロッテにはなかなか前向きにはなれません。
ただ負けるだけではなく菊池に白星を献上するというマスコミ受けのしやすい醜態の上に、伊志嶺の新人王への道を邪魔する牧田のセーブと形が悪すぎます。
毎度のことながら浦和では数字を残していないながらも一軍で先発のチャンスをもらえる小林はかなりの期待をされているようなのですが、どうにも結果を残せません。
そもそもが特徴のないところが特徴の小林ですし、雅英でも宏之でもないのですからこんなものなのでしょう。
それでも似たようなタイプだった藪田が今や別人ですので、小林も自分は自分と割り切ってやってもらうしかありません。
とにかく昭則や茂生にならなければ御の字と、そんなまったり感で見守っていきましょう。

打線は今日は4点も取りましたので、満足感に浸っていることと思います。
相手からミスを引き出すのも実力のうちですから、先制の仕方も悪くはありません。
惜しいかな、悲しいかなチャンスを作る能力に欠けていることと、悪い意味での繋ぎの野球のための得点力不足を考えれば、相手が菊池であってもこれで精一杯なのでしょう。
これで先発が成瀬や唐川、あるいは渡辺俊や小野であれば面白い試合になったのではないかとも思うのですが、そうでないからこその最下位です。
この巡り合わせの悪さはベンチだけの問題ではなく選手にもその責があることは言うまでもないのですが、同様にどちらかが頑張るだけではどうにもならないのも確かなことですので、両者ともに今年のスローガンの真の意味、意義を噛みしめてもらいたいものです。

旅先のために映像をyoutubeで一部しか見ていないことで抽象論に終始をしてしまっていますが、そうでなくともこんなことぐらいしか書くネタがない日々が続きます。
それでも夜の松前城で係りの人が聞いていたラジオ中継で逆転をされたことを知って悔しかった気持ちに嘘偽りはありませんので、今後も情熱を持って応援をしていくつもりです。
これは多くのロッテファンも同じかと思いますので、めげずに頑張っていきましょう。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
千葉ロッテ 0 2 2 0 0 0 0 0 0 4 9 0
西武 0 1 3 3 0 0 0 0 X 7 11

1


◆9月8日(木) 西武-千葉ロッテ18回戦(ロッテ11勝7敗、18時、西武ドーム、13,792人)
▽勝 菊池 6試合4勝1敗
▽S 牧田 36試合3勝7敗13S
▽敗 小林 8試合1勝4敗
▽本塁打 中村38号(小林)、秋山1号(小林)

▽バッテリー
千葉ロッテ 小林、大谷、木村、中郷―里崎
西武 菊池、岡本篤、牧田―星孝

 

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4000勝目は唐川

2011-09-07 23:33:02 | 千葉ロッテ

東京や千葉でも最近は涼しい朝晩なので北海道は肌寒いかとも思っていたのですが、函館の夜は意外に暖かいです。
先日までの豪雨で心配をしていた天気も明日は晴れ間が見られそうで、晴れ男ぶりは健在だと自画自賛です。
もっとも明後日からは降水確率が高まる予報ですから先行きは不安で、メッキが剥がれる日もそう遠くはないかもしれません。

球団創設から通算しての4000勝目を手にしたのは、次代のエースとして期待をされている唐川でした。
成瀬を出し抜いて球団史にその名を刻んだことになりますので、何かを持っている男の仲間入りです。
もっとも7回を4安打7奪三振で零封をしながらも137球も投げたことを考えれば好調だったとは言い難いですし、粘り強く投げたと言っていいかどうかも微妙な気がします。
それでも勝てるピッチングこそが今のチームに求められている最優先な資質ですので、素晴らしい勝利だと言ってよいでしょう。
忘れかけていたロサと藪田の勝利の方程式も久しぶりに見られましたし、これで少しでも流れが変わってくれればと願っています。

打線は相変わらず湿ったままですが、地味ながらも初回に先制ができたことが大きかったです。
角中が頑張っている一方で井口の打率がついに2割5分を切るという構図に変わりはありませんが、内野ゴロでの得点という渋さが風向きを変えてくれることを祈るばかりです。
それにしても秋の甲子園とばかりに今日も9人野球とは恐れ入るばかりで、ここまで徹底ができればもはや芸術かもしれません。
何にせよ連敗がようやくに止まりましたので、明日からは白星街道を走り抜けるロッテであってもらいましょう。
その先陣は小林、菊池などに負けてはいられません。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
千葉ロッテ 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2 6 0
西武 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5

0


◆9月7日(水) 西武-千葉ロッテ17回戦(ロッテ11勝6敗、18時、西武ドーム、12,994人)
▽勝 唐川 18試合9勝5敗
▽S 藪田 43試合1勝2敗26S
▽敗 涌井 20試合6勝11敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 唐川、ロサ、藪田―里崎
西武 涌井、岡本篤―銀仁朗、星孝

 

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渡辺謙の涙

2011-09-07 00:57:06 | 映画

渡辺謙は好きな俳優ですので、出演作は脊髄反応で観てしまいます。
最近はすっかりとハリウッドに足場を築いた渡辺謙は準主役ぐらいは普通に手にするだけのポジションにいるようで、「インセプション」でもレオナルド・ディカプリオを食うぐらいの存在感を見せてくれましたし、この「シャンハイ」でも渋い演技でアピールをしてくれています。
時代劇俳優としての渡辺謙に慣れ親しんでいた自分としてはいつかはその時代劇に戻ってきて欲しいのですが、それでも日本人が世界で活躍をする姿を見るのは嬉しいです。

シャンハイ

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ただこの「シャンハイ」が映画としての質が高かったかと問われれば、素直には頷けません。
第二次世界大戦での上海が舞台なだけに残忍な日本兵といった描写が多いのは仕方がなかったのでしょうが、それでも気に入らなかったことは確かですし、それよりも何よりもどうにも語りたいはずのテーマが見えなかったのが最大の理由です。
追い詰められた中での愛を描きたかったのかもしれませんが、それにしては登場人物の心理描写が甘すぎました。
なぜにコン・リーの演ずるアンナがあれだけ男どもを惹きつけるのかも分かりませんでしたし、渡辺謙の田中大佐のセカンドラブも意味不明です。
その流した涙に至るまでのストーリーが完全に欠落をしているために感情移入ができなかったことも痛すぎで、何より佳境とも言える場面で渡辺謙の発した日本語の英訳のいい加減さに呆れてしまったと言いますか、あれで全てが台無しになってしまったと言ってもいいぐらいです。
またキーマンでもあったスミコ、しかしただのアヘン中毒者でしかない役柄に菊地凛子である必要があったのかとも思ったのですが、なかなか仕事は選べないのかもしれません。

この映画の米国、そして中国での評価が気になります。
あまりにステレオタイプ的な日本兵の描写が「フジヤマ」「ハラキリ」の流れに乗ってしまいそうですし、中国などでは反日の格好の材料になりそうです。
チョウ・ユンファもそうですが、これだけの顔ぶれを揃えながらもこんな映画しか作れなかったのかと思うと残念ですし、先の不可解な翻訳とともに思い出のような形で締めくくったラストシーンが消化不良すぎて、とにかく行間を読め的なストーリーにはついて行けなかった自分がいます。


2011年9月6日 鑑賞  ★★★☆☆(3点)

 

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がんばろう東北 おみやげ篇

2011-09-07 00:09:49 | 独り言

 

どうしても荷物が多くなりますのでおみやげもコンパクトなものにしたいのですが、以前はテレホンカードがあったのですが最近は目にしませんので困っています。
そうなるとせっかくですので飾り棚に飾れるものを中心に探してはみるのですが、なかなかピッタリなものはありません。
そんなこんなでどうしてもサイズが大きくなってしまい、後悔をしつつも次にいつ来るかが分からないのでと重い荷物を担いでの体力作りです。

そうは言いながらも大きなものは値が張りますので、言うほどのものは買っていません。
修学旅行の中学生が選びそうなものが目立つのは、どうしても地名などが分かるものを中心に物色をしているからなのでしょう。
左のうちわは弘前で買った津軽ねぶたをモチーフにしたもので、右のうちわは弘前城、その下は弘前築城400年記念のゆるキャラである「たか丸くん」と弘前城のマグネットです。
そして中央は盛岡城のクリアファイル、その下は久保田城で販売をしているしおりセットです。
見るからにベタなチョイスが恥ずかしくもなりますが、毎度のことですので最近は気にもならなくなってきました。

こちらは置物が中心です。
横手と言えばかまくらで、かまくら館の物産売場で購入をしました。
津軽ねぶたの小皿は今回の一番のお気に入りで、飾り棚のメインステージに鎮座をしています。
盛岡で買ったチャグチャグ馬コは黒にするか青にするかを迷ったのですが、結局は何となくオーソドックスなのは赤だろうと考えて買ったものの、実際は茶のつもりらしいです。
青い森鉄道のキャラクターであるモーリーの人形はかなりネタ系で、笑いを取るためのちょっとしたアイテムです。
ヒバコースターの柄はまたしてもねぶた系で、さすがに偏りすぎたかもしれません。

たいしたものはありませんが、写真と同じく目にすることで旅の思い出が蘇ってきますのでさほど悪い選択でもないかなと思っています。
また色紙にスタンプもここのところは恒例になっており、北東北で半分ぐらいを埋めることができました。
次に南東北を訪れることで東北シリーズは完成をしますので、是非ともスタンプのインクが切れないよう準備をしていてもらいたいものです。
施設によってきっちりとメンテナンスをしているところと放置プレイのところが極端に分かれていますので、マイスタンプ台を用意した方がよいのかもしれません。


【2011年8月 北東北の旅】
がんばろう東北
がんばろう東北 旅情篇
がんばろう東北 旅程篇
がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻

がんばろう東北 史跡巡り篇 弘前の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻
がんばろう東北 グルメ篇

 


再開をしたら最下位に再会

2011-09-06 22:58:20 | 千葉ロッテ

ここのところはかなりのハイペースで北東北旅行の記事をアップしていますが、これには理由があります。
先月末に旅先から帰ってきたばかりですが明日の今ごろは函館にいる予定で、そこから5泊6日で北海道をぐるっと回ってきます。
その旅行中にあれだけの記事をアップするのは無理ですし、しかし北海道から帰ってきてから北東北の記事をせっせと書くのも微妙すぎますので、旅立つ前にと頑張ってみました。
あまりのロッテの体たらくにオリオン村の看板を掛け替えようとしているわけではありませんので、今後もよろしくおつき合いをいただければと思います。

そんなこんなで新たな6連戦が始まりましたが、あっさりと初戦を落として最下位に転落をしました。
残念ながら成瀬は持っていない男なのか4000勝にその名を刻むチャンスを手放してしまい、チームもこれで6連敗です。
4四球と成瀬にしてはコントロールがばらついていた、と言うよりは動くストライクゾーンに苦しんでいたようにも見えましたが、しかし相手がロッテ打線ではありながらも同じ条件で石井一はコーナーを丁寧に突くピッチングができていましたので、やはり成瀬の調子が今ひとつだったのでしょう。
三振も僅か2個しか奪えませんでしたし、それでも146球も投げての7回5失点をどう考えるべきなのかは人それぞれでしょうが、成瀬らしく被弾で締めくくったところには苦笑をしながらも個人的には打線の援護がない中で頑張ってくれたと思います。
とにかく打線が打てなさすぎることで投手が抑えなければと力が入ってしまうという悪循環になってしまっており、同じような展開での負け試合ばかりで面白くもありません。
西村監督はことあるごとに「まだxx試合もある」と口にしているようですが、心の中で「まだxx試合もあるのか」と思ってしまう自分がいます。

そんな気が滅入る毎日に拍車をかけるのは、とにかくすり潰すための投手を手元に置かなければ落ち着かない西村監督の性癖です。
先発ではなかなか結果を残せない大谷を中継ぎに回したところまではよいのですが、まさか今日の展開で投げさせるとは思いもよりませんでした。
どうやら大谷はあらゆる意味で伊藤の代わりとなることが宿命づけられているようで、これで今季の40試合登板も夢ではありません。
誰がどう見たって中郷か小林だろうと思う中での大谷の登板を、今後に見ることが増えそうで不安がいっぱいです。

最終回に井口をそのまま打席に立たせての今日も9人野球ですから、打線はもう自然と調子が戻るのを待つしかないのでしょう。
終盤のミスジャッジに怒り心頭の西村監督だったようですが、問題はそこではないことに気づいていなければどうにもなりません。
選手を並べるだけであとはオートプレイの西村監督にはコントローラを握って自ら選手を動かして欲しいのですが、どうにもそのつもりが無さそうなのが頭痛の種です。
そんな中でも凡打でもきっちりと走り抜いている角中や、岡田や伊志嶺の好守を見ることで心が癒されるのは長年ロッテファンを続けてきたことによる耐性があってこそです。
ダメならダメでそれなりの野球とのつきあい方を知っているつもりですので、生涯の伴侶から距離を置くことなどはありえません。
高橋由伸に対する寺村チックに藤岡に対する鈴木大地の名前が機関紙に踊りましたが、それすら内野手の補強は素晴らしいとスタンディングオベーションです。
そして打たれはしたものの浦和にペンが姿を見せたことを手土産にして、明日の夕刻に函館に飛び立ちます。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
千葉ロッテ 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 5 0
西武 0 3 0 0 0 0 2 0 X 5 6

0


◆9月6日(火) 西武-千葉ロッテ16回戦(ロッテ10勝6敗、18時1分、西武ドーム、12,173人)
▽勝 石井一 17試合6勝7敗
▽敗 成瀬 21試合10勝10敗
▽本塁打 中島12号(成瀬)

▽バッテリー
千葉ロッテ 成瀬、大谷―田中
西武 石井一、牧田―銀仁朗

 

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がんばろう東北 グルメ篇

2011-09-06 19:11:16 | 独り言

 

学生時代はお金が無かったこともあって旅先でもほか弁を食べたりしたものでしたが、今は郷土料理や土地のお酒を飲むことが一つの目的になっています。
グルメと呼ぶほどの豪勢なものには手を出せる身分ではありませんが、それでも以前に比べれば多少なりとも進歩はしていると思います。
特に意識をしたわけではないのですが今回は駅弁がゼロだったのが誤算ではありましたが、普段はあまり目にすることのない初物にもチャレンジをした北東北の旅です。

初日の昼は盛岡冷麺です。
盛岡の麺と言えば「わんこそば」「冷麺」「じゃじゃ麺」が有名なのですが、ここはオーソドックスに盛岡冷麺で勝負です。
初めて食べたのですがかなりコシの強い麺は強烈でしたし、なぜにスイカと疑問にも思ったのですが、カクテキの辛さに痺れつつも後味はさっぱりで意外な美味しさでした。
先入観からか地元でメニューにあっても手を出してこなかったのですが、今後は普通に食べることになるかもしれません。

国盗り合戦の都合で泊まりは大湊だったのですが、夜も更けていたのでホテルの近くの居酒屋で夕食をとりました。
下北の地酒である関の井はほどよい辛さで、これはかなりのお気に入りのレベルです。
ただ残念ながら門外不出で青森ですらほとんど見かけないとのことで、飲みたければ下北まで来いということなのでしょう。
メインディッシュは帆立味噌貝焼きで、この帆立のごろごろ感には驚きました。
せいぜい3個ぐらいかと思っていたら片手では足りないぐらいで、玉子とじにして食べます。
味噌の味もさほど強くないことで素材の味が引き立っており、酒のつまみにはピッタリですので定食にしたことをちょっと後悔しました。

二日目の昼は八戸の郷土料理であるせんべい汁を食べようと思っていたのですが、八戸駅前で催し物があったのでそちらに流れてしまいました。
各地の名産らしきものが出店となっており、これが週末にいつもやっているものなのかこの日が特別だったのかは分かりませんが、かなりの賑わいでした。
こういったところから流れてくる香りに惹きつけられてしまうのは、どうにも避けようもない宿命のような気がします。

八戸はイカの水揚げ量が日本一だそうで、この日に水揚げをされたイカ焼きをつまみに昼からビールをかっくらいました。
せっかく新鮮なイカなのでイカそうめんの方がよかったのですが、イカ焼きもぷりぷりとして美味しかったです。
また青森シャモロックをダシにしたラーメンも食べましたが、こちらはただの中華そばでした。

それでもやはりせんべい汁は外せないだろうと、少し時間をおいてからのチャレンジです。
白菜やごぼうなどが入った醤油ベースの鍋に、かやきという専用のせんべいを割って煮込みます。
かなり煮込んでも歯ごたえがあり、どこか以前に食べたきりたんぽ鍋に似ているかなとも思ったのですが、いずれにせよ何とも言えない食感でした。
餅を入れればお雑煮みたいな感じで、冬場であればもっと味わえたかもしれません。

弘前泊まりでしたので夜は青森の郷土料理をと意気込んだものの、これといったものが見つからずに「がんばろう東北フェア」に乗ることにしました。
三島シトロンは青森は八戸の地サイダーで、これをサワーにして飲んだのですがただのサイダーでした。
なぜかメニューに青森の地酒がなかったので選んだのですが、何とも言えない微妙さがあります。

左から岩手は遠野のジンギスカン、宮城は仙台の牛タン塩焼き、福島は浪江の焼きそばです。
なぜに遠野でジンギスカンかは不明ですが、ちょっと胡椒が効き過ぎで、また羊肉ではなく牛肉のように感じたのは自分の舌が貧弱だからなのでしょう。
お馴染みの牛タン塩焼きはそのままでも美味しいのですが、付け合わせでついていた味噌漬けみたいなものをくるむとさらに美味しいです。
浪江の焼きそばは麺がすこし太いこと以外は普通の焼きそばで、どういったところが名物なのかがよく分かりませんでした。

三日目の昼は弘前でけの汁を食しました。
大根、人参、ゴボウ、蕗、豆腐などを細かく刻んだものが味噌仕立ての汁に煮込まれていて、どこか懐かしい味がします。
これも冬場にぐつぐつと火にかけながら食べればもっと美味しかったと思うのですが、それでも充分に舌を楽しませてもらいました。
なにげにリンゴの寒天ゼリーも絶品でした。

秋田に着いたのがこれまた遅かったので、ホテルのレストランでお手軽に夕食を済ませました。
重右衛門の酒は秋田の地酒ですが残念ながら自分には合わず、どうにも口あたりの悪さに閉口をしたのが正直なところです。
旅先で飲んだ日本酒ではこれまでで一番の不味さで、もちろん人それぞれの好みがありますので個人的な評価ですが、自分的には大失敗でした。

比内地鶏の唐揚げはJAROに通報をしようかと思ったぐらいの小ささで、これでは歯ごたえもへったくれもありません。
やはりきりたんぽ鍋に入れるのが、比内地鶏としてはベストなのでしょう。
はたはた鮨は単なる酢漬けでしかなく、きりたんぽ田楽もきりたんぽなのか田楽なのかが中途半端だったりもします。
やはり適当に近場でごまかすとこうなってしまうのだなと、四国に行ったときのように町を徘徊しなければダメだと痛感をさせられました。

最終日の昼は横手でB-1グルメで優勝をしたこともある横手やきそばに挑戦です。
冒頭の写真にある四天王を始めとしてほとんどの店が14時で終わってしまっていたために選んだのが「へのかっぱ」なのですが、それでも銀賞に輝いている店です。
店内ではちょうど野田首相が誕生をしたニュースが流れていて、自分の地元の船橋出身なんですよというどうでもいい話に付き合ってくれる気さくなご夫婦が営んでいます。

やや甘めのソースはビールを飲みたくなるぐらいの濃厚さがあり、特徴でもある半熟の目玉焼きを絡めて食べれば絶品です。
見た目よりはかなりボリュームがありますし、なるほどグランプリに輝くだけのことはあります。
紅ショウガではなく福神漬けがついているのが意外でしたが、全体的に甘めに仕上げるための工夫なのかもしれません。
次は同じくB-1グランプリの富士宮やきそばを食べてみたいと、そんな目標ができました。

今回の旅の最後の食事は、懲りもせずにセット定食です。
いろいろな郷土料理がひとまとめに食べられるので楽と言えば楽なのですが、一つ一つの出来が高いとは言いがたいものがあります。
それでいてそこそこのお値段ですので、何とも微妙な感じです。

前日のきりたんぽ田楽が今ひとつだったので、きりたんぽ鍋は外せないと頑張ってみました。
醤油ベースの鶏のだし汁にゴボウ、しらたき、せり、長ネギ、そしてきりたんぽと比内地鶏です。
やはりこう食べてみるとせんべい汁に似ているなと、B級な自分の舌がそう訴えてきたのですが、とにもかくにも美味しかったです。
この夏場にいろいろな鍋を食べることになりましたが、繰り返しになりますが次は是非とも冬に味わってみたいものです。

再び登場のはたはた寿司は、前日とは違ってかなり麹の香りがきつくて往生しました。
ただきっとこちらが本来の姿に近いのだと思われ、これはこれで一つの経験です。
とんぶりとろろはぬめり系が苦手な自分は一口でギブアップ、こればっかりはどうにもなりません。
ただ帰ってきてから調べたところとんぶりは畑のキャビアとも呼ばれるつぶつぶなもので、どうにも全然違う姿に驚いています。
そして稲庭うどんはやや細めの平打ち麺で、あまりコシが無かったのは伸びてしまったからなのかもしれません。
やや薄口のだしは自分好みでしたので、最後を締めくくるにはよかったと思います。

今回の旅もいろいろな初めてを楽しむことができましたが、やはり強行日程を組んだことが裏目に出たことは否めません。
夜遅くに宿泊地に着くことが多かったことで手近で済ませたことが失敗に繋がりましたし、気持ち的にじっくりと見極める余裕もありませんでした。
この反省を次に活かせるどうかは今後の自分次第ですが、それでもこれだけのものを食べることができたことだけでも大満足です。
膨大なカロリー消費をしながらも体重が変わらなかったことが、その満足度をしっかりと裏付けています。


【2011年8月 北東北の旅】
がんばろう東北
がんばろう東北 旅情篇
がんばろう東北 旅程篇
がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻
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がんばろう東北 おみやげ篇

 

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がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻

2011-09-06 01:43:25 | 日本史

 

最終日はやや雲が出たときもありましたが基本的には晴れ模様で、全日ともに天気に恵まれて最高の旅路となりました。
長宗我部フリークであるとともに佐竹フリークでもある自分としては羽後の地には相応の思い入れがあり、かつての本拠であった常陸が水戸徳川家によってその痕跡を完膚無きままに消し去られてしまったとはと言い過ぎかもしれませんが、そんなこともあって羽後が心の支えだったりもします。
ただ関ヶ原以降の移封であるために当然のごとく戦国時代の遺構は残されておらず、自分としては悲しい現実がそこにあります。

久保田城趾は千秋公園として整備をされており、大手門にあたるところから坂を立ち漕ぎで一気に登ると二ノ丸の地に佐竹資料館があります。
以前に訪れたときには休館日だったため、実質的には今回が初めてとなります。
さほど大きな建物ではありませんが戦旗や甲胄などが展示をされており、また親切な係の方にいろいろと説明をしていただきました。

資料館の前に自転車を留めて、長坂を登ると御物頭御番所が姿を見せます。
城内の建造物はほぼ焼失をしてしまっているため、この御物頭御番所が唯一の遺構です。
本丸に至る表門の脇に位置しており、ぱっと見は分かりにくいかもしれませんが内部は二階建ての構造となっています。

こちらは本丸の玄関口にある表門です。
2001年の再建とのことですので、おそらくは前回に来たときには無かったはずです。
残されている絵図や発掘調査の結果を基に木造二階建て瓦葺き櫓門で忠実に復元をされており、なかなか立派な作りに圧倒をされました。

本丸には佐竹義堯の像があります。
久保田藩十二代の藩主にして最後の藩主でもあり、相馬中村藩の三男から佐竹支藩の養子に入り、最終的に佐竹宗家を継ぎました。
ただ佐竹氏と相馬氏とは血縁関係があるために、佐竹義重の血は受け継がれています。
幕末の人物ですから守備範囲的には完全に外れるのですが、せっかくですのでカメラに納めたといったところです。

本丸の北西に位置する、武器庫を兼ねていた御隅櫓です。
なかなか写真を撮るのが難しいところにあり、かなり撮影者泣かせです。
久保田城は幕府をはばかってか天守閣が造られておらず、それでもこの御隅櫓がその代わりであったということでもなく、本丸には藩主が住む本丸御殿が別にありました。
それであればその本丸御殿を復元すればいいのにとも思うのですが、やはり日本人のDNAに刷り込まれているのは天守閣、そして櫓なのでしょう。
それらを見たときの血の騒ぎには痛いぐらいの覚えがありますので、とても否定はできません。

天徳寺は佐竹氏の菩提寺であり、総門と山門は城門に負けないぐらいの偉容を誇っています。
開創当時は本拠であった常陸にあったのですが、佐竹氏が移封をされたことで羽後の地に移ってきました。
ちなみに常陸にも天徳寺は残されているそうです。

その天徳寺にある佐竹家霊屋は普段は公開をされておらず、柵の外から覗くようにして写真を撮りました。
佐竹義宣の墓所もこのどこかにあるはずなのですが、当然のことながらよく分かりません。
一般公開をされるのは8月16~17日とのことですのでそこでなければ巡り合うことはできないわけで、かなりハードルが高いです。
土佐の長宗我部のように寂れてしまうのも悲しいのですが、これはこれで何とも微妙な感じがします。

この旅の最後の目的地は横手で、自分としては小野寺氏のイメージが強いのですが現在は佐竹氏の支城の色合いが濃くなっています。
伊達盛重、伊達政宗の叔父である国分盛重と言った方がとおりがよいようにも思いますが、伊達家を出奔した後に横手城の初代の城代となりました。
複雑な血縁関係もあって伊達盛重は佐竹義宣の叔父でもあるわけで、それなりの待遇をしたのでしょう。

その後は須田盛秀を経て佐竹一門の戸村氏が城代を務めて幕末を迎えます。
一時は奥羽列藩同盟に名を連ねた久保田藩は途中で新政府軍に寝返ったために、仙台藩と庄内藩に攻められて落城をしました。
現在の天守閣は模擬天守であり資料的な価値は皆無とのことで、コンクリート造りの歴史資料館と考えればよいでしょう。
それでも興奮をするのは先に書いたとおりDNAが騒ぎ出すからであろうと、そう確信をしています。

この横手には宇都宮釣り天上事件で有名な本多正純が流されてきています。
面白おかしく喧伝をされている釣り天上は事実無根であることは当時からハッキリとしていたことで、要は土井利勝らとの政争に敗れたことによる後付けの理由なのでしょう。
その本多正純は15年後に横手の地で没して正平寺に葬られますが完全に調査不足で、小野寺泰道の墓所もあるとのことで絶対に行かなければならなかったのですが、気持ちはすっかりと横手やきそばに奪われてしまったことで後の祭りです。
天気の心配ばかりをして計画が疎かになったことを反省して、今後の糧にしなければなりません。


【2011年8月 北東北の旅】
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がんばろう東北 史跡巡り篇 弘前の巻

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がんばろう東北 おみやげ篇

 

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なるようにしかならない

2011-09-05 23:35:15 | 千葉ロッテ

この期に及んでも他人事と言いますかファン目線なコメントしか残せない西村監督ですが、今年に最下位になったとしても解任をされるとは思っていません。
イーシャンテンぐらいにはなるかもしれませんが、昨年に日本一になったことと球団に対して従順であることからして、来季もチームを任されることは確実でしょう。
個人的にはその日本一になった昨年ですら評価をしていなかったことは通信簿にもさらっと書きましたが、しかし一方で西岡をキャプテンに抜擢をするなど真の名将になるための資質は充分に有しているだろうと、期待半分ではありますがそういった見方もしています。
ただそれでも「行きすぎた主力主義」「左対左への固執」「人を人とも思わない中継ぎ酷使」などには腹を据えかねていますし、前監督と同様に裸の王様になってしまったことで後戻りはできないのではないかと、そんな絶望感があるのも正直なところです。

いろいろと弊害もありますが何だかんだ言いながらもOB監督がファン心に訴えることは間違いありませんので、西村監督が軌道修正をしてくれるに越したことはありません。
球団にはその西村監督に服を着せてあげるためにしなければならないことは何なのかを真剣に考えて欲しいですし、選手たちも結果が残せないことで首が絞まるのは自分自身であることを強く意識をして悔いのないプレーを心がけてもらいたいです。
なるようにしかならない、と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、一喜一憂をしながらも添い遂げる覚悟をしている自分としてはある程度の達観を持ちつつ、しかし少しでも前のめりに倒れるような終盤戦、そしてオフになってくれることを願って今後を見守っていきたいと思います。

 

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がんばろう東北 史跡巡り篇 弘前の巻

2011-09-05 21:26:38 | 日本史

 

三日目は弘前で、またしても肌のダメージが心配になるぐらいの晴天でした。
曇りや雨は困るものの、晴れたら晴れたで写真を撮る際の逆光が気になるという贅沢な悩みを抱えての散策でしたが、見るところが多くてかなり楽しく過ごすことができました。
前日からのギャップもあってかなりのハイテンションで、カーナビの使い方に慣れたこともあってこの旅で一番にアクティブに動き回った弘前です。

弘前城には日本で12箇所しか残されていない現存天守があり、また3つの櫓と5つの門も天守閣と合わせて国の重要文化財に指定をされています。
これだけの遺構が残されている城は日本でも数少なく、もっと注目をされてもよいように思います。
どこの門から入って巡るのが一番に効率的かを考えもしたのですが、面倒くさくなったので弘前駅から最寄りの東門から中に入りました。

東門を抜けると三ノ丸となり、その三ノ丸と二ノ丸の間に鎮座をしているのが東内門です。
これだけの構えの門が一つでもあれば感動ものなのですが、ここ弘前城には複数残されているのですから恐れ入るしかありません。
どういった経緯で解体をされなかったのかは分かりませんが、津軽氏の尽力もあったのでしょう。

東内門を抜けると二ノ丸から冒頭の天守閣を望むことができます。
これを見てしまうと一気に向かいたくもなるのですが、ここは気持ちをグッと抑えて右手、方角で言えば北に向かって進むと与力番所があります。
こちらは再建をされたものだからなのかもしれませんが入ろうと思えば入れる状態となっていたのですが、入っていいのかどうかが分からなかったのでやめておきました。

さらに北に進むと丑寅櫓があります。
文字どおりに城の北東を守るための櫓で、ここ二ノ丸に配されています。
城内は道路整備のためかあちらこちらで工事をしており、この丑寅櫓の近くもパワーシャベルなどが所狭しと動き回っていたために通行が制限をされていたのですが、写真を撮るために行ったり来たりで交通整理の方にかなり迷惑をかけてしまって申し訳なかったです。

そのまま北に向かうと一気に広い場所に抜けますが、あまり他では聞かない四ノ丸がそこにあります。
護国神社があったのですが軽くスルーをして、北門を抜けて場外に出ることにしました。
中をぐるっと回ろうかとも思ったのですが通行止めになっている所がままあったことと、堀を眺めるのもよいだろうと思ったのが理由です。

その堀を頼りに時計回りにぐるっと反対側に回ると追手門があります。
その名のとおりに城の正面を守る門で、本来はここから入って城を巡るのが王道なのでしょう。
東門には無かった弘前城趾の碑がこちらにはありましたし、ほんのちょっとだけ後悔をしました。
ただ築城当時は北が正面口だったようで、先に抜けてきた北門が追手門と呼ばれていたらしいとは豆知識です。
いずれにせよ東門から入った自分には、どうにも関係のない話だったりもします。

追手門を抜けて北に進むと南内門があります。
天守から見て南にあるので南内門であり、東内門と同じく三ノ丸と二ノ丸を遮断する役割を担っているのでしょう。
どの門もそうですが外側ら見れば門の正面が狭くなっており、コの字に曲げることで一気に攻められるのを避ける造りとなっています。
ほとんどの写真が斜めからしか撮れていないのがその理由で、かなり立派な門であるためにそれなりの距離を取らなければ全体が写らないためにこういった構図になっています。

しばらく歩くと植物園があるのですが、その陰でうっかりすると見落としがちなところに辰巳櫓があります。
位置的には南内門を抜ければ見えてもおかしくはないのですが、鬱蒼とした木々がその姿を隠してしまっているのが残念だったりもします。
こちらもその名のとおりに城の南東を守るための櫓で、かなり広い面積を占めている植物園に入ればもっときちんと見ることができたらしいのですが、そのときにはよく分からなかったのでスルーをしたことで遠目にしか見ることができなかったのが残念ではありました。

二ノ丸の南西に位置するのが、同じくその方角から名付けられたのであろう未申櫓です。
一見すると丑寅櫓、辰巳櫓との違いが分かりづらいのですが、窓の作りなどが微妙に違います。
ただどれがどれかと問われても自分にはハードルが高すぎますし、同じ城を守る櫓としての統一美と考えればよいのかなと思います。

いよいよお目当ての天守閣です。
築城当時の天守閣は五層の巨大なものであったようで、現在とは違い本丸の南西の場所にありました。
落雷で焼失をして以降は再建がされなかったのですが、本丸の南東にあった辰巳櫓、二ノ丸の辰巳櫓とは別の櫓を改築したものが現在の天守閣になります。
武家諸法度により天守閣の新築は禁じられていたために、正式には御三階櫓と呼ばれていたとのことです。

そんなこともあってか、やや小ぶりな天守閣ではあります。
それでも日本最北の現存天守ですし、末永く大切にしていきたいものです。
また近くに桜のトンネルもありましたし、城内にもいたるところに桜が植えられていましたので、できれば次は桜が満開の時期に訪れてみたいと思います。

弘前城を出て次に向かったのは、藩祖である津軽為信の菩提寺である革秀寺です。
その津軽為信の霊屋は柵に囲まれており寺の方に声をかけて中に入らせてもらったものの、国の重要文化財ですので当然のことながら霊屋の中まで入ることはできません。
当時としては希少だった朱色に彩られた霊屋は、藩祖に対する崇高の念が感じられました。

誓願寺の山門は日本で唯一のこけら葺き重層四脚門で、これまた国の重要文化財です。
懸魚に鶴と亀が彫刻をされていることから鶴亀門とも呼ばれているらしいのですが、残念ながらよく分かりませんでした。

左から長勝寺黒門、栄螺堂、そして長勝寺です。
この長勝寺黒門から長勝寺に至る500メートルちょっとの間に33もの寺院が建ち並び、長勝寺構えとも禅林街とも呼ばれており、有事の際の出城の役割を担っていたとのことです。
まっすぐに伸びた道路の両脇の寺院群は威圧感すらあり、なるほどと思わせるだけの偉容を誇っていました。
また栄螺堂は回廊式の構造になっており会津若松にも倍以上の大きさのものがあり昇ることができるのですが、弘前では非公開となっています。

こちらは法源寺にある、大浦城から移設をしたとされている城門です。
その規模からして信憑性が今ひとつなのですが、それらしき立て看板はありました。
津軽為信は久慈氏の出身と言われており、大浦為則の婿養子となって大浦城主となりましたので、そういう意味では原点の城の遺構と言えなくもありません。

最勝院の五重塔です。
もしかすると弘前城に匹敵をするぐらいに、弘前ではメジャーな観光地かもしれません。
国の重要文化財に指定をされた五重塔としては最北に位置するもので、完成までに10年以上を要したとのことです。
こういったものに疎い自分ですら、しばし見とれるだけの様式美があります。

弘前城の東門の近くにある弘前文化センター前に、津軽為信の像が建っています。
元々は本丸に建立をされていたものが戦時中に金属供出のために鋳つぶされてしまい、2004年にこの場所に復元をされました。
よって以前に弘前を訪れたときにはまだ無かったものですので、今回に初めて見ることになります。
触れなかったので材質は分からないものの同寸のものが弘前市観光館に展示をされており、ミニチュアを販売して欲しいと思うぐらいの素晴らしさに感動をしました。
個人的にはどうでもいいご当地キティちゃんグッズなどを作るぐらいでしたら、こういったものに力を入れてもらいたいものです。


【2011年8月 北東北の旅】
がんばろう東北
がんばろう東北 旅情篇
がんばろう東北 旅程篇
がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻

がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻

がんばろう東北 グルメ篇
がんばろう東北 おみやげ篇

 


がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻

2011-09-05 00:51:36 | 日本史

 

二日目は八戸です。
この日も笑っちゃうぐらいの晴天で、天気予報にやきもきとしていたのが嘘のような展開です。
その八戸は南部氏の惣領であったとも言われている根城南部氏の本拠でしたので、初めて訪れることもあってかなりの期待感がありました。
ただ結果的には自分の守備範囲とは違ったことを痛感した、そんな一日となってしまいました。

根城は根城南部氏、一般的には八戸氏が南北朝時代に築いた城です。
そのために城と言うよりは館との表現が正しいと思われ、実際問題として自分の中の概念である城とはかけ離れた存在でした。
遺構としての土塁などがしっかりと残されているので資料的な価値は高いのでしょうが、やはり日本100名城に指定をされていなければ訪れなかったと思います。

領主が住んでいた主殿はさすがに規模が大きく、中には当時の生活を想定したのであろう人形などが配置をされていました。
ただこれも時代が下れば裕福な商家の建物と言われても分からないかもしれず、何とも複雑な気分です。
このあたりの感覚は人それぞれの嗜好や志向によるものでしょうから仕方のないところで、自分には合わなかった、ただそれだけです。

敷地内には多くの建造物が復元、再建をされています。
上段左から東門、納屋、上馬屋、中馬屋、番所、下段左から工房、野鍛冶場、鍛冶工房、板蔵、堀跡となります。
堀跡以外は柵で囲まれたいわゆる本丸に配されており、しかし納屋や工房、鍛冶工房などは竪穴式だったりもしますのでいつの時代だよと思わずつぶやいたりもしましたし、順路に沿って歩いて終わりといった感じでさほどの印象は残りませんでした。
ただ手入れがかなり行き届いていることは分かりましたし、貴重な施設であることは間違いないでしょう。

こちらは根城と八戸市博物館の敷地の境にある、旧八戸城東門です。
八戸城からこちらに移設をされたもので、八戸市の指定文化財となっています。
なぜにここにあるのかはよく分かりませんが、根城がああいったものですのでかなり違和感があったことは否めません。

八戸市博物館の前には、根城を築いたと言われている南部師行像があります。
南部師行は北畠顕家の配下として南朝を陸奥の地で支えて、そして顕家に従って上洛をした際にその顕家とともに討ち死にをしました。
この師行の系統が根城南部氏、いわゆる八戸氏となり、戦国時代の八戸政栄に繋がります。

八戸市博物館には南部氏にかかる資料の展示がされていましたが、根城南部氏のものがさほど多くはなかったのが残念でした。
惣領を三戸南部氏に奪われたことで歴史の陰に隠れてしまったところが多かったのも理由だと思われ、やはり敗者には厳しい世の中ということなのでしょう。
三戸南部氏を惣領に引き上げた南部信直が優秀な武将であったとは思っていませんが、時代を見る目だけは確かであったと言えます。

根城とは離れた場所にある八戸城は、ありがちな役所と公園に化けていました。
八戸城は江戸時代の築城で、また根城南部氏とは全く関係がありません。
根城南部氏は八戸から遠野に移されてしまい、その跡に宗家から分かれた南部直房が八戸藩を新たに立てて八戸城に入りました。
ていのいい乗っ取りのようなもので、しかし根城南部氏改め遠野南部氏は家中ではそれなりの地位を与えられましたので冷遇をされたというわけでもないようです。

藩祖ということもあってか、南部直房像が城跡に鎮座をしています。
南部信直の孫にあたりますので戦国の遺風は残っていた時代の人物なのでしょうが、申し訳ないながらも地味なイメージは否めません。
説明板などがないのは地元の方にとっては常識となっているのか、はたまた軽視をされているのかが激しく気になったりもします。

八戸城の遺構として残されているのは、先の東門とこの角御殿表門のみとなります。
現在は市の施設の門となっており、ちょっと悲しい立て看板があるなどして趣が感じられません。
出足から蹴躓いたこともありましたが、どうにも見るもの聞くものに不満たらたらとなってしまったのは自分勝手な思いであることは承知ながらも、これが八戸の正直な感想です。
ただきっと歳を重ねれば何か違ったものが見えてくるのではないかと、来るのが早すぎたのだろうと思えば受け止め方も変わってきますので、そう自分に言い聞かせることにします。


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成瀬をロッテのエースにするために

2011-09-04 22:25:51 | 千葉ロッテ

成瀬が「ロッテなエース」ではなく「ロッテのエース」になるためには、持っている男にならなければなりません。
やはりチームを引っ張っていく選手には、実力だけでは語れない何かが必要です。
そんな成瀬がチーム創設から通算して3999勝目の白星を手にしたときのコメントを、チームメイトは聞き逃していなかったのでしょう。
「4000勝じゃないのは持っていませんね」と苦笑いをした成瀬のためにその4000勝目を温存した、この5連敗の真相はそこにあるに違いありません。
そうとでも思わなければやっていられない、あまりに弱すぎる敗戦が続きます。

渡辺俊はさほど悪いとは思いませんでしたが微妙なコントロールのズレが回を重ねる毎に広がっていきましたので、その球数もあっての五回での降板は仕方がありません。
あまり組んだことはないであろう田中との呼吸も今ひとつだったようですし、しかしだからこそ渡辺俊が強く引っ張って欲しかったのが正直なところではあります。
結果的には渡辺正の不可解なエラーが致命傷ではあったものの、楽天打線に粘られて四苦八苦をしたのは渡辺俊の問題ですし、以前に比べて派手な打たれ方ではなく出来不出来の見極めが難しくなったことはかえって困った状態かもしれません。
ただそれでも打線の援護があればまた違ったピッチングができたでしょうし、それを期待していた昨日の記事ではあったのですが、やはり無い物ねだりだったようです。
また負け星が先行をしてしまいましたが、めげずに粘り強く投げてもらうしかありません。

その渡辺俊を継いだのは意外にも大谷で、このあたりのベンチの思惑が激しく気になります。
先発では六回前後で崩れることが多い大谷だけに適性を中継ぎとした上での起用であればいいのですが、とにかく後先考えずに突っ込んだのであれば噴飯ものです。
大谷にとっては今季で野球が終わるわけではありませんので先発であれ中継ぎであれ明確な意図を持って起用をしてもらいたく、そもそもが先発として調整をしてきたわけではない大谷のスタミナ不足を来季への課題として先送りをするのであれば今後は中継ぎで使い続けてもらいたいですし、とにかく中途半端だけは勘弁です。
その大谷のストレートが140キロを越えたところを見れば先発のときはペース配分を考えてセーブをしていたのだろうと思いたくもなりますし、そうであればまずは中継ぎで短いイニングを持てる力を全て出し切ることで自分の型を作っていくことを優先するのもありでしょう。
大谷の代わりは木村らを抜擢すればよいと思いますし、是非ともそうあってもらいたいものです。

そんな負け試合でも最後を締めるのはロサで、ただでさえ生気のない表情がさらに冴えないように見えるのは先入観があるからなのかもしれませんが、あそこは延長戦があるわけでもない時間帯でしたので調整登板の藪田でよかったのではないかと考えます。
その他の投手はここまで先発が早く崩れたことと無茶苦茶な継投もあって使うには躊躇をする場面でしたし、またロサはないだろうとは心の底からの叫びです。
勝っている試合であればまだしもこんな展開で投げさせられているロサはオフの契約時に揉めるような気がしますし、ストーブリーグが心配でなりません。
これでロサまで抜けたらどうなるのか、きっと西村監督や成本コーチは考えてもいないのでしょう。

打線は相変わらずに湿ったままですし、数少ないチャンスでもあと一本がなかなか出ません。
それでも今日は左腕に対して角中が粘りに粘ってヒットを放ったのをきっかけにして福浦がタイムリーを放つなどして勢いが付きかけたのですが、昨日に続いて今江がここぞという場面で犠牲フライが打てず、またどうにも体が重くて仕方がないと言わんばかりの動きを見せる井口がチャンスを潰して以上終了です。
その井口は今日もしっかりとフル出場で、ただでさえ打席に立つ機会が少ない金澤に根元を代打で出している場合ではないだろうと、根元を使う場所は他にあるだろうと、愚痴っても何も変わらないことは分かってはいるものの愚痴りたくもなる自分がいます。
ベストパフォーマンスを見せるためにはどうすればいいのかを冷静に判断ができない井口が将来の監督候補であることにも頭が痛くなってきますし、もっと井口はやってくれるはずだと思うだけに夏場以降の井口の醜態がもったいなくて仕方がありません。
いつまで井口のフル出場を認めるのか、契約縛りで西村監督からすればアンタッチャブルな領域なのかもしれませんが、ここまで成績が落ちてくれば鈴をつけることも可能ではないかと、あるいは師匠である金森コーチが引導を渡すことも考えてもらいたいです。
何もレギュラーから外せと言っているわけではなく、適度に休んで持てる力を発揮してもらいたいだけですから、そんなに難しい話ではありません。

最後にホットな話題である捕手についてです。
田中がアマチュア時代から守り続けてきた捕手をやりたい気持ちも分かりますが、今日の試合での表情を見ればもういっぱいいっぱいでしょう。
バントを失敗するなど打撃にも悪い影響が出ていますし、そのキャプテンシーとガッツを活かすためにはやはり内野手としての出番を模索した方がよいように思います。
井口があんなですので内野手として出番を得るのも大変なことではあるのですが、それでもこのまま捕手をやっていくよりはマシですし、里崎が戻ってくるまでは金澤を軸にして的場にサポートをさせながら凌いでいくのが最善策ではないかと考えます。
本来であればここで小池を使いたいところではあるのですが故障とのことですし、田中を来季以降も捕手として考えているベンチであれば我慢をするのもよいとは思うのですが、これまでの仕打ちを考えればとてもそんなことは思いもよりませんので、里崎不在という貴重なチャンスを無駄にしたくはありません。
こと捕手に限った話ではなく先に挙げた大谷などもそうなのですが、とにかく場当たり的ではなく先を見据えた選手起用を是非ともお願いをしたいです。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
楽天 0 0 1 0 3 0 0 1 1 6 14 0
千葉ロッテ 0 0 0 0 3 0 0 0 0 3 6

1


◆9月4日(日) 千葉ロッテ-楽天18回戦(楽天12勝5敗1分、17時、QVCマリン、16,522人)
▽勝 小山 36試合6勝2敗
▽S ラズナー 26試合3勝4敗11S
▽敗 渡辺俊 20試合6勝7敗

▽バッテリー
千葉ロッテ 渡辺俊、大谷、小野、ロサ―田中、金澤
楽天 長谷部、山村、小山、青山、ラズナー―嶋

 

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がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻

2011-09-04 13:53:52 | 日本史

 

今回の北東北の旅は岩手、青森、秋田と時計の反対回りで巡っていくこととしました。
これまでであればのんびりと各駅列車を使うか、あるいは寝台特急で目的地に入るのが常だったのですが、今回は時間がないので新幹線の利用です。
記憶違いでなければ東北新幹線を利用するのは初めてのことで、平日の始発ということもあってかかなりガラガラだったのは当たり前と言えば当たり前です。
途中の郡山あたりでかなりの雨に遭遇をしてイヤな予感もしたのですが、最初の目的地である盛岡に着いてみれば心配無用の青空が広がっていました。

まずは城跡の側のもりおか歴史文化館で下調べです。
前回に来たときには訪れた記憶がないのですが、それも当然で今年の7月に開館をしたとのことです。
南部家の至宝と称した展示をしていましたがそもそも盛岡城が1598年に築城をされて戦国時代の末期のものですから、個人的にはちょっと期待外れではありました。
盛岡城の往時の模型があったのが収穫で、これをイメージしながら城跡に行ったことで自分がどこにいるかを意識できたのは大きかったです。

残念なことに盛岡城には櫓などの遺構は残されていません。
そもそも天守閣は最初から無かったのですが、その他の建造物も明治初頭に解体をされています。
戦災で焼失をしたのであればまだしも、なぜに歴史的遺産を自らの手で葬ってしまったのかが理解に苦しみます。
これは日本全国でのことですから明治政府の意向が働いたと思われ、まだ維新の混乱が続いていた時期ですから叛乱の拠点になることを怖れたのかもしれません。
その代わりと言ってはなんですが東北ではあまり多くはない立派な石垣が特徴で、これだけのものが残っているのはかなり珍しいです。
曲線美が見事ですし、かなり神経を使った手入れがされていることがよく分かりました。

城内は三ノ丸、二ノ丸、本丸と区切られており、しかし一見するとただの広場にしか見えません。
遺構がないのも手伝っているのでしょうが、木が生い茂っていて輪郭などが分かりづらいのがその理由だと思います。
すっかりと公園の雰囲気で涼を求めて木陰で刻を過ごしている人が多く見られましたので、地元の方にとっては憩いの場なのでしょう。
こういった場所とは縁遠いところに住んでいますので、かなり羨ましく感じたのが正直なところです。

城内の唯一の遺構がこの彦御蔵ですが、城外にあったものを移設したものですから正確には盛岡城の遺構ではありません。
場所的にも見落としがちなところにありますし、積極的なアピールはされていないようです。
なんだかもったいないような気もしますが、門や櫓に比べれば華やかさに欠けますので仕方がないのかもしれません。

盛岡からいわて銀河鉄道に揺られて数駅、次に向かったのは三戸です。
南部氏は複数の家に分かれて戦国時代末期に三戸南部氏が宗家の位置づけになったのですが、しかし三戸城がその本拠であり続けていたわけではないようです。
それでも南部信直は三戸城を本拠としていましたし、盛岡城に移った後も城代が置かれて重要な位置を占めていました。
ただし明治維新を待たずして廃城となり、当時の建造物は全て失われています。

三戸駅からの交通の便はかなり悪いです。
レンタサイクルもありませんしバスも1時間に1本もあればいいほうで、しかも電車との時間調整がされていないので下調べをせずに行けば途方に暮れることでしょう。
南部バスに乗ること10分ちょっとの距離ではあるのですが、もう少し何とかして欲しいのが旅人としての我が儘だったりします。

それなりに急な坂を登っていくと、綱御門にたどり着きます。
20年ほど前に復元をされたものですが、そもそも三戸城に来たのは初めてですのであまり関係はありません。
登城をする際の最初の門で、その脇には武者溜跡がありましたので城にとっては最初の防衛線の位置づけだったのでしょう。

再建をされた隅櫓は歴史資料館を兼ねており、南部氏の歴史を語るパネルや甲冑が展示をされています。
天守閣ではなく櫓ですからさほど大きな作りではないのですが、この旅の最初の建造物でしたので嬉しさのあまり階段を駆け上ってしまいました。
やはりコンクリート造りであっても城を見ると嬉しくなってきますし、これがあるから史跡巡りはやめられません。
景気が落ち込んでいるために地方自治体にその体力は残されていないでしょうが、できうる限り積極的にいろいろな建造物の再建を考えてもらいたいものです。

この隅櫓から少し下がったところに本丸跡があるという不思議な縄張りではあるのですが、そもそも隅櫓が模擬天守の扱いですから考えても仕方のないことなのかもしれません。
悲しかったのは売店が廃墟のようにうらぶれていたことで、もう何年も前に閉店になったかのような雰囲気を醸し出しています。
もっとも三戸城を目当てにくる人などはたかがしれていると思われますのでなかなか商売にはならないでしょうし、春先の花見のときにだけ開店をしているのかもしれず、そういう意味では海の家と同じと思えばいいのかなと、どうでもいい余計な心配をしたりもしていました。

困ったことに帰りのバスは1時間半ほど先にしかなかったため、カーナビを頼りにてくてくと駅に向かって歩き出しました。
3キロ弱ほどあったので1時間ぐらいかかったのですが、そこで予定外の発見があったのでラッキーだったりもします。
事前調査が甘かったと言ってしまえばそれまでですが、三戸城の搦め手門を移設したと言われている法泉寺の山門と、同じく表門を移設したと言われている竜川寺の山門がその路上にありましたので、ちょっとしたサプライズにかなり興奮をした自分がいます。
やたらとニコニコしながら眺め、写真を撮り、案内板を食い入るように見ていたからなのでしょうが、近くを通った人にかなり怪訝な表情をされてしまいました。


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がんばろう東北 旅程篇

2011-09-04 01:17:33 | 独り言

 

別に鉄道ファンということではないのですが、これまで乗り継ぎ駅と下車駅を写真に撮って紹介をしてきましたので、今回もせっかくですので記事にします。
そもそもがデジカメのしおりの意味合いで撮り始めたのですが、最近では目的の一つになってしまっているのですから不思議なものです。
定型で味気のないものが大半ではあるのものの、今回に初めて知ったのですが東北新幹線の開通に伴って在来線が第三セクターのいわて銀河鉄道と青い森鉄道に引き継がれたことで、ちょっと違った雰囲気のものを目にすることができました。
ただそれでも各駅の特色を活かした、もっとバラエティに富んだものが増えてくれればと思ったりもしています。

同じ駅を何度も利用した場合は割愛をしています。
例えば最後は田沢湖からいきなり上野に向かったわけではなく秋田から寝台特急に乗ったのですが、前日に秋田に泊まったのでそこで登場をしています。
今回に使った切符は「北東北・函館フリー乗車券」で、フリーエリアの5日間乗り降り放題とフリーエリアとの往復乗車券がセットで18,000円ですからかなりお得です。
もちろん私が学生のときに利用をしていた周遊券に比べればお得感はずっと低いのですが、20年以上も前と比べても仕方がありません。
それでもJR東日本は先日も東日本パスを発売するなど頑張っている方で、JR東海やJR西日本、JR九州などはお得感がある切符はほとんど発売をしていませんから、どうしても史跡巡りでの場所選択で優先順位が下がってしまうのが現実だったりもします。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、こと史跡巡りだけで考えれば必要のない駅にかなり足を運んでいます。
大湊や七戸十和田、鰺ヶ沢や湯沢などがそうで、もちろんこれはケータイ国盗り合戦の国盗りのためです。
ずいぶんと無駄なことをやっているとの自覚はあるものの、なかなか足を運べる地ではないので多少の無理は承知の上で頑張っています。
もっとも史跡巡りの時間を犠牲にしてまでのことはしていないのですが、次の北海道ではそういうわけにはいきそうにもありません。
かなり無駄足な報告をすることになるとは思いますが、ポチッとしていただければ大きな画像になりますので、今は北東北の雰囲気だけでも味わっていただければと思います。


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完敗だ完敗、どう見たって完敗

2011-09-03 23:52:12 | 千葉ロッテ

暑い日の通り雨は打ち水のようになって気持ちがよかったりもするのですが、自分が傘も持たずに外にいれば話は別です。
運の悪いことに雨宿りをするところもない県道15号でバケツをひっくり返したかのような集中豪雨に出くわしてしまい、溺れかけたカメラが今はただ心配でなりません。
それに比べれば今日の敗戦などは気にもならない、と言ってしまうと語弊があるものの、やっぱり負けたのねと思ってしまう自分がいます。

残念ながら負け投手にはなったものの、マーフィーの投球内容は個人的には評価をしています。
前回のピッチングでストレートが140キロを越えたことで期待はしていたのですが、今日もストレートは140キロ台前半でしたので昨年の終盤以降から続いているスランプから立ち直るきっかけを掴みかけているのではないかと見ています。
初回にそのストレートが浮き気味で四球を絡めた3失点はもちろん誉められたものではありませんが、間に合いもしないセカンドに悪送球をして足を引っぱった田中の責任も大きいですし、フルカウントになること自体はマーフィーの持ち味でもありますから気にもなりません。
カーブの比率も高く、そしてストライクも取れていましたから、もう2~3試合もすれば好調だったときのマーフィーが戻ってくるのではないかと期待をしています。
そのためには目先のアウトに惑わされて今日のスタイルを崩さないこと、これだけは田中や金澤に強くお願いをしたいです。

そのマーフィーがKOをされた後に出てきた中継ぎ陣は、いつもどおりの面白みのないピッチングをやらかしてくれましたので気が滅入っています。
どうにも走者を背負うと弱気の虫が頭をもたげる中郷は連続四球で一死も取れずに交代となりましたので、ここまで築いてきたものが一気に崩れ去ったと思った方がよいでしょう。
イニングの頭からであればあれだけ強気に攻められる中郷がこれですから、やはりチームとして真剣にメンタルトレーニングに取り組むべきだと強く主張をします。
伊藤の代わりに昇格をしたSMAP小林もアマチュア時代の面影もない、こぢんまりとまとまったピッチングですから頭が痛いです。
小林がこんな状態であれば同じような雰囲気がありながらも木村を先発で起用をした方が先が楽しみですし、また九回の山本徹の2三振が投手陣の宝となってくれることでしょう。
その山本徹にしても今はストレートをビシバシと投げてこそ経験になると思うのですが、結果を求めての変化球が多いのが気に入りません。
そのキャッチングや状況判断の甘さもありますし、やはり田中には内野手として活きる道を模索した方がよいように思います。

打線は10安打を放ちながらも僅か1得点で、逆に言えば田中の凄さを思い知らされた気分です。
走者を背負ってからの鬼気迫るピッチングはロッテ投手陣とはまさに対極で、ダルビッシュもそうでしたがこれができてこそのエースでしょう。
ピンチになるとおろおろとしてしまうロッテの投手に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいで、何を食べたらああなるのかが知りたいです。
そんな中でその田中から2安打の角中はこれで今季は15安打で、これまでの4年間での9安打を軽く越えています。
今日は守備にもつきましたし、最低でも50安打を目指して今後もレギュラーとして頑張ってもらいましょう。
そして9番に打順を下げられた伊志嶺が久しぶりのマルチヒットで打率を.291まで戻しましたので、ここからの反攻に期待です。
この若き角中と伊志嶺の活躍で今日はお腹いっぱい、あとは野となれ山となれです。

球団としては地元で4000勝を目論んでいたのでしょうが、かなり怪しくなってきました。
明日の渡辺俊はここのところ落ち着いているので炎上はしないのではとの期待感があるものの、そのためには早いイニングでの打線の援護が欠かせません。
それが期待できないのが辛いのですが、しかし今は伊志嶺、角中、清田、岡田らの頑張りを見守るしかありませんので、とにかく精一杯のプレーを見せてくれと叫ぶ晩夏の夜です。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
楽天 3 0 1 0 2 0 1 2 1 10 15 1
千葉ロッテ 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 10

2


◆9月3日(土) 千葉ロッテ-楽天17回戦(楽天11勝5敗1分、18時1分、QVCマリン、18,739人)
▽勝 田中 21試合14勝4敗
▽敗 マーフィー 9試合2勝4敗

▽バッテリー
千葉ロッテ マーフィー、中郷、木村、小林、山本徹―田中、金澤
楽天 田中、小山、片山―嶋

 

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がんばろう東北 旅情篇

2011-09-03 23:14:13 | 独り言

 

これまでの旅では景色を愛でるという自分ではあまり本願ではないところにも気を配っていたのですが、今回は新幹線を利用したことと移動が夕方から夜にかけてが多かったこともあって、あまりこれといったものを紹介することはできません。
また正直なところ東日本大震災の爪痕が多少なりとも残っているのではないかとの心配があったのですが、目的地が被害の大きかったところから離れていたことと、日本人の底力による復興の素早さもあってか気になるところはありませんでした。
ただ街中には「がんばろう東北」のスローガンにかかるポスターや催し物が目立っていたことが印象的で、やはり影響は大きいのだなと思わざるをえない現実がそこにあります。
節電について言えば関東圏よりもシビアな対策が取られているようにも感じられましたが、日中はかなり暑かったものの朝晩はTシャツでは肌寒かった日もありましたので、その点では東京電力の方が厳しい状況に置かれているような気がします。

そんなこんなでたいしたトピックスもないのですが、強いて挙げれば横手のマンホールでしょう。
一時期はかなり流行った絵柄のマンホールも普通のものに比べて損傷が激しくメンテナンスコストがかかるために最近は減っていると聞きますし、また実際に目にしたのは久しぶりのような気がしますので、ちょっとビックリとしたのが正直なところです。
横手のシンボルはどうやら横手城とかまくらのようで、いい感じの構図に収まっています。

今回から二つの新兵器を導入しました。
一つはカーナビで、これがかなりの威力を発揮してくれましたので大成功です。
これまではPSPのカーナビを使っていたのですが検索が遅いのと日中では見づらいので往生していたのですが、ソニーが先日に発売をした「NV-U37」が全てを解決してくれました。
地図を見ながらの旅行も楽しいのですが時間がかかりますし、私が行こうとしている場所が観光マップに載っているとも限りません。
またレンタサイクルの店などを探すのにいつも苦労をしていましたので、今回は事前に全ての場所の住所を調べた上でカーナビに任せたところ、思った以上にスムーズな道案内をしてくれたことで時間の節約ができたことは大収穫です。
最初のうちはこんな狭い道は違うだろうと信用をせずに迷ったりもしたのですが、すぐに新しいルートを示してくれたことで信頼感がアップをして、以降はとにかく頼りっきりです。
どうやら徒歩や自転車モードですと幹線道路は敬遠をする傾向があるようで、よくぞこんな路地をと思うところに導いてくれるのですが、多少の無駄はありながらもかなり正確で最適なナビゲートは今後の旅路でも手放せそうにもありません。
心配をしていたバッテリーも常時表示でも5~6時間は持ちますので、普通に旅をするには充分すぎるぐらいです。

もう一つはBluetoothのキーボードです。
最近のホテルは無料でLANが提供をされていますので中国出張の際に買ったノートパソコンを持って行こうかなとも思ったのですが、やはり軽いとは言っても2キロ近いものをカバンに入れて歩き回るのは抵抗感があり、しかしiPhoneでは入力がかなり面倒という問題があるので悩んでいたのですが、これを解決してくれたのがこのキーボートです。
折りたたみ式でコンパクトですし、最初はキータッチに馴染めずに誤入力が多かったのですが慣れればノープロブレム、かなり便利なツールになってくれました。
さすがにパソコンで入力をするほど軽やかにとはいきませんし、そもそも時間がないために普段のような記事を書くといったところまでには至っていませんが、それでも数日間の休載をすることを考えれば贅沢も言っていられません。
オリオン村を支えるバイプレーヤーとして、今後も活躍をしてくれることでしょう。

そして旅の目的にもなりつつある日本100名城スタンプは、今回は4つの追加となります。
弘前城のスタンプが汚かったのが残念だったのですが、やはり空白が埋まっていくと嬉しくなります。
スタンプの形状やインクの色、デザインなどが城によって違うのもコレクター心をくすぐりますし、そのあたりは計算ずくなのでしょう。
まだまだ100名城制覇までには気が遠くなるような歳月が必要になるのでしょうが、それこそライフワークとして取り組んで行くにはピッタリですので今後も楽しんでいきたいです。

そしてこちらもライフワークとして取り組んでいるケータイ国盗り合戦も、39国を積み上げて355国まできました。
新たに陸奥守、羽前守、羽後守という胡散臭い称号も手にしましたし、次の目標である宮内少輔の400国が見えてきた感触があります。
iPhoneと言いますかsoftbankだけに電波の入りが悪くてイライラとすることも多いのですが、それも一つの楽しみとして末永く付き合っていこうと思います。

そんなこんなで4日間、今回はアクシデントもなく無難に旅を終えることができました。
紫外線に痛めつけられた肌は既におでこの皮がむけ始めて暫くは汚い状態になるのでしょうが、それも旅の思い出の一つです。
85.47キロのレンタサイクルと66,091歩の歩みが北東北の地に刻まれたとの思いと、そして筋肉痛にもならなかった自分の体力に自信を持って次の旅に向かいたいと思います。


【2011年8月 北東北の旅】
がんばろう東北
がんばろう東北 旅程篇
がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 弘前の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻
がんばろう東北 グルメ篇
がんばろう東北 おみやげ篇

 

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