オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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なるようにしかならない

2011-09-05 23:35:15 | 千葉ロッテ

この期に及んでも他人事と言いますかファン目線なコメントしか残せない西村監督ですが、今年に最下位になったとしても解任をされるとは思っていません。
イーシャンテンぐらいにはなるかもしれませんが、昨年に日本一になったことと球団に対して従順であることからして、来季もチームを任されることは確実でしょう。
個人的にはその日本一になった昨年ですら評価をしていなかったことは通信簿にもさらっと書きましたが、しかし一方で西岡をキャプテンに抜擢をするなど真の名将になるための資質は充分に有しているだろうと、期待半分ではありますがそういった見方もしています。
ただそれでも「行きすぎた主力主義」「左対左への固執」「人を人とも思わない中継ぎ酷使」などには腹を据えかねていますし、前監督と同様に裸の王様になってしまったことで後戻りはできないのではないかと、そんな絶望感があるのも正直なところです。

いろいろと弊害もありますが何だかんだ言いながらもOB監督がファン心に訴えることは間違いありませんので、西村監督が軌道修正をしてくれるに越したことはありません。
球団にはその西村監督に服を着せてあげるためにしなければならないことは何なのかを真剣に考えて欲しいですし、選手たちも結果が残せないことで首が絞まるのは自分自身であることを強く意識をして悔いのないプレーを心がけてもらいたいです。
なるようにしかならない、と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、一喜一憂をしながらも添い遂げる覚悟をしている自分としてはある程度の達観を持ちつつ、しかし少しでも前のめりに倒れるような終盤戦、そしてオフになってくれることを願って今後を見守っていきたいと思います。

 

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がんばろう東北 史跡巡り篇 弘前の巻

2011-09-05 21:26:38 | 日本史

 

三日目は弘前で、またしても肌のダメージが心配になるぐらいの晴天でした。
曇りや雨は困るものの、晴れたら晴れたで写真を撮る際の逆光が気になるという贅沢な悩みを抱えての散策でしたが、見るところが多くてかなり楽しく過ごすことができました。
前日からのギャップもあってかなりのハイテンションで、カーナビの使い方に慣れたこともあってこの旅で一番にアクティブに動き回った弘前です。

弘前城には日本で12箇所しか残されていない現存天守があり、また3つの櫓と5つの門も天守閣と合わせて国の重要文化財に指定をされています。
これだけの遺構が残されている城は日本でも数少なく、もっと注目をされてもよいように思います。
どこの門から入って巡るのが一番に効率的かを考えもしたのですが、面倒くさくなったので弘前駅から最寄りの東門から中に入りました。

東門を抜けると三ノ丸となり、その三ノ丸と二ノ丸の間に鎮座をしているのが東内門です。
これだけの構えの門が一つでもあれば感動ものなのですが、ここ弘前城には複数残されているのですから恐れ入るしかありません。
どういった経緯で解体をされなかったのかは分かりませんが、津軽氏の尽力もあったのでしょう。

東内門を抜けると二ノ丸から冒頭の天守閣を望むことができます。
これを見てしまうと一気に向かいたくもなるのですが、ここは気持ちをグッと抑えて右手、方角で言えば北に向かって進むと与力番所があります。
こちらは再建をされたものだからなのかもしれませんが入ろうと思えば入れる状態となっていたのですが、入っていいのかどうかが分からなかったのでやめておきました。

さらに北に進むと丑寅櫓があります。
文字どおりに城の北東を守るための櫓で、ここ二ノ丸に配されています。
城内は道路整備のためかあちらこちらで工事をしており、この丑寅櫓の近くもパワーシャベルなどが所狭しと動き回っていたために通行が制限をされていたのですが、写真を撮るために行ったり来たりで交通整理の方にかなり迷惑をかけてしまって申し訳なかったです。

そのまま北に向かうと一気に広い場所に抜けますが、あまり他では聞かない四ノ丸がそこにあります。
護国神社があったのですが軽くスルーをして、北門を抜けて場外に出ることにしました。
中をぐるっと回ろうかとも思ったのですが通行止めになっている所がままあったことと、堀を眺めるのもよいだろうと思ったのが理由です。

その堀を頼りに時計回りにぐるっと反対側に回ると追手門があります。
その名のとおりに城の正面を守る門で、本来はここから入って城を巡るのが王道なのでしょう。
東門には無かった弘前城趾の碑がこちらにはありましたし、ほんのちょっとだけ後悔をしました。
ただ築城当時は北が正面口だったようで、先に抜けてきた北門が追手門と呼ばれていたらしいとは豆知識です。
いずれにせよ東門から入った自分には、どうにも関係のない話だったりもします。

追手門を抜けて北に進むと南内門があります。
天守から見て南にあるので南内門であり、東内門と同じく三ノ丸と二ノ丸を遮断する役割を担っているのでしょう。
どの門もそうですが外側ら見れば門の正面が狭くなっており、コの字に曲げることで一気に攻められるのを避ける造りとなっています。
ほとんどの写真が斜めからしか撮れていないのがその理由で、かなり立派な門であるためにそれなりの距離を取らなければ全体が写らないためにこういった構図になっています。

しばらく歩くと植物園があるのですが、その陰でうっかりすると見落としがちなところに辰巳櫓があります。
位置的には南内門を抜ければ見えてもおかしくはないのですが、鬱蒼とした木々がその姿を隠してしまっているのが残念だったりもします。
こちらもその名のとおりに城の南東を守るための櫓で、かなり広い面積を占めている植物園に入ればもっときちんと見ることができたらしいのですが、そのときにはよく分からなかったのでスルーをしたことで遠目にしか見ることができなかったのが残念ではありました。

二ノ丸の南西に位置するのが、同じくその方角から名付けられたのであろう未申櫓です。
一見すると丑寅櫓、辰巳櫓との違いが分かりづらいのですが、窓の作りなどが微妙に違います。
ただどれがどれかと問われても自分にはハードルが高すぎますし、同じ城を守る櫓としての統一美と考えればよいのかなと思います。

いよいよお目当ての天守閣です。
築城当時の天守閣は五層の巨大なものであったようで、現在とは違い本丸の南西の場所にありました。
落雷で焼失をして以降は再建がされなかったのですが、本丸の南東にあった辰巳櫓、二ノ丸の辰巳櫓とは別の櫓を改築したものが現在の天守閣になります。
武家諸法度により天守閣の新築は禁じられていたために、正式には御三階櫓と呼ばれていたとのことです。

そんなこともあってか、やや小ぶりな天守閣ではあります。
それでも日本最北の現存天守ですし、末永く大切にしていきたいものです。
また近くに桜のトンネルもありましたし、城内にもいたるところに桜が植えられていましたので、できれば次は桜が満開の時期に訪れてみたいと思います。

弘前城を出て次に向かったのは、藩祖である津軽為信の菩提寺である革秀寺です。
その津軽為信の霊屋は柵に囲まれており寺の方に声をかけて中に入らせてもらったものの、国の重要文化財ですので当然のことながら霊屋の中まで入ることはできません。
当時としては希少だった朱色に彩られた霊屋は、藩祖に対する崇高の念が感じられました。

誓願寺の山門は日本で唯一のこけら葺き重層四脚門で、これまた国の重要文化財です。
懸魚に鶴と亀が彫刻をされていることから鶴亀門とも呼ばれているらしいのですが、残念ながらよく分かりませんでした。

左から長勝寺黒門、栄螺堂、そして長勝寺です。
この長勝寺黒門から長勝寺に至る500メートルちょっとの間に33もの寺院が建ち並び、長勝寺構えとも禅林街とも呼ばれており、有事の際の出城の役割を担っていたとのことです。
まっすぐに伸びた道路の両脇の寺院群は威圧感すらあり、なるほどと思わせるだけの偉容を誇っていました。
また栄螺堂は回廊式の構造になっており会津若松にも倍以上の大きさのものがあり昇ることができるのですが、弘前では非公開となっています。

こちらは法源寺にある、大浦城から移設をしたとされている城門です。
その規模からして信憑性が今ひとつなのですが、それらしき立て看板はありました。
津軽為信は久慈氏の出身と言われており、大浦為則の婿養子となって大浦城主となりましたので、そういう意味では原点の城の遺構と言えなくもありません。

最勝院の五重塔です。
もしかすると弘前城に匹敵をするぐらいに、弘前ではメジャーな観光地かもしれません。
国の重要文化財に指定をされた五重塔としては最北に位置するもので、完成までに10年以上を要したとのことです。
こういったものに疎い自分ですら、しばし見とれるだけの様式美があります。

弘前城の東門の近くにある弘前文化センター前に、津軽為信の像が建っています。
元々は本丸に建立をされていたものが戦時中に金属供出のために鋳つぶされてしまい、2004年にこの場所に復元をされました。
よって以前に弘前を訪れたときにはまだ無かったものですので、今回に初めて見ることになります。
触れなかったので材質は分からないものの同寸のものが弘前市観光館に展示をされており、ミニチュアを販売して欲しいと思うぐらいの素晴らしさに感動をしました。
個人的にはどうでもいいご当地キティちゃんグッズなどを作るぐらいでしたら、こういったものに力を入れてもらいたいものです。


【2011年8月 北東北の旅】
がんばろう東北
がんばろう東北 旅情篇
がんばろう東北 旅程篇
がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻

がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻

がんばろう東北 グルメ篇
がんばろう東北 おみやげ篇

 


がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻

2011-09-05 00:51:36 | 日本史

 

二日目は八戸です。
この日も笑っちゃうぐらいの晴天で、天気予報にやきもきとしていたのが嘘のような展開です。
その八戸は南部氏の惣領であったとも言われている根城南部氏の本拠でしたので、初めて訪れることもあってかなりの期待感がありました。
ただ結果的には自分の守備範囲とは違ったことを痛感した、そんな一日となってしまいました。

根城は根城南部氏、一般的には八戸氏が南北朝時代に築いた城です。
そのために城と言うよりは館との表現が正しいと思われ、実際問題として自分の中の概念である城とはかけ離れた存在でした。
遺構としての土塁などがしっかりと残されているので資料的な価値は高いのでしょうが、やはり日本100名城に指定をされていなければ訪れなかったと思います。

領主が住んでいた主殿はさすがに規模が大きく、中には当時の生活を想定したのであろう人形などが配置をされていました。
ただこれも時代が下れば裕福な商家の建物と言われても分からないかもしれず、何とも複雑な気分です。
このあたりの感覚は人それぞれの嗜好や志向によるものでしょうから仕方のないところで、自分には合わなかった、ただそれだけです。

敷地内には多くの建造物が復元、再建をされています。
上段左から東門、納屋、上馬屋、中馬屋、番所、下段左から工房、野鍛冶場、鍛冶工房、板蔵、堀跡となります。
堀跡以外は柵で囲まれたいわゆる本丸に配されており、しかし納屋や工房、鍛冶工房などは竪穴式だったりもしますのでいつの時代だよと思わずつぶやいたりもしましたし、順路に沿って歩いて終わりといった感じでさほどの印象は残りませんでした。
ただ手入れがかなり行き届いていることは分かりましたし、貴重な施設であることは間違いないでしょう。

こちらは根城と八戸市博物館の敷地の境にある、旧八戸城東門です。
八戸城からこちらに移設をされたもので、八戸市の指定文化財となっています。
なぜにここにあるのかはよく分かりませんが、根城がああいったものですのでかなり違和感があったことは否めません。

八戸市博物館の前には、根城を築いたと言われている南部師行像があります。
南部師行は北畠顕家の配下として南朝を陸奥の地で支えて、そして顕家に従って上洛をした際にその顕家とともに討ち死にをしました。
この師行の系統が根城南部氏、いわゆる八戸氏となり、戦国時代の八戸政栄に繋がります。

八戸市博物館には南部氏にかかる資料の展示がされていましたが、根城南部氏のものがさほど多くはなかったのが残念でした。
惣領を三戸南部氏に奪われたことで歴史の陰に隠れてしまったところが多かったのも理由だと思われ、やはり敗者には厳しい世の中ということなのでしょう。
三戸南部氏を惣領に引き上げた南部信直が優秀な武将であったとは思っていませんが、時代を見る目だけは確かであったと言えます。

根城とは離れた場所にある八戸城は、ありがちな役所と公園に化けていました。
八戸城は江戸時代の築城で、また根城南部氏とは全く関係がありません。
根城南部氏は八戸から遠野に移されてしまい、その跡に宗家から分かれた南部直房が八戸藩を新たに立てて八戸城に入りました。
ていのいい乗っ取りのようなもので、しかし根城南部氏改め遠野南部氏は家中ではそれなりの地位を与えられましたので冷遇をされたというわけでもないようです。

藩祖ということもあってか、南部直房像が城跡に鎮座をしています。
南部信直の孫にあたりますので戦国の遺風は残っていた時代の人物なのでしょうが、申し訳ないながらも地味なイメージは否めません。
説明板などがないのは地元の方にとっては常識となっているのか、はたまた軽視をされているのかが激しく気になったりもします。

八戸城の遺構として残されているのは、先の東門とこの角御殿表門のみとなります。
現在は市の施設の門となっており、ちょっと悲しい立て看板があるなどして趣が感じられません。
出足から蹴躓いたこともありましたが、どうにも見るもの聞くものに不満たらたらとなってしまったのは自分勝手な思いであることは承知ながらも、これが八戸の正直な感想です。
ただきっと歳を重ねれば何か違ったものが見えてくるのではないかと、来るのが早すぎたのだろうと思えば受け止め方も変わってきますので、そう自分に言い聞かせることにします。


【2011年8月 北東北の旅】
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