ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

前世からの学び

2013-06-02 09:04:00 | 精神世界

シェアリングデーの次の日も、午前中に「オーラソーマ勉強会」、午後から「お茶会」があり、私は2日間ともフルに参加いたしました。

その午前中の「オーラソーマ勉強会」でのこと。

最初にポマンダーワークをし、いつものように瞑想。

ぴーちゃんの瞑想は本当に素晴らしい。

初日はブルーグローブ瞑想をしましたが、それとて“ぴーちゃん流”になっていてとても良かったです。

ブルーグローブ瞑想自体もとても良いものですが、壮大なスケールと壮大な愛すぎて、「あんた、ほんとにわかってそれナレーションしてんの?」と言われると正直「すみません・・」と穴にでも入りたくなってしまいます。

でもそれをぴーちゃんは噛み砕いて本当に自分のものにしているって感じが伝わってきます。

だからとてもすーっとまっすぐにこちらにも入ってくる。

そしてこの日はブルーグローブ瞑想からは少し離れて、沖縄のぴーちゃんらしく「海にダイブする。」という内容の瞑想でした。

「深く、ふかぁ~く、もっと深く海の底のほうまで入っていきますよぉ。自分自身の深いところまで入っていきます。」

それを聞きながら、なぜか一瞬のうちに目を閉じた私のサード・アイの裏側あたりに鮮やかなビジュアルが浮かび上がりました。

それは炭坑の入り口で、外には大きな採石場が広がっていました。

「??? なんじゃこれは?」と思ったものの、なぜか私にはすぐにそれが私の直近の前世だ、ということがわかりました。

なんでそんなことが言えるんだ? わかったんだ? と言われても困るんですが・・

例えば海に深くもぐるのよ~という瞑想を聞きながら、自分が海女さんだった、というイメージが浮かんできたとしたらそれは私は自分を疑ってしまいます。

単に自分の内側で勝手に連想ゲームをしただけのことじゃないの、って。

けれど、深く海にもぐるというナレーションを聞きながら、炭坑が出てくるっていうこの脈絡のなさが逆にだからこそ天からの直感とつながったんだ、って信じられたんです。

最近そんな本を読んだわけでもない。

炭坑が出てくるようなドラマとかをテレビで見たとかでもない。

私のこれまでの人生になぁ~んも関係のない炭坑・・・


そしてじっと神経を研ぎ澄ませて、これ以上何も出てこなかったとしても無理やり何かを考えるのはよそう、と私は受身で待っていました。

するとビジュアル的にはそのままだったんですが、その炭坑で働いていたのは私のお父さんだった、ということが何となくわかりました。

そして崩落事故で父は亡くなりました。

まだ小さかった私と母は、ただでさえ貧しかったのにさらに路頭に迷い、それからとても苦しい生活を送りました。

私は泣いて、泣いて、泣いて、泣き喚いて・・


国の事業として炭坑で働けばこれからの明るい日本の未来を背負うことができる、と騙されて酷使されたあげく、父は死んでしまった・・

父は炭坑で殺されたのに、国は助けてくれるわけでもなくさらに母と私の生活まで奪おうとする。

いったい国が何をしてくれたというんだ!

国なんて信じるもんか!

私はずっと権力の象徴を恨んだ人生を送ったと思います。


そしてそれが穏やかで平和を感じるべきぴーちゃんの瞑想のなかで出てきたものですから、他の人たちは今とてもピースフルで愛に満ちた気持ちでこの瞑想の中にいるんだろうなぁ、と思うといけない、いけない、と思うんですが、もうどうにも気持ちが抑えられず、私の眼からはハラハラと涙がこぼれ落ちました。

とにかくもう前世の私が可哀そうで可哀そうで、この子のために泣いてあげなくては、という気持ちだったんです。

考えてみたらわたし、オーラソーマのコースやシェアリングデーとかでこれまで泣いたことなんてなかったと思います。

たくさんの涙を見てきて、

「あぁ、涙って浄化だよなぁ。いいよなぁ。」とその人をハグしてあげたいような気持ちになるものの、自分が、となるとどこか深いところで(人前で泣くのは恥ずかしいことだ。)という意識がどうにもぬぐいきれずあったんでしょうねぇ。

どこでだって優しく受け容れられただろうに・・

誰も「まぁ、あの人泣いてるわ。なんで? みっともないわねぇ。」なんて思わなかったでしょうに。

その空間が優しさに満ちた完璧なものであると感じると余計に神経が張って、背筋をしゃんとしていなくてはいけない、という気になって泣くなんてとんでもない、って感じだったんです。

でもここではみっともない自分でもいいや、って思えました。

これまで私が受けてきたオーラソーマティーチャーたちは皆さん、完璧って感じのする方が多かったです。

オーラソーマに対する完璧な理解。

完璧な優しさ。

けれどぴーちゃんは「完璧な優しさ」というよりはもっと“大地の滋味”みたいなものを感じさせてくれました。

だから全部ゆだねてもいいや、って気になれたのかもしれません。

人間、完璧じゃないほうがいいですね~


そして私は深く人前で自己解放が起こったことによりとてもすっきりしました。

まだまだあの子のためには涙を流し足りない気はするけれど・・(どこかでひとりきりになったとき、またこっそりと泣いてあげよう。)

何よりの収穫は、私は一番直近の自分の前世を思いもかけぬ形で知ることができたことによって今世での自分の学びがはっきりとわかったのです。

国とか県とか市とかのお役所が大嫌いなのはなぜだろう?と思っていました。

友人が「私、県職員に就職するわ。だって安定しているし。」と言うと、何を国に媚びてるの!と友人の発言まで毛嫌いするほどでした。

それを今まで「私は安定が嫌いなんだ。」と思ってきましたが、そうではありませんでした。

炭坑の崩落事故で父を奪われたのが国のせいだ、と思う前世があったからなんですね。

むしろ私は狂おしいほどに”安定”を求めていたと思います。

そしていつもお金について自分の姿勢がはっきりとしない感覚を味わうのも前世が貧しく、貧乏を極端に恐れる気持ちがありながらも、社会のなかでどこかに就職してただがむしゃらに出世をめざすというやり方では何かしら「国に利用されているだけではないか。」という疑念をぬぐえないからなんでしょうね。

ボランティアが何かピンとこないのもボランティアというのは1人で出来ることではなくて、上手に国が用意してくれている制度を利用したりするといいんだ、ということが生理的にイヤなんでしょうね。

まるでパズルがぴたりぴたりとハマるように、今世の私の考えグセ、感じグセがどこから来るものなのか、がすごおくよく理解できました。

そしてそう考えていくと、ではそれを踏まえて今世私が何をするべきかがよくわかりました。

いや、正確に言うと「何をするべきか」ではなく、「自分が一番抵抗感なく、もろ手を広げてあぁ、私ってこれでいいんだよね~」って感じられるものを選択しながら何をやってもいいんだ、って本当に心から思えた、って言った方が正しいかな。


両親のやっている大衆食堂を受け継いで、毎日の食を提供することによって生計を立てたっていい。

胃袋を満たすものはなんと言っても日銭が稼げるし、どうしたら貧乏にならずに済むんだろう、ということばかりに怯えていた前世の私を癒してあげることができるだろう。

そうした安定を求める人生もあってもいいな。

でも、それだけでは私の人生つまらない、と思えばそれもいい。

毎日ただ一生懸命働いて食べて行く、ということだけでは何かが満たされないかもしれない、ということをいち早く見抜いた私の魂が私をオーラソーマに夢中にさせたのかもしれない。

だからオーラソーマをやりながら、それで生計を立てていく道を選ぶのか、生計は別のことで立ててひたすら安定を追求するのか、で迷うんだろうな。


抵抗感を覚える前に上手に国が提供している制度やら施設やらを調べて、自分の生活を豊かなものにしていくのもいいだろう。


これらのことを自分の“思考”だけではなく、今回私は幸せなことに自分の直近の前世に出会うことができたがゆえに“腹に据える”ことができました。

そしてそれを人前で自己解放が起こったことにより浄化することもできました。


私が選んだ1本目のB87「ラブ・ウィズダム」~愛の叡智~を見て、ぴーちゃんが、

「きっと使ってみるといいよぉ。」と言いました。

そうですね。

今までにも何回か使ったことはあるボトルだけれど、また格別な感じがするかもしれません。

自分が前世から持ち越したテーマを世界と分かち合うときが来ているのかもしれません。

何か前に出たいのだけれど、何か足を引っ張られるような感じがするものがすっきりと消えてくれるかもしれません。

今使っているB36が終わったら、私はB87とぜひともワークしてみようと思っています。






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