ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「日日是好日」を読んで

2018-12-29 09:01:23 | 本と雑誌
**************************************
ワークショップのお知らせ


    パッションテストで
   自分の夢を明らかにしよう!


パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。

   日時 2019 1月9日(水)  10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
   参加費  1年の始まりに末広がりの 8000縁
   参加募集人数   4名様   残席1名様
   
お問い合わせは、

   chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで

ご縁のある方、お待ちしています。


  
************************************
new!

2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


*************************************  

 
本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




***********************************

「無料メール講座」やってます!

「輝きを増す自分創造の泉 メール講座の詳細とご登録はこちら




<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>


*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。


*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



*******************************************









昨日でこの話題は終わりだと思ったっしょ~
へっへっへ、ところがどっこい、今日は映画ではなくて、「日々是好日」を“読んで”だもんね~
別に嘘ついたわけじゃないも~ん。
私はあまり映画を観たあとに、その原作を読もうとする方ではないんですが、今回ばかりは読んでみました。
すると、淡々とした映画だと思っておりましたが、いかにかなり本に忠実に映画化されたものだったんだなぁ、ということがわかりました。
しかし、やはりカットされているところというのはありまして、本では語られているけれども、映画では語られなかった部分で私が「なるほど!」と思ったことについて今日は書きたいと思います。



それは主人公が初めて武田先生に
「今日は茶事に行くわよ」
と言われてわけもわからないまま付いていくシーンです。
それまで主人公は何十年習っていても、お茶のことがてんでわかってこない、と悩んでいました。
例えるならば、リビングの設計図はもらった、書斎はこういう内装にするというものももらった、ベッドルームは・・ けれど、「家」というもの全体をどうしたいのか? どういう家にするのか? ということについては1度も設計したこともないし、どういうものなのかという話を聞いたこともない、という感じ。
だから、突然、人に
「そのリビングからはどうやってベッドルームに行くわけ?」
と尋ねられようものならそこに至る廊下も階段もまったくわけがわかっていないからただおろおろする、というそんな感じ、と主人公は言っていました。



これはお茶のお稽古を良く表しているな、と思います。
薄茶点前を習う、濃茶点前を習う、炭点前を習う、といってもそれらはバラバラに散らばっているだけでそれらのパートがどうやって壮大なコンチェルトを奏でるのかまったく知らされない、そんな感じですよね。
ヘタすると「茶道」=薄茶点前のことだけ、と思っている人、そこまでで終わってしまう人も多いのではないかな、と思います。
主人公は10何年もお茶をやってきて、先生に初めて
「茶事をやります」
と言われてそのことに気付くのです。



武田先生はまず、
「お茶事の勉強にいくわよ」
と言って、主人公を誘い出します。
そこでこの「貸し茶席」のご亭主が出てきて、炭点前があり、それから1人分ずつの御膳が運ばれてきます。
まず、そこで主人公は面喰ってしまいます。
(えっ、ここって料理屋なの?)と。
御膳の上には黒塗りのお椀が2つ並んでいて、それはわずかな汁の椀とほんの二口ほどの白いご飯でした。
(あら、こんな少し?)
と思って食べてしまうと、武田先生から、
「ご飯は全部食べないで、一口残すのよ」
と注意されます。
そして次に出てきたお刺身に箸を伸ばそうとすると今度は、
「まだよ。お酒が出るまで、お向うの皿には手を付けないで待ちなさい」
とまたたしなめられます。
それからは次から次へとごちそうがふるまわれ、すっかり満ち足りたときには2時間半が経過していました。
お腹が満足した主人公は何をしに来たのか忘れてしまい、食事が終わると席を立ち、帰ろうとすると武田先生が、
「さ、お庭に出てご亭主の準備ができるのを待ちますよ」
とおっしゃいます。
「へ?」
と鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていると
「これからいよいよお茶が始まるのよ」
とおっしゃるわけです。
「今のをね、『懐石』というのよ。お抹茶をおいしくいただくために、その前に食事をして、腹ごしらえを整えておくの」
と言われて、あの長い長い食事が単なる「助走」だったことに、茶事の深さに主人公は改めて驚くのでした。



すべて終了したのは夕方でした。
一服のお茶を本気で楽しむためになんと半日もかけたのです。
料理、器、盛り付けに至るまでこだわりぬき、酒を酌み交わして座をなごまし、水を打った庭にひとたび場を移し、御簾を巻き上げ室内の光を変える。
すべてはたった一服の抹茶のために。
(これほどの贅沢があったなんて!)
と主人公は舌を巻くのです。



そして、主人公の頭のなかですべてがつながりました。
今まではお茶で習ったさまざまなお点前が、ここできれいにつながったわけです。
濃茶は多量のカフェインを含んでいるので、空っぽの胃には刺激が強すぎる。
だから濃茶を飲む前に、懐石料理を食べ、からの胃を満たして置く。
そして濃茶をおいしく練るには、お湯が熱くなければいけないけれど、11月以降の寒い季節は水が冷たく、沸騰するのに時間がかかる。
だから懐石の前に炭点前をするのか、とまたごちる。



ここで主人公がピシィ! ピシィ!っとジグソーパズルが噛み合うような気付きを得ることは美しいには違いないけれども、私はどうして「懐石料理」とお茶の「お点前」がそれぞれ別のところで発展してしまったのだろう、と残念に思いました。
懐石料理はきっといまや「料理学校」へ通った人間しか教わらない。
それも
「フルコースで振る舞われる場合にはこういうものもありますよ」
という日本料理のコースの1つとして紹介されるものであって、きっともともとが茶事のなかの1つの駒なんだ、ということは教わらない。
これはとても勿体ないことだ、と思います。
お茶を習いに行っている方でも、きっとこの武田先生のようにある程度の年月がたったら「茶事」としてフルオーケストラを教えて下さる、という茶道教室は少なくなっているのではないか、という気がしました。
だからいつまでたっても、バイオリン、フルート、というようなパート練習ばかりをしていて、それが組み合わさったときどんなフルオーケストラになるのかはわからないまま終わってしまう。



逆に言えば、お茶がお点前の部分だけでここまで発展してきたのなら、「懐石」も料理のフルコースメニューの1つとして、というのではなく、あくまでお茶を楽しむための前奏曲としてあるものなのだ、ということを踏まえたメニュー構成として、最後に作法が整っていなくてもいいから、お抹茶で〆る、という本格的なもともとの「懐石」を味わってみたいものだ、そういう料理を自分でも見よう見まねで作って楽しんでみたいものだ、と思いました。
というのも、この本ではないのですが、どこかで私はこんなことを目にしたことがあるのです。
ある人が茶懐石に招かれ行ってみると、客人10人に対して、たった1人の先生が涼しい顔をして、この茶懐石のフルコースを担当された。
それに驚いて、
「すごいですね~!」
と声をかけるとその先生は、
「あら、これはもうこうやればいい、というメニューややり方が昔から決まっていますからね、その通りにやればいいだけなので、簡単なことなんですよ」
とおっしゃった、というのです。
なんてカッコいい!
涼しい顔をしてたった1人で10人のフルコースをまかなう、なんてなんかチャレンジ心をそそられるわ~
というわけで、「茶事の懐石料理がホントに1人で作れる本」という本を買ってしまいましたわ~
そんなこと、いつの日になるかわかりませんけれどね・・・
だいたい10人も客を招く、なんてそんなシーンがありえないような・・・



ここ1週間ほど、私がこれこそが今の私のテーマだ、と思える
「丁寧な暮らしをする」
の根本をついたようなお茶にまつわる記事をUPしつづけてきました。
自分のテーマに沿ったことで、この1年を締めくくることができることに喜びを感じます。
というわけで、お後がよろしいようで・・・という感じがするので、今年はここで終わりにさせていただこうかと思います。
あ、そうだ。
お茶では決まり文句というものがあって、すべて終わると亭主は
「御仕舞いにいたします」
と言って頭を下げるんですね。
お茶で使う言葉には現代にも生きている言葉がいっぱいありますが、ちょっと使われ方が違ったりするものも多いようですね。
例えば「亭主」という言葉は「茶席を仕切る者」ということであり、別に男性をあらわすような言葉でもなんでもないのですが、現代では
「うちの亭主がね・・」
などというように、男性の配偶者のことを指して使う場合が多いようです。
それと同じで、現代でも
「これで御仕舞い」
という言葉は使いますが、なにか小さい子どもに「これ以上はもうないわよ」と言い聞かせるときの言葉みたいで、たとえば友人を
「たまにはお茶しない?」
とカフェに誘い、ある程度おしゃべりしたら、誘った側が、
「さ、今日はこれで御仕舞いにします」
なんて言ったら、相手はきょとんとするのではないでしょうか。
なんて冷たい人!という印象さえ抱くかもしれませんね。
でも、私はこのきりりとした締めくくりの言葉
「御仕舞いにいたします」
がとても素敵だ、と思いました。
だから、私もあえて使わせていただきます。
今年はこれで御仕舞いにいたします。
また来年、よろしくお願いいたします。
おあとがよろしようで。



「日日是好日」を観て 5  ~一大イベントはやっぱり必要だ~

2018-12-28 09:01:16 | 映画
**************************************
ワークショップのお知らせ


    パッションテストで
   自分の夢を明らかにしよう!


パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。

   日時 2019 1月9日(水)  10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
   参加費  1年の始まりに末広がりの 8000縁
   参加募集人数   4名様   残席1名様
   
お問い合わせは、

   chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで

ご縁のある方、お待ちしています。


  
************************************
new!

2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


*************************************  

 
本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




***********************************

「無料メール講座」やってます!

「輝きを増す自分創造の泉 メール講座の詳細とご登録はこちら




<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>


*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。


*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



*******************************************











ただ1時間40分の映画を観てきただけで、5日間にわたって色々と書くほどの分量の気付きがあったのだ、ということに自分でも驚いています。
でも、今日がさすがに最後かな。
今日のテーマは、「一大イベントはやっぱり必要だなぁ」と思ったことについて。



静謐で品格のある映画のなかで一か所だけ
「な、なに!? これは・・」
と驚くシーンがありました。
それは、ドシロウトの私にはよくわからなかったのですが、お茶の世界では一世一代というほどのお茶会があるようなのです。
それは有名な方が開くものなのか? 有名なお寺などで開かれるもののことなのか? よくわかりませんでしたが・・
しかし、全国からお茶をたしなんでいるご婦人たちがわらわらと雨後の竹の子のように何百人と押し寄せるのです。
そして、開場となった瞬間に、そのお召しになっているお着物の優雅さとは打って変わって、良い席をとるために、「それっ!」とばかりに駆けだすのでした。
それはまるで、今から20年ほども前のデパートの催事場のバーゲンセールを見ているようでした。
はしたないったらありゃしない。



どうしてこういうことになるのか、と言ったら広い会場では約5,6人の亭主たちがそれぞれお茶会を構えていて、参加者たちは出来るだけ多くの会場を回りたい。
しかし、お茶会の会場にはほんの数十人しか入れないから、もし、目指したお茶会会場に入れないと次の回まで1~2時間、ただ並んで待っていなくてはならない。
その時間ロスを避けたいがために皆さん、走ってお目当ての会場に向かうのでした。



そして、会場では、案内人が、
「どうぞ、空いているお好きなお席へどうぞ」
と言うのですが(もちろん、お茶の席ですから、椅子が並べてあるわけではありません。だから、明確な「ここが1人分の席」というスペースがあるわけではありません)、皆がどうしても座りたくない席がただ1つだけある。
それが亭主の横の「正客」と言われる客人が座る場所。
そこに座るということは、そこに居る全員の代表を務める、ということになるようなのです。
つまり、もてなされる側の客人の代表。
その席に座ると、
「このお茶碗はどこのものですか?」とか、
「このお抹茶はどこのお店のもので?」とか、
もてなされる客だったら、皆さん、こういうことが聞きたいだろうな、ということを想定して訊ねてあげなくてはならない。
つまり、亭主との会話役を努めなくてはならない。
亭主と対等に話す力量が必要なわけですから、相当なお茶に対する知識、幅広い見識の持ち主でないといけないわけです。
なので、みなさん、
「いえいえ、私なぞ、とても畏れ多い」
「その席だけはご勘弁ください」
なぞと言って辞退され、それでも誰かがそこへ座らないと会が始まらないので、案内役がついに
「○○先生、お願いできますか?」
と目星をつけた人を指名し、その人がおもむろに、
「大役を仰せつかりました。私では役不足ではありますが、お勉強させていただきます」
と言って、「正客」席に座り、亭主と会話するのです。



映画では、その茶席で使われるお茶碗が全員に回され、穴のあくほど見てよし、とされるシーンが出てきます。
武田先生と一緒に座っていた主人公は武田先生に、
「いいこと、よぉく手に取って見るのよ。ホンモノにできるだけ触れ、できるだけそれを見るだけではなく、手の感触で確かめるのよ」
と言われます。
そうして見よう見まねで、回ってきた茶碗を手に取るのですが、確かにその楽茶碗は手にしっくりと収まり、とても具合が良い。
あとでその楽茶碗に値段をつけたら時価ン百万円とかン千万円するものだと聞き、主人公はびっくりしてしまいます。
確かにそんなお値段のはる茶碗なんて、こういう場所へ出かけなくてはとても手にすることはないでしょうからねぇ。



映画ではなく、確かこれは本のほうだったと思いますが(そう、わたし、こちらの本も読みました)、会場のどこかで武田先生が旧知の知り合いとばったりと会い、挨拶するところがあります。
品のよいその老婦人は80歳を超えているかと思われましたが、しゃんとしていらっしゃり、とても活き活きとしていました。
その老婦人が、
「楽しいわねぇ、お勉強って。では、わたくし、もう1会場回ってきますので」
と言ってその場を後にする、という場面がありました。
80歳を過ぎてもなお、勉強が楽しい、と言える世界っていいですよね。
そう、つまり、茶道というものはいつも同じ先生の元に通うだけではどうしても得られないものをこうして1年に1度ある大きな会場でのお茶会で学ぶのですね。
それが、こういう場所に来なければとてもお目にかかれないような高価な茶道具であったり、自分よりうんと先を行っている人だなぁ、という人に出会うことであったりするわけです。
そういう場所って確かに必要ですよね。
いわば、非日常の場。
お茶のように“非日常”という言葉が似つかわしくないような世界にも、このような一堂が会すというような大イベントがあるのだ、ということが驚きでもありましたし、また、羨ましくも思いました。



オーラソーマにせよ、セラピーにせよ、占いにせよ、私がこれまで親しんできたものたちにはそういった場所がありませんでした。
そりゃ、オーラソーマでも、イギリスからマイク学長が来るとなると全国から何百人も集まってきます。
けれど、それは一大イベントではないですもん。
ただ、講座を受ける、というだけのことです。
通常、日本のティーチャーから受ける講座と同じように。
ただ、マイク学長の機会だと年に1度あるかないかなので100人とかそれ以上が集まる、というだけのこと。
マイク学長だ、ということがスペシャルなだけで、行われることは日本人ティーチャーと同じです。
誰かが「正客」のように、全員が日頃からマイクに訊ねたい、と思っていることを訊ねるコーナーがある、とかそういうわけじゃありませんし。
自分にとってもそれが1年に1度の晴れの場ということではないですし、自分はともかくとしても、どなたか先達の発表がある、ということでもありません。
そのほかんも「アップデート」というものが時にあったりしますが、いずれにしても流れは上から下へ、というだけ。
一方的な通達があるだけで、自分たちがいかにこれまで学んできたことによって成長したなぁ、ということを確かめられるような場ではありません。
占いやセラピーにしても、大きな会場を小さなブースに細かく区切って、いろんなセラピーや占いを紹介するショーのようなものはありますよ。
けれど、それともちょっと意味合いが違いますよね。



とにかく自分がそれまでに学んできたことを1年に1度、総決算してみる、という場。
改めてこれからも衿を正して、学び続けようという高揚した気持ちになる場。
自分が発表する場でもあるし、自分の存在や立ち位置を確認する場。
そんなものがやっぱり、何か「道」のようにいそしんでいる者にとっては必要だと思うのです。
でないといくら淡々と、粛々と日々にそれを活かしていくことこそが本分と言ったとて、どこかダレてしまったり、やめたくなってしまったりするものです。
ちょっと映画のなかでは異色のシーンというか、あまりにもほかとのトーンが違うので、
「いる? このシーン・・」
と思ってしまったのですが、現実の世界ではこうした一大イベント的な場は絶対に必要なものだ、と改めて思ったのでした。




「日日是好日」を観て 4   ~茶道は”生きる”ことそのもの~

2018-12-27 09:01:32 | 映画
**************************************
ワークショップのお知らせ


    パッションテストで
   自分の夢を明らかにしよう!


パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。

   日時 2019 1月9日(水)  10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
   参加費  1年の始まりに末広がりの 8000縁
   参加募集人数   4名様   残席1名様
   
お問い合わせは、

   chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで

ご縁のある方、お待ちしています。


  
************************************
new!

2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


*************************************  

 
本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




***********************************

「無料メール講座」やってます!

「輝きを増す自分創造の泉 メール講座の詳細とご登録はこちら




<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>


*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。


*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



*******************************************












この映画を観ている途中から、
(いいなぁ。私も今からいっぱしの茶人になれなくてもいいから、それでもお茶を習いたいなぁ)
なんて気持ちになったんですよ。
それは、お茶が”生きる”ことそのもの、”生き方”そのものだったからです。
それは昨日もチラと書きましたが、お茶が来る日も来る日も飽きずに同じことを繰り返すものではない、ということがあります。
単にお茶を点てて飲むだけ、たったそれだけのことと言えば、それは同じことの繰り返しです。
しかし、季節に合わせてお茶の点て方も違うのです。
私はそんなことさえ知りませんでした。
お茶といえば、よくドラマや映画で見るように畳を切った炉の中に在る釜にシュンシュン沸いているお湯から点てるものだとばかり思っていました。
しかし、それは冬の季節の間だけだったのですね。
春を迎えると炉は片づけられます。
もっと詳しく区切ると日本には二十四節気というものがあります。
その都度、その季節を愛でるように茶室を整えていくのがお茶なんですよね。
いや、厳密にいうと茶室を整えるだけではない、客人が玄関先に訪ねていらっしゃるところからもう始まっています。
千利休は生前、いっぱいのお茶を客人に振る舞うために、落ち葉の季節、わざと小僧に玄関から茶室までの小道に落ちている落ち葉を完全に綺麗に掃き清めないように、と言ったことがある、と聞いたことがあります。
あえて、1枚、2枚、残して置け、と。
あまりにカンペキに綺麗にしないほうが小粋だ、というはからいなのですね。
このように来る季節、季節で覚えることが多くて日々違うから、この映画の主人公ももう何年もやっているのにちっとも覚わらない、と自分自身を嘆くシーンがあります。
けれども、だからこそずっと飽きずに続けていられる、ということなんでしょうね。
”生きる”ことには飽きませんから。



映画にもありますが、茶室には床の間があります。
そこに亭主がその季節、季節にあわせた掛け軸が飾られます。
ときには今日いらっしゃる客人の心情に合わせたような、その心情を慰めるようなものが選ばれるときもあります。
そのお軸選び1つをとっても生半な知識や美意識でできることではありません。
ホンモノを日々見て勉強し、それに慣れる必要があります。



そして、茶室には必ず花が飾られます。
その花はパーティで飾られるような華やかな花ではありません。
お花屋さんで売られているような花ではなく、野に咲く名もないような花をシンプルに飾ることが求められるようです。
主人公は武田先生に
「これ、なんていう花です・・?」
と尋ねます。
すると武田先生は、
「その筆みたいなのは”くがい草”、ピンクのは”姫小百合”、それと”縞葦”」
と言って教えてくれます。
次にいくとまたこんどは違う花や草が飾られていて、それはまた知らないものばかり。
主人公はもともと花が好きで、花の名前はたくさん知っている方だ、と思っていた。
その主人公が全然知らないような野に咲く花たち。
いったいそういう花はどこに咲いているのだろう?と思って尋ねると
「だいたいうちの庭にあるのよ」
とまた武田先生。
武田先生は、約30年間にわたって、あちこちから花や草を移植して大事に育てていたんだそうです。
客人をもてなすために野に咲く花にも始終目を配り、今度はあれを飾ってあげよう、あれはイカスから山から採ってきて庭に植えておこう、なんてことをやるわけですよ。
これはもう”生きる”こと、”暮らす”こと、そのものじゃないですか。



そして、お茶のときに振る舞われるお茶菓子。
それはそれは季節をあらわす美しい和菓子たち。
武田先生は、その和菓子にもこだわり、日本全国の有名な老舗和菓子店から、その季節に1番合ったものをみつけ取り寄せたり、自らも百貨店などを巡り、探してきていました。
季節を愛でるために、客人が菓子鉢の蓋をあけたときに「わぁぁ!」と感嘆させるためにそこまでする。
これが”生きる”ことそのものでなくてなんでしょう。



・・・しかし、映画を観てこのお茶をたしなむ暮らしに憧れたものの、私には無理だな、と思いました。
私はそれこそ、何かに惹かれると”形”から入りたくなるタイプなんです。
だからまず、お道具にすべてを揃えたくなる。
自分が真剣に打ち込もう、と決めたことをまずは借りてからやればいい、と自分自身の決意を信じていないような自分を作ること自体が嫌なんですね。
ちょっとかじる程度ならまずはカルチャースクールから、でもいいかもしれませんが、ことお茶にいたってはカルチャースクールでは意味がない、と思ってしまう。
この映画に出てくるような御庭のあるひなびた日本家屋の御座敷で習うお茶でないと、と。
そしてそこでお庭を楽しみ、いけてあるお花を愛で、掛け軸を観賞し、というものでないと、と。
それはさすがに自分の家をそこまで改築してやろう、なんてことは出来ませんので、そういうお宅を探してそこへ通う、でいいかとは思うんですが、そうなるとネットで検索して、というものではないですよね。
やっぱり出会いものかな~、そういうところでひっそりと教室をやってらっしゃる品のいい、心から尊敬できるような先生でないと、なんて思ってしまう。



そして、何をさておいてもお茶をたしなむためにはまず着物が着られなくては話にならないことでしょう。
そりゃもし習いに行けば最初の頃こそ、
「なければ無理しなくてもいいですよ」
とは言ってくださるかもしれませんが、そのうち
「できればお着物を着て来てね」
になり、茶会などでも催されるものなら、着物なくしては恥ずかしくて参加なぞできません。
そして着物は洋服と違って、お店に出かけ「吊るし」を見て、「これくださ~い」と言えばそれで済むものではありませんからね。
せっかく着物を着るなら、自分で着られなくては意味がないと思いますから、ではお茶をたしなむためにまずは「小林豊子きもの学院」なぞというようなスクールに通わなくてはならない、ということになるではないか。
本当にやりたいことに到達する前にやらなければならないことが、それだけでもいっぱしの費用と時間のかかることだ、となると気持ちが萎えます・・



そしてですね、
決定的なことに気付きました・・・
わたし、スイーツにあまり興味がありません。
そしてお抹茶にもたいして興味がありません。
普通に煎茶なら好きなんですが、茶道というものはどうしてお抹茶なんでしょうねぇ。
煎茶では「お点前」が披露できないからかしらん?
それでチラッと調べてみるとこんなことが書かれているものがありました。
「昔は煎茶というものがなかったから。お茶といえば、お茶葉を直接粉にしたお抹茶か、庶民は番茶だった。そのどちらかしかなかったから、いつのまにかお抹茶は貴族の文化人のたしなみとなった」
というものです。
そんなことが理由か!と驚きました。
単にその当時には煎茶がなかったから、というのが理由だとしたら、もし煎茶が登場していた時代から茶道が確立していったのなら、抹茶ではなく煎茶での「点前」という形ができていったんだろうか、と思うと余計に抹茶に興味がもてない自分を正当化したくなりました。
わたし、これからの人生を趣味人として生きて行くつもりはないですから。
せっかく習っても自分自身がたいして楽しめないものではしょうがありませんから、わたくし、やっぱりお茶は習わないと思います。
けれど、このお茶を一杯点てる、そしてもてなす、ということのなかに込められた”生きる”ことを楽しむ精神、”暮らし”を楽しむ精神はぜひとも生かしていきたいなぁ、と思ったのでした。





「日日是好日」を観て 3  ~形からはいること つづき~

2018-12-26 09:01:41 | 映画
**************************************
ワークショップのお知らせ


    パッションテストで
   自分の夢を明らかにしよう!


パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。

   日時 2019 1月9日(水)  10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
   参加費  1年の始まりに末広がりの 8000縁
   参加募集人数   4名様   残席2名様
   
お問い合わせは、

   chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで

ご縁のある方、お待ちしています。


  
************************************
new!

2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


*************************************  

 
本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




***********************************

「無料メール講座」やってます!

「輝きを増す自分創造の泉 メール講座の詳細とご登録はこちら




<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>


*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。


*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



*******************************************










私がこの映画を観て最初に惹きこまれたのは、主人公がお茶を習いに行った初日、まずは袱紗の畳み方を武田先生から教えてもらうシーンです。
「まずは三角に畳んで・・」
「それから四角に折り・・」
「帯の間にそれをはさむの」
などと1つ1つの所作を習うなかで、
「ハイ、そこでピッと横に引く」
と言うと、武田先生の袱紗はたるんだ布がピンと張られたことによる「パン!」とそれはそれは良い音を立てます。
主人公も見よう見まねでそれをやりますが、主人公のものは良い音が立ちません。
それでも何度かやるうちに良い音が立つんですね。
武田先生は、
「これを『ちり打ち』と言うのよ」
と言います。
私はこのシーンに前のめりになってしまいました。
なんてカッコいい!



正直、日常のなかで
(あのお年寄り、カッコいいなぁ!)
と思う人にはそうそう出会いません。
多くは、年齢相応の体力のなさを露呈したかのような身体の張りのなさ、姿勢の悪さ、まるで自分の年齢をひがんだかのようなドブネズミのような色の服、残念ながらそんな人たちです。
そして私自身、自分が還暦を迎えてからガクッと体力が落ちてきたのを実感し、
(しょうがないよな・・ どうしたってこうしたって体力については若い人にはかなわないのだからそうなったってしょうがない。なんだって若い人の方が出来て当たり前。)
と自分を慰めていたようなところがあります。
でも、武田先生の袱紗さばき、なかでもこの「ちり打ち」を観たとき、
「年寄りのほうがカッコいいことだって、まだまだ世の中にはいっぱいある!」
となんだか勇気をもらったような気がしたのでした。



そもそも「ちり打ち」って命名もカッコいいではないか。
袱紗を使って、その袱紗は毎回洗濯機をかけて洗うわけではない。
そんなに汚れるはずもない。
けれど、確かに気にはなる。
それが一連の袱紗さばきの動作のなかにちゃあんと「ちり打ち」という所作が含まれていて、毎回ちりを払う事がもう形のなかに組み込まれているなんて。
まいった、と思いました。



そもそも、どうして主人公がお茶を習うことになったのか、というとそのきっかけは主人公の母親が武田先生と道でばったりと会って(もともと住んでいるのがご近所なので)交わした挨拶のなかで武田先生がしたおじぎについて
「あの人はタダモノじゃないわよ」
と言ったことに始まります。
「みなさんでお辞儀をしたんだけれど、1人だけお辞儀が違うのよ」
と主人公のお母さんはもう鼻の穴膨らませてコーフン気味に語ります。
それで主人公が
「1人だけ違うってどういうふうに?」
と聞いても、
「ふつうなんだけれど、違うのよ。あんなきれいなお辞儀見たことない」
とわけのわからないことを言います。



それから主人公は何日かして自分の家の玄関先でバタリと武田先生に会います。
幾人かと立ち話をしていた武田先生は、
「あら、こちらが御嬢さん? 初めまして。武田でございます」
とその“タダモノではないおじぎ”をします。
けれど、主人公は確かに綺麗なおじぎだけれど母が言うほど“タダモノでない”感はわからず、
(なんだ、ただの気さくで優しそうなおばさんじゃない)
と思っただけでした。



それがお茶を習い始めて、主人公はやはり武田先生の“すごさ”に気付くのです。
誰よりも背筋がぴぃんと伸びている、とかそういうわけじゃない。
お辞儀の角度がすぐれている、とかそういうわけじゃない。
頭を深く下げなさって気持ちがいい、とかそういうわけじゃない。
けれど、武田先生のお辞儀というものは、すーっと流れるように、そして1番深く頭を下げたかなと思ったところに1秒とどまるかとどまらないかの静寂があるところがすごい、と気付くわけです。
うぅん、お茶を習うだけでお辞儀まで“仕上がりきった”感を醸し出せるものなら、もう世の中のマナースクールなぞ必要ないではないか、スズメの子も鴨の子もみなお茶を習えばよろしい。
ここにすべてが詰まっているようなのであるから、と。



それほどにお茶は“形”から入ることで、自分の人生までもが知らぬうちに整ってしまうものなのであるな、と思い知りました。
深いわぁ、お茶って。
思えば、私も去年わざわざ大阪まで一杯のお茶を飲みに出かけ、そして
「朝、いっぱいのお茶を心静かに飲む」(これは煎茶ですけれどね)
ということを心がけよう、と何事も“形”から入るタイプの私は、常滑のセラモール(常滑焼卸団地のこと)まで出かけ茶器を買いそろえお茶をたしなむ生活を送ろうとしたのでした。
朝、一杯のお茶をたしなむためにはテーブルの上に新聞が積んであったり、出しっぱなしの調味料が置いてあったりではカッコ悪い。
すべてきれいにしよう。
そして何も置かないようにしよう。
そのうち、何も置かないテーブルに一輪の花が飾りたくなったら、それもよかろう。
起き抜けのパジャマ姿で飲むわけにもいかないから、きちんと服は着替えて飲もう。
そのうち、服ではなくて、着物なんて着て飲みたくなったらそれはカッコいいだろうなぁ。
そのときが来るかどうかわからないけれど、またそんなときがきたら、それはそのときに考えよう。
・・・・などと思っていたのでした。
そして少しはそんな生活をしたのですが、引っ越しのドタバタとともに、(もう少し片付いてからにしよう・・)と結局、今はそのままになってしまっています。
朝、いっぱいのお茶をたしなむ、というたったそれだけのことがなかなか習慣化できない。
これではいけないな。
何があってもとにかく“形”を守り続ける生活をしてみよう。
そこからきっと感じること、産まれるものがあるだろう、と改めて思ったのでした。



「日日是好日」を観て 2   ~形から入ることについて~

2018-12-25 09:01:50 | 映画
**************************************
ワークショップのお知らせ


    パッションテストで
   自分の夢を明らかにしよう!


パッションテストは、アメリカのジャネット・アットウッドが開発した、自分が何に情熱を感じているのかを明らかにし、それに優先順位をつけ、それに向かって歩む道筋を確認できる非常に合理的でわかりやすいシステムです。
ジャネットよりじかに学んだ著者が、2019年の冒頭にあたり、改めて自分のやりたいこと、情熱を感じていることを明らかにし、進みやすい道をつくるためのお手伝いをいたします。

   日時 2019 1月9日(水)  10:30~16:30 (12:00~13:15までランチ休憩あり)
   参加費  1年の始まりに末広がりの 8000縁
   参加募集人数   4名様   残席2名様
   
お問い合わせは、

   chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで

ご縁のある方、お待ちしています。

*************************************

<お知らせ>

 オーラソーマ セッション 値段改訂のお知らせ


 これまで、70分  ¥10000(ボトル1本付 税込)
            ※ボトルは¥5616(税込)です
 で、行わせていただいておりましたが、オーラソーマ社システム変更など諸事情により、
 来年1月度からセッション代金を改訂させていただきます。

 新セッション料は、

      70分  ¥ 8000(ボトルなし 税込)
           ¥13000(ボトル付  税込)

 です。よろしくお願いいたします。
 12月度はこれまで通りのお値段ですので、改訂前に、というかたは
 お早目に
   chakra@aura-soma.name までご連絡ください。

 <12月セッション可能日)
1日(土) 10:00~     13:00~     15:00~
3日(月) 10:00~     13:00~     15:00~
  5日(水) 10:00~     13:00~     15:00~
  6日(木) 10:00~     13:00~     15:00~
10日(月) 10:00~     13:00~     15:00~
11日(火) 10:00~     13:00~     15:00~
12日(水) 10:00~     13:00~     15:00~
13日(木) 10:00~     13:00~     15:00~
17日(月) 10:00~     13:00~     15:00~ 
20日(木) 10:00~     13:00~     16:00~
21日(金) 10:00~     13:00~     15:00~
25日(火) 10:00~     13:00~     15:00~
26日(水) 10:00~     13:00~     15:00~


  
************************************
new!

2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


*************************************  

 
本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




***********************************

「無料メール講座」やってます!

「輝きを増す自分創造の泉 メール講座の詳細とご登録はこちら




<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>


*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。


*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



*******************************************












今日はクリスマスですね。
今の日本で1番の人気イベントとなったクリスマスの日に、日本古来からのお茶というものについて書いている自分を面白いなぁ、と思います。
昨日は「日日是好日」という映画を観て、今の自分のテーマにぴったりだ、ということから色んな気付きを得た、と書きました。
今日もその続きです。
昨日は、“形から入ること”について述べました。
それにはちゃんと「道」とつくような茶道、華道、などには歴史があり、それは古来から何べんも何べんもその道を究めようとした人たちが繰り返し、この方がいいのでは、という実験を行った結果、「よし! これがいいのだ」とシステマチックに残っているものが“形”となっているのだから、今更私たちがケチをつけるようなものではないだろう、という考え方であろう、と思います。
けれど・・
それだったら、私は別にケチをつけるつもりはないけれども、どうしてもっと柔軟に「いや、このほうがいいかもよ」と後々の人々が考えたことをいったんは耳を傾けてみるという余白を持たないのだろう、なぜ、はじめから「そんなもの必要なし」と跳ね除けるのだろう、と思いました。
実際に、歌舞伎などは伝統の形に今の柔軟な考え方も入れ混ぜるようにすることによって、今でも人気の娯楽として脈々と残っているものです。
そのように現代の新しい息吹を受け容れる余裕をもたなくてどうする、と思っていました。
しかし、その答えはこの映画を最後まで観て、私なりにわかったような気がします。
それは、決まった“形”があるのは、それがもう完成形だから、とは千利休さえ思ってはいなかったのではないか、ということです。
では、「なぜ、このような形をとるのか?」という質問を受け付けず、まずはその通りにしてみろ、と言うのか?



映画のなかでは樹木希林演じる武田先生が、
「お茶はね、まず”形”なのよ。先に”形”を作っておいて、その入れ物に、後から”心”が入るものなの」
と言う場面があります。
これを形式主義の鋳型にはめるととらずに、今の私は、
「鋳型をつくることによって、ある程度、その鋳型のなかでどんな心を醸成するかは人によってまちまちでいいから」
ということではないか、と受け取りました。



ちなみにこの主人公が最後に気付くのは、
「お茶とは季節のように生きる、ということなんだ」
ということです。
この映画の原作となったのは森下典子さんという週刊朝日の人気コラム「デキゴトロジー」を担当した記者の方ですが、その原作の第二弾、「好日日記」のサブタイトルに「季節のように生きる」とあります。
本の帯にはこんな文があります。
『疲れたら、季節のなかにいれば、それでいい。どこかへ行こうとしなくても、日本は季節をめぐっているのだ。私たちは、季節を追い抜いて先へ進むことも、逆らって同じ季節にとどまることもできない。いつも季節と共に変化して、一瞬の光や、木々を吹きすぎる風に心を建て直し、降りしきる雨音に身を任せて自分を癒したりしているのだ。私たちは、季節のめぐりの外ではなく、元々、その中にいる。だから、疲れたら流れの中にすべてをあずけていいのだ』
良い言葉だなぁ、と思います。
素晴らしい気付きだなぁ、と思います。
日本人として、日本という国に生まれた意味は、と言われたらこれだ!と手を打ちたくなるような気付きです。
私もこんな気付きを得たい。
それを私はスピリチュアルの中に身を置くことによってしか、一般社会の中で働いていては気付けないと思ってきました。
けれど、彼女はそれを茶道のなかから見出した。
もちろん、茶道からだけでもなく、一般社会の中で働いていたって、気付く人は気付くのでしょう。
そのことがようやくここ2,3年のうちにわかるようになってきました。
その人が気付きやすいように、その人自身がそんな道を選択して生きてきたのだ、と思います。
私はたまたまそれがオーラソーマであったり、各種のセラピーであったりしただけで。



そして、たぶん、この森下典子さんにしてもこれがゴールでは、きっとない。
主人公はその後もずっとお茶をつづけ、今はまた違った気付きを得ていることでしょう。
茶道をやっていて誰がどんな気付きを得たってかまわない。
それが自分の人生を楽しんで生きることにつながるのであれば。
そういう意味において、千利休の時代から鋳型である“形”をつくることにはかえって人を自由にさせる力があったのではないか、と思ったのです。



もう1つ、形から入ることの効用として、「思考をストップさせる」ということがあると思います。
主人公があまりに二十四節気ごとにくるくる変わるお点前の作法についていけなくて、手がぎくしゃくしてしまい、1つ1つええっと次は何をやるんだったっけ、と覚えていることを確認しようとしたときです。
武田先生は、
「間違うのは構わないの。でも、覚えようとしちゃダメ。手が自然に動くようになりなさい」
と言います。
そして実際に、あるときふっと主人公は気付きます。
(あっ、今、わたし、なんにも考えていなかった。でも、手が自然に作法を覚えていて勝手に次の動作をやった!)
そしてその瞬間、そのことがとても気持ちがいい、と主人公は思うのです。



確かに私たちは、何かを身に着けたい、これが出来るようになりたい、と思うとき、無我夢中でまずはその手順を覚えようとします。
最初は、えーっと次はこうだっけ、そして次は何をするんだったっけ? と頭の中が大忙しです。
けれど、もう完璧に手順については覚えてしまった、というとき、頭が空っぽになったようななかで、すっすっと身体だけが勝手に動き始めるとき、というのがあります。
そしてその瞬間は確かに何か快感を得ます。
この快感の正体とはなんでしょう?
単にこんなにも何も考えなくても美しい所作が出来るようになった、という自慢のような気持ちでしょうか?
私はそうは思いません。
私たちの身体というものが頭(=思考)からの命令によって動くのではない、と気付いたとき、つまり身体が頭の家来ではない、ということがわかったときの快感ではないでしょうか。
私たちの身体を突き動かすのは、あくまでも魂からの叫びのようなものであって、思考なんかではないのだ、ということを悟ったとき、私たち人間というものは快感を得るように出来た生き物なのではないか、と思ったのでした。