電脳筆写『 心超臨界 』

幸せは外部の条件によって左右されるものではない
自分の心の持ちようによって決まるのである
( デール・カーネギー )

葉隠れの真意――青山繁晴

2024-06-02 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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葉隠は現在の日本では、武士道精神の根幹を示す書として極めて有名です。ところが実際に書かれた江戸時代、すなわち侍の時代には「禁書」とされて、著者の侍自身によって焼かれたのです。侍の子孫であるわたしの父と母も「葉隠は読んではならぬ」と子供時代のわたしに禁じました。わたしは家を出て、大学に通うとすぐに葉隠を読みましたが、なぜ禁書なのか分かりませんでした。


◆葉隠れの真意

『ぼくらの哲学』
( 青山繁晴、飛鳥新社 (2016/12/21)、p79 )

  (2015年1月23日にインド、コルカタにて開催された
   国際フォーラムにて青山繁晴さんが行なった講演内容より抜粋)

葉隠は現在の日本では、武士道精神の根幹を示す書として極めて有名です。ところが実際に書かれた江戸時代、すなわち侍の時代には「禁書」とされて、著者の侍自身によって焼かれたのです。

侍の子孫であるわたしの父と母も「葉隠は読んではならぬ」と子供時代のわたしに禁じました。わたしは家を出て、大学に通うとすぐに葉隠を読みましたが、なぜ禁書なのか分かりませんでした。そして長年、考え続けた末に、ひとりの研究者としてわかったことがあるのです。

それは、葉隠にある、有名な次の一節です。

  武士道といふは死ぬことと見つけたり。

この部分を戦前の日本の軍部は教科書にして小学生に配り、戦場で死ぬことを理想とするよう求めました。葉隠の真意は違います。

ここには重大な言葉が省かれているのです。「死ぬこと」の前に、「誰のために」が省かれています。侍の本来の世界では、ここに「君主のために」が必ず入っていなければなりません。すなわち「君主のために死ぬこと」が武士道のはずなのです。

ところが葉隠はあえて、それを入れなかった。なぜか。「君主でなくてもいい。自分以外の他の誰かのために死ぬことが、武士道だ」という考えがあったからです。

この一節は、死ぬことを語っているのではなく、「生きよ。人のために生きよ」と言っているのです。「もしも自分のことばかり考えて生きていれば、どれほどうまくやっても、あるいは栄達しても、やがて必ず死ぬのだから人生はつまらない、空しい。しかし、自分以外の人のために生きるのなら、命が次に繋がっていくのだから、空しくない。生きよ、人のために生きよ」。それが日本の武士道のほんとうの根幹精神です。

わたしの母は、武家の娘であると同時にキリスト教徒です。日本にはキリスト教徒の武家は特に西日本に多いのです。

わたしはキリスト教徒ではなく特定の宗教には一切、帰依していませんが、母のおかげで子供の頃から聖書にも馴染んで育ちました。

聖書に次の一節があります。

  誠にまことに汝らに告ぐ。一粒の麦、地に堕ちて死なずば、
  ただ一粒にてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。

この意味するところは、人間は誰しも一粒の麦に過ぎない。自分だけは死にたくないと生きていれば、ただ一粒の孤独が永遠に続くだけだ。むしろ死ぬことによってこそ、次の命に繋がり、空しさから救われるのだということです。

イエス・キリストは、わたしたちのために、ひとのためにすべてを背負って磔(はりつけ)になられました。それが人のこころを打ち、世界でもっとも普遍的な信仰、あるいは哲学、理念になっています。

その生き方と、葉隠の生き方は見事に重なります。

日本国民自らが、おのれを分からず、先の大戦での敗戦にも閉じこもり、この普遍性を見失ってきました。インドをはじめとするアジア諸国との歴史を含む新たな共同研究は、この日本文化の潜在力をも、世界のために発揮できるよう後押しをしてくれるでしょう。

その例を、具体的な経済について述べてわたしの講演を終わりたいと思います。
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