オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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再開をしたら最下位に再会

2011-09-06 22:58:20 | 千葉ロッテ

ここのところはかなりのハイペースで北東北旅行の記事をアップしていますが、これには理由があります。
先月末に旅先から帰ってきたばかりですが明日の今ごろは函館にいる予定で、そこから5泊6日で北海道をぐるっと回ってきます。
その旅行中にあれだけの記事をアップするのは無理ですし、しかし北海道から帰ってきてから北東北の記事をせっせと書くのも微妙すぎますので、旅立つ前にと頑張ってみました。
あまりのロッテの体たらくにオリオン村の看板を掛け替えようとしているわけではありませんので、今後もよろしくおつき合いをいただければと思います。

そんなこんなで新たな6連戦が始まりましたが、あっさりと初戦を落として最下位に転落をしました。
残念ながら成瀬は持っていない男なのか4000勝にその名を刻むチャンスを手放してしまい、チームもこれで6連敗です。
4四球と成瀬にしてはコントロールがばらついていた、と言うよりは動くストライクゾーンに苦しんでいたようにも見えましたが、しかし相手がロッテ打線ではありながらも同じ条件で石井一はコーナーを丁寧に突くピッチングができていましたので、やはり成瀬の調子が今ひとつだったのでしょう。
三振も僅か2個しか奪えませんでしたし、それでも146球も投げての7回5失点をどう考えるべきなのかは人それぞれでしょうが、成瀬らしく被弾で締めくくったところには苦笑をしながらも個人的には打線の援護がない中で頑張ってくれたと思います。
とにかく打線が打てなさすぎることで投手が抑えなければと力が入ってしまうという悪循環になってしまっており、同じような展開での負け試合ばかりで面白くもありません。
西村監督はことあるごとに「まだxx試合もある」と口にしているようですが、心の中で「まだxx試合もあるのか」と思ってしまう自分がいます。

そんな気が滅入る毎日に拍車をかけるのは、とにかくすり潰すための投手を手元に置かなければ落ち着かない西村監督の性癖です。
先発ではなかなか結果を残せない大谷を中継ぎに回したところまではよいのですが、まさか今日の展開で投げさせるとは思いもよりませんでした。
どうやら大谷はあらゆる意味で伊藤の代わりとなることが宿命づけられているようで、これで今季の40試合登板も夢ではありません。
誰がどう見たって中郷か小林だろうと思う中での大谷の登板を、今後に見ることが増えそうで不安がいっぱいです。

最終回に井口をそのまま打席に立たせての今日も9人野球ですから、打線はもう自然と調子が戻るのを待つしかないのでしょう。
終盤のミスジャッジに怒り心頭の西村監督だったようですが、問題はそこではないことに気づいていなければどうにもなりません。
選手を並べるだけであとはオートプレイの西村監督にはコントローラを握って自ら選手を動かして欲しいのですが、どうにもそのつもりが無さそうなのが頭痛の種です。
そんな中でも凡打でもきっちりと走り抜いている角中や、岡田や伊志嶺の好守を見ることで心が癒されるのは長年ロッテファンを続けてきたことによる耐性があってこそです。
ダメならダメでそれなりの野球とのつきあい方を知っているつもりですので、生涯の伴侶から距離を置くことなどはありえません。
高橋由伸に対する寺村チックに藤岡に対する鈴木大地の名前が機関紙に踊りましたが、それすら内野手の補強は素晴らしいとスタンディングオベーションです。
そして打たれはしたものの浦和にペンが姿を見せたことを手土産にして、明日の夕刻に函館に飛び立ちます。



  1 2 3 4 5 6 7 8 9
千葉ロッテ 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 5 0
西武 0 3 0 0 0 0 2 0 X 5 6

0


◆9月6日(火) 西武-千葉ロッテ16回戦(ロッテ10勝6敗、18時1分、西武ドーム、12,173人)
▽勝 石井一 17試合6勝7敗
▽敗 成瀬 21試合10勝10敗
▽本塁打 中島12号(成瀬)

▽バッテリー
千葉ロッテ 成瀬、大谷―田中
西武 石井一、牧田―銀仁朗

 

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がんばろう東北 グルメ篇

2011-09-06 19:11:16 | 独り言

 

学生時代はお金が無かったこともあって旅先でもほか弁を食べたりしたものでしたが、今は郷土料理や土地のお酒を飲むことが一つの目的になっています。
グルメと呼ぶほどの豪勢なものには手を出せる身分ではありませんが、それでも以前に比べれば多少なりとも進歩はしていると思います。
特に意識をしたわけではないのですが今回は駅弁がゼロだったのが誤算ではありましたが、普段はあまり目にすることのない初物にもチャレンジをした北東北の旅です。

初日の昼は盛岡冷麺です。
盛岡の麺と言えば「わんこそば」「冷麺」「じゃじゃ麺」が有名なのですが、ここはオーソドックスに盛岡冷麺で勝負です。
初めて食べたのですがかなりコシの強い麺は強烈でしたし、なぜにスイカと疑問にも思ったのですが、カクテキの辛さに痺れつつも後味はさっぱりで意外な美味しさでした。
先入観からか地元でメニューにあっても手を出してこなかったのですが、今後は普通に食べることになるかもしれません。

国盗り合戦の都合で泊まりは大湊だったのですが、夜も更けていたのでホテルの近くの居酒屋で夕食をとりました。
下北の地酒である関の井はほどよい辛さで、これはかなりのお気に入りのレベルです。
ただ残念ながら門外不出で青森ですらほとんど見かけないとのことで、飲みたければ下北まで来いということなのでしょう。
メインディッシュは帆立味噌貝焼きで、この帆立のごろごろ感には驚きました。
せいぜい3個ぐらいかと思っていたら片手では足りないぐらいで、玉子とじにして食べます。
味噌の味もさほど強くないことで素材の味が引き立っており、酒のつまみにはピッタリですので定食にしたことをちょっと後悔しました。

二日目の昼は八戸の郷土料理であるせんべい汁を食べようと思っていたのですが、八戸駅前で催し物があったのでそちらに流れてしまいました。
各地の名産らしきものが出店となっており、これが週末にいつもやっているものなのかこの日が特別だったのかは分かりませんが、かなりの賑わいでした。
こういったところから流れてくる香りに惹きつけられてしまうのは、どうにも避けようもない宿命のような気がします。

八戸はイカの水揚げ量が日本一だそうで、この日に水揚げをされたイカ焼きをつまみに昼からビールをかっくらいました。
せっかく新鮮なイカなのでイカそうめんの方がよかったのですが、イカ焼きもぷりぷりとして美味しかったです。
また青森シャモロックをダシにしたラーメンも食べましたが、こちらはただの中華そばでした。

それでもやはりせんべい汁は外せないだろうと、少し時間をおいてからのチャレンジです。
白菜やごぼうなどが入った醤油ベースの鍋に、かやきという専用のせんべいを割って煮込みます。
かなり煮込んでも歯ごたえがあり、どこか以前に食べたきりたんぽ鍋に似ているかなとも思ったのですが、いずれにせよ何とも言えない食感でした。
餅を入れればお雑煮みたいな感じで、冬場であればもっと味わえたかもしれません。

弘前泊まりでしたので夜は青森の郷土料理をと意気込んだものの、これといったものが見つからずに「がんばろう東北フェア」に乗ることにしました。
三島シトロンは青森は八戸の地サイダーで、これをサワーにして飲んだのですがただのサイダーでした。
なぜかメニューに青森の地酒がなかったので選んだのですが、何とも言えない微妙さがあります。

左から岩手は遠野のジンギスカン、宮城は仙台の牛タン塩焼き、福島は浪江の焼きそばです。
なぜに遠野でジンギスカンかは不明ですが、ちょっと胡椒が効き過ぎで、また羊肉ではなく牛肉のように感じたのは自分の舌が貧弱だからなのでしょう。
お馴染みの牛タン塩焼きはそのままでも美味しいのですが、付け合わせでついていた味噌漬けみたいなものをくるむとさらに美味しいです。
浪江の焼きそばは麺がすこし太いこと以外は普通の焼きそばで、どういったところが名物なのかがよく分かりませんでした。

三日目の昼は弘前でけの汁を食しました。
大根、人参、ゴボウ、蕗、豆腐などを細かく刻んだものが味噌仕立ての汁に煮込まれていて、どこか懐かしい味がします。
これも冬場にぐつぐつと火にかけながら食べればもっと美味しかったと思うのですが、それでも充分に舌を楽しませてもらいました。
なにげにリンゴの寒天ゼリーも絶品でした。

秋田に着いたのがこれまた遅かったので、ホテルのレストランでお手軽に夕食を済ませました。
重右衛門の酒は秋田の地酒ですが残念ながら自分には合わず、どうにも口あたりの悪さに閉口をしたのが正直なところです。
旅先で飲んだ日本酒ではこれまでで一番の不味さで、もちろん人それぞれの好みがありますので個人的な評価ですが、自分的には大失敗でした。

比内地鶏の唐揚げはJAROに通報をしようかと思ったぐらいの小ささで、これでは歯ごたえもへったくれもありません。
やはりきりたんぽ鍋に入れるのが、比内地鶏としてはベストなのでしょう。
はたはた鮨は単なる酢漬けでしかなく、きりたんぽ田楽もきりたんぽなのか田楽なのかが中途半端だったりもします。
やはり適当に近場でごまかすとこうなってしまうのだなと、四国に行ったときのように町を徘徊しなければダメだと痛感をさせられました。

最終日の昼は横手でB-1グルメで優勝をしたこともある横手やきそばに挑戦です。
冒頭の写真にある四天王を始めとしてほとんどの店が14時で終わってしまっていたために選んだのが「へのかっぱ」なのですが、それでも銀賞に輝いている店です。
店内ではちょうど野田首相が誕生をしたニュースが流れていて、自分の地元の船橋出身なんですよというどうでもいい話に付き合ってくれる気さくなご夫婦が営んでいます。

やや甘めのソースはビールを飲みたくなるぐらいの濃厚さがあり、特徴でもある半熟の目玉焼きを絡めて食べれば絶品です。
見た目よりはかなりボリュームがありますし、なるほどグランプリに輝くだけのことはあります。
紅ショウガではなく福神漬けがついているのが意外でしたが、全体的に甘めに仕上げるための工夫なのかもしれません。
次は同じくB-1グランプリの富士宮やきそばを食べてみたいと、そんな目標ができました。

今回の旅の最後の食事は、懲りもせずにセット定食です。
いろいろな郷土料理がひとまとめに食べられるので楽と言えば楽なのですが、一つ一つの出来が高いとは言いがたいものがあります。
それでいてそこそこのお値段ですので、何とも微妙な感じです。

前日のきりたんぽ田楽が今ひとつだったので、きりたんぽ鍋は外せないと頑張ってみました。
醤油ベースの鶏のだし汁にゴボウ、しらたき、せり、長ネギ、そしてきりたんぽと比内地鶏です。
やはりこう食べてみるとせんべい汁に似ているなと、B級な自分の舌がそう訴えてきたのですが、とにもかくにも美味しかったです。
この夏場にいろいろな鍋を食べることになりましたが、繰り返しになりますが次は是非とも冬に味わってみたいものです。

再び登場のはたはた寿司は、前日とは違ってかなり麹の香りがきつくて往生しました。
ただきっとこちらが本来の姿に近いのだと思われ、これはこれで一つの経験です。
とんぶりとろろはぬめり系が苦手な自分は一口でギブアップ、こればっかりはどうにもなりません。
ただ帰ってきてから調べたところとんぶりは畑のキャビアとも呼ばれるつぶつぶなもので、どうにも全然違う姿に驚いています。
そして稲庭うどんはやや細めの平打ち麺で、あまりコシが無かったのは伸びてしまったからなのかもしれません。
やや薄口のだしは自分好みでしたので、最後を締めくくるにはよかったと思います。

今回の旅もいろいろな初めてを楽しむことができましたが、やはり強行日程を組んだことが裏目に出たことは否めません。
夜遅くに宿泊地に着くことが多かったことで手近で済ませたことが失敗に繋がりましたし、気持ち的にじっくりと見極める余裕もありませんでした。
この反省を次に活かせるどうかは今後の自分次第ですが、それでもこれだけのものを食べることができたことだけでも大満足です。
膨大なカロリー消費をしながらも体重が変わらなかったことが、その満足度をしっかりと裏付けています。


【2011年8月 北東北の旅】
がんばろう東北
がんばろう東北 旅情篇
がんばろう東北 旅程篇
がんばろう東北 史跡巡り篇 盛岡、三戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 八戸の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 弘前の巻
がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻
がんばろう東北 おみやげ篇

 

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がんばろう東北 史跡巡り篇 秋田、横手の巻

2011-09-06 01:43:25 | 日本史

 

最終日はやや雲が出たときもありましたが基本的には晴れ模様で、全日ともに天気に恵まれて最高の旅路となりました。
長宗我部フリークであるとともに佐竹フリークでもある自分としては羽後の地には相応の思い入れがあり、かつての本拠であった常陸が水戸徳川家によってその痕跡を完膚無きままに消し去られてしまったとはと言い過ぎかもしれませんが、そんなこともあって羽後が心の支えだったりもします。
ただ関ヶ原以降の移封であるために当然のごとく戦国時代の遺構は残されておらず、自分としては悲しい現実がそこにあります。

久保田城趾は千秋公園として整備をされており、大手門にあたるところから坂を立ち漕ぎで一気に登ると二ノ丸の地に佐竹資料館があります。
以前に訪れたときには休館日だったため、実質的には今回が初めてとなります。
さほど大きな建物ではありませんが戦旗や甲胄などが展示をされており、また親切な係の方にいろいろと説明をしていただきました。

資料館の前に自転車を留めて、長坂を登ると御物頭御番所が姿を見せます。
城内の建造物はほぼ焼失をしてしまっているため、この御物頭御番所が唯一の遺構です。
本丸に至る表門の脇に位置しており、ぱっと見は分かりにくいかもしれませんが内部は二階建ての構造となっています。

こちらは本丸の玄関口にある表門です。
2001年の再建とのことですので、おそらくは前回に来たときには無かったはずです。
残されている絵図や発掘調査の結果を基に木造二階建て瓦葺き櫓門で忠実に復元をされており、なかなか立派な作りに圧倒をされました。

本丸には佐竹義堯の像があります。
久保田藩十二代の藩主にして最後の藩主でもあり、相馬中村藩の三男から佐竹支藩の養子に入り、最終的に佐竹宗家を継ぎました。
ただ佐竹氏と相馬氏とは血縁関係があるために、佐竹義重の血は受け継がれています。
幕末の人物ですから守備範囲的には完全に外れるのですが、せっかくですのでカメラに納めたといったところです。

本丸の北西に位置する、武器庫を兼ねていた御隅櫓です。
なかなか写真を撮るのが難しいところにあり、かなり撮影者泣かせです。
久保田城は幕府をはばかってか天守閣が造られておらず、それでもこの御隅櫓がその代わりであったということでもなく、本丸には藩主が住む本丸御殿が別にありました。
それであればその本丸御殿を復元すればいいのにとも思うのですが、やはり日本人のDNAに刷り込まれているのは天守閣、そして櫓なのでしょう。
それらを見たときの血の騒ぎには痛いぐらいの覚えがありますので、とても否定はできません。

天徳寺は佐竹氏の菩提寺であり、総門と山門は城門に負けないぐらいの偉容を誇っています。
開創当時は本拠であった常陸にあったのですが、佐竹氏が移封をされたことで羽後の地に移ってきました。
ちなみに常陸にも天徳寺は残されているそうです。

その天徳寺にある佐竹家霊屋は普段は公開をされておらず、柵の外から覗くようにして写真を撮りました。
佐竹義宣の墓所もこのどこかにあるはずなのですが、当然のことながらよく分かりません。
一般公開をされるのは8月16~17日とのことですのでそこでなければ巡り合うことはできないわけで、かなりハードルが高いです。
土佐の長宗我部のように寂れてしまうのも悲しいのですが、これはこれで何とも微妙な感じがします。

この旅の最後の目的地は横手で、自分としては小野寺氏のイメージが強いのですが現在は佐竹氏の支城の色合いが濃くなっています。
伊達盛重、伊達政宗の叔父である国分盛重と言った方がとおりがよいようにも思いますが、伊達家を出奔した後に横手城の初代の城代となりました。
複雑な血縁関係もあって伊達盛重は佐竹義宣の叔父でもあるわけで、それなりの待遇をしたのでしょう。

その後は須田盛秀を経て佐竹一門の戸村氏が城代を務めて幕末を迎えます。
一時は奥羽列藩同盟に名を連ねた久保田藩は途中で新政府軍に寝返ったために、仙台藩と庄内藩に攻められて落城をしました。
現在の天守閣は模擬天守であり資料的な価値は皆無とのことで、コンクリート造りの歴史資料館と考えればよいでしょう。
それでも興奮をするのは先に書いたとおりDNAが騒ぎ出すからであろうと、そう確信をしています。

この横手には宇都宮釣り天上事件で有名な本多正純が流されてきています。
面白おかしく喧伝をされている釣り天上は事実無根であることは当時からハッキリとしていたことで、要は土井利勝らとの政争に敗れたことによる後付けの理由なのでしょう。
その本多正純は15年後に横手の地で没して正平寺に葬られますが完全に調査不足で、小野寺泰道の墓所もあるとのことで絶対に行かなければならなかったのですが、気持ちはすっかりと横手やきそばに奪われてしまったことで後の祭りです。
天気の心配ばかりをして計画が疎かになったことを反省して、今後の糧にしなければなりません。


【2011年8月 北東北の旅】
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