ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

香りの販促

2010-05-31 07:58:00 | うんちく・小ネタ

先日、静岡にオーラソーマの「カバラと72の天使のコース」の授業を受けに行っていたときのことです。

休憩のティータイムのときになぜそういう話になったのかは忘れましたが、「最近、香りが販促に使われるようになったらしいね。」という話になりました。

ショッピングセンターなどに行くと各売り場でその売りたい商品の匂いが流れている、というのです。

カレールゥの売り場にはカレーの匂いが、パンの売り場には焼きたての小麦の匂いが、というわけです。

それだけ考えたら、おいしそう・・ そりゃあ確かにちょっと惹かれるよね、と思うだけかもしれません。

落語ではありませんが、昔からうなぎの蒲焼きのタレの焦げる匂いだけで白いご飯が一杯食べられちゃう、という場合もあるくらいですから。

私もそれはよくわかります。

ダイエットしていたときに、一番我慢できなくなるのは、おいしそうな食べ物のビジュアルを見ることよりも、匂いをかぐときでした。

私を含め太っている人というのは大抵、「空腹」なのではなく、「食欲」で食べてしまっていることがほとんどですから、極端な節食をしていないかぎり、「自分がいま、本当に空腹なのかどうか」を自分のお腹に問いかければ「そこまでぺこぺこでもないな」と判断したら、我慢はできるものなのです。

しかし、匂いをかぐとこの我慢ができなくなる。

香りの力とはさほどに強いものだと思います。

こういった販促が活発になったきっかけは、ジョニー・デップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」のロードショーがきっかけらしいです。

あのとき、映画館では上映にともない、おいしそうなチョコレートの匂いを館内に流したそうです。

それが功を奏したか、面白い、というわけでモノが売れないこの時代、香りを使った販促がどんどん巷にあふれだした、というわけです。

私の場合は、スィーツも好きは好きですが、あまりに「甘い」という匂いはかえって食欲をなくします。

なんでだろー。

「欲」で食べちゃってるだけで、本能的にはスィーツってあんまり好きじゃないのかな・・?

全国的にあるクッキーのチェーンの前を通りかかると、そのあまりに強烈な匂いに胸がむっときて、気持ち悪くなるくらいです。

クレープ屋さんの前なんかを通りかかるときも、同様の感じになります。

一度、友だちが「これ、おいしいのよ~」といって彼女のお宅で出してくれたのが、甘~いチョコレートの香りとフルーツの香りが混じった匂いの、コーヒーでした。

これはほんとうにまいった・・

甘いなら甘いで、脳が「これから甘いものが口に入ってくる」と準備してしまうので、実際に口に入ってきたものはまったく甘くなくむしろ苦いコーヒーだ、となるとそのギャップについていけなくて、自分の神経系統が混乱をきたしてしまうのでは、という気持ちになりました。

さて、あそこのショッピングセンターでは・・・ あちらでも・・という話をひとしきりした後に、この話の口火を切った和子さんが、言いました。

「でも、怖いわよね。香りなんてどんな成分が使われているのかわからないけれど、そこを通りかかったら、かぎたくもないのに、かがされちゃった、ってことになるってのは。」


こう言われて、そうだよな~と思いました。

昔、サブリミナル広告で、映画上映前の予告編かなにかにコカ・コーラのCFのコマが1秒にも満たない、視覚で認知できないほどのフラッシュで入れ込まれていて、それを見た人は、なぜか映画が終わったあと、コーラが飲みたくなる、ということがあり、確かこのような広告の仕方は禁止になったのじゃなかったかしら・・?


確かにこのようなマインドコントロールとも呼べるような、自分の意志とは関係なく、嫌が応にも自分の体のなかにその情報を取り込まざるをえない、そこに選択の余地はない、というのは不気味な感覚です。

事前に情報がほしい。


香りの広告についても、知らずにそこを通っちゃったらかいじゃうことになる、っていう部分が嫌なだけで、そこに至るまでに事前告知がちゃんとあり、「嫌な方はこちらの小路をお通りください。」というような選択の余地があれば、別にいいと思うんだけど。

だって、その香りをかいだらそれ買っちゃいそうだから、イヤとか言う以前の問題として、これだけ自分の体に取り込むものの品質に敏感になっている時代に、その香りの成分って厳選された自然素材のものなの?ってことも何もわからないままに、粗悪なものを体内に取り込むことになるのはイヤですもんね。

結局、人間は「知らされているかどうか」というところに非常に怖れを抱くのだと思います。

和子さんが続けました。

「ディズニーランドってあそこだけ高周波だかなんだかが流されている、って知ってた?」

「!!!  ええ~っっつ! 知らない。どういう意味?」


和子さんが言うには、ディズニーランドはすごく清潔で衛生的な場所だということで通っている。

確かに掃除が行き届いているのはわかるけれど、野性の鳩やカラスがあそこには一切居ないのは、おかしいと思わないか、というわけです。

ディズニーランドの上空には高周波が流されていてそういった鳩やカラスが園内を糞で汚したり、食べ物をつついて散らかしたり、ということがないように要するに近寄れないようにしているらしいよ、と言うのです。

「上空だから園内で飼われているあひるとかには問題はないらしいけれど。」と和子さんは続けました。

真偽のほどは知りませんが、確かに鳩やカラスがまったく姿を見せない、というのはそういうことだったのか!と一気に信憑性を感じました。

これが本当だとすると、楽しいアトラクションや施設の宣伝の話は聞いても、いっさいこのことに関しては耳にしたことがなかった、ということを不気味に思いました。

あえて流す必要はない、ということかもしれませんが、その高周波とやらが、まったく人体に影響がない、と言いきれるのでしょうか・・?

うぅん、影響はない、といわれたとしても、知っていたら、あそこに長居はしなかった、とか年間でそれほどまでには訪れなかった、と言う人も現れるかもしれません。

現代の人間は「目に見えない」ということ、「情報を知らされていない」、ということに過敏になりすぎているのかもしれません。

こんなにマスコミが発達していない昔なら、まぁ、そういうこともあるだろう、で済ませてしまっていたことかもしれません。

でも、これだけマスコミが発達した世の中だからこそ、ここまで意図的にオミットされている情報もあるのか、と思うことがなんだか不気味なのです。

特に私たちオーラソーマに関わっている人間は、ポマンダーやクイントエッセンスを取り扱うので、香りに関しては敏感です。

香りがいかに大脳辺縁系にダイレクトに働きかけて、思考として考える以前に本能的に感じてしまうものであるかを知っているからです。

まぁ、なるべくおおらかにあんまり気にせずに生きていきたいな、とは思いますが、この「香りの販促」この先、どんな展開をみせていくのか、ちょっと気になります。




オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

刻々と予約状況が変わるため、まずはメールにてご希望の日時をお聞かせください。

場所は、名鉄岐阜駅から徒歩5,6分のところです。(駐車場1台分有)

メルアドは

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B25「フローレンス・ナイチンゲール」

2010-05-30 07:51:00 | オーラソーマ

ナイチンゲールとは、誰もがよく知っている「クリミア戦争の天使」と呼ばれた看護婦のなかの看護婦さん(この時代には、看護師ではなく、看護婦さんという言い方の方が一般的だったので、これで通させていただきます。)のことです。

B25 戦争の最前線でみずから先頭にたって看護の指揮をとった人をイメージしたとき、このボトルの上部バイオレット、下部マゼンタのボトルはすんなりと理解できるように思います。

バイオレットは「奉仕」を表し、マゼンタは「小さきものへの愛」を表すからです。

しかし、私はずっと疑問に思ってきた点が2つありました。

1つは、全108本あるボトルのなかで、これほどに明確に歴史上に生きた人間の名前そのものがついているボトルはこれひとつです。(○○さんのことを表している、という形容詞だったりほのめかしたりするような名前のボトルはありますが)

マスターや、大天使の名前とは別に、実際に生きた人間の名前がこれほどズバッとついているボトルはこれしかないのです。(ちょっとキリストだけはマスターの仲間と見るので別格として)

マスターや大天使たちと肩を並べるようにして唯一採択された生きていた人の名前の採択がナイチンゲール。

マザー・テレサでもキュリー夫人でもジャンヌ・ダルクでもなく、ナイチンゲール。

これが不思議でした。


いや、ナイチンゲールがボトルの名前となるほどの人間かよぉ、という意味の疑問を呈しているわけではありません。

歴史上の数々の人物には立派な方がいっぱいいらっしゃいます。

その功績はナイチンゲールと肩を並べても決してひけをとらないのではないか、と思われる人物がいっぱい。

でも、具体的な名前として採択されているのはナイチンゲールだけ。

それが不思議なだけです。


歴史というものは、ほんの数百年前程度のことでも後世になってその評価が変わってしまったり、新しい文献の登場などでその人物像までもがひっくり返ってしまうことがあります。

なので、実在した人の名前は採択しないほうが妥当だろう、という判断をくだしておくほうが間違いない、と言う気がします。

でも、オーラソーマではそうはしなかった。

しかも奉仕と愛に生きた、という人はほかにもいくらでも存在したように思うのですが、ナイチンゲール。

それはなぜだろう・・・?

ふたつめには、今、「奉仕と愛に生きた」、と言いましたが、もちろんナイチンゲールの生きざまや功績をさほどでもないんじゃないのなんてケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、ナイチンゲールの生涯を調べるほどに、もっと非常に「実務的な見地から改革をしていった人」というイメージが強まるからです。

一番最初に書いたように、ナイチンゲールと言われて私たちの誰もが知っている知識、というのは「クリミア戦争の天使」、「メンソレータムの缶についている赤十字の象徴の看護婦さん」というくらいではないでしょうか。

そしてこのことから私たちはナイチンゲールと言う人が生涯の多くを、戦地という最前線にて負傷兵の看護に当たった人、と思い込むのですが、実際にナイチンゲールがクリミア戦争で戦地に赴き負傷兵の看護にあたったのは2年間だけです。

その後は、国に戻り、戦地の病院の状況分析を始めます。そして数々の統計資料を作成し、改革のために作られた各種委員会に提出しました。

このため、イギリスでは、ナイチンゲールを統計学の先駆者としています。

これによる改革は保健制度のみならず、陸軍の体制のあり方にまで及んだ、と言います。

実際、彼女はイギリスでは、「偉大なる看護婦さん」という顔よりも「偉大なる統計学者」または、「統計学を生かした病院建築設計家」として知られているほどです。

改めて言うまでもなく、オーラソーマはイギリス発祥のシステムです。

ですから、ナイチンゲールの統計学者としての面をわかっていて、ううん、むしろそちらのイメージのほうがイギリスでは強いことをわかっていてこの色の組み合わせのボトルにナイチンゲールと名づけたことを考えると、かえって理解しにくくなってしまうのです。

日本人のようにナイチンゲールのことを、「自らをなげうって戦地の最前線で活躍した看護婦さん」という程度の知識のままのほうがむしろこのボトルの色の意味をすんなりと受け取れる感じです。

そしてもうひとつ「実務的な見地から改革をした人」という面では、彼女がクリミア戦争の最前線で行った看護とは、看護そのものより、「いかに最前線での負傷兵の死亡率を下げるか」という看護のバックヤードに潜む問題の解決でした。

実際に彼女が赴任するまでのクリミア戦争での負傷兵の死亡率は、42%でした。実に半数近くの人がいったん負傷すると亡くなっていたのです。

それが彼女が赴任して2ヶ月後には14.5%、そのまた1ヶ月後には5%にまで改善しました。

兵舎病院での死者は、大多数が傷によるものではなく、病院内の不衛生さによって蔓延した感染症によるものだったことが判明したのです。

それほどまでの改善を彼女はどうやって実行したのか?

まず、1つめにはトイレの徹底的な掃除でした。

その当時は官僚的な縦割り行政のため、軍はナイチンゲールの戦地参入を「うざい奴」と思ったのか、こころよく歓迎しなかったようです。

そこでナイチンゲールは内部調査を試みたところ、トイレの掃除というのがどこの部署の管轄にもなっていないことを見つけました。

そしてそこから参入することによって、自らのポジションを獲得したのです。


これは、やり方として頭いいし、うぅむとうなるほどの文句のつけようがない参入の仕方ですよね。

実際彼女はすごく頭のよい人だったらしく、幼い頃は裕福な家庭に育ったということもあり、贅を尽くした教育を受けたようです。英語はもとより、フランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語などは読み書きともぺらぺらで、そのほかにもギリシア哲学、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、地理、心理学にもたけていたようです。

衛生面のためにほかに彼女が提唱したことには、「病室は間仕切りなしのワンルーム」「患者のベッド1つにつき、1つの窓の必要性」「一番高い位置にある窓は常時開放しておくことで、病室の換気を行う。」などでした。
ベッドの高さやベッドとベッドの間の距離についても、理想的な数値がきちんとした計算によって求められていたといいます。
これらのことは、今の私たちが聞くとなんてことないことかもしれません。しかし、当時にとってみれば画期的なことでした。
そしてすべてが理論とデータの裏づけによって成された、ほんとに彼女は統計学の人だったのです。

ですからつい私などは、「奉仕」とか「愛」とか言われると、目の前に倒れている人や困っている人がいると、とにかく頭で考えるより先に体が駆け寄ってしまう、というような尽くし方のほうを思い描いてしまうのですが、ナイチンゲールはちょっと違う感じですね。

けれど、次の言葉が私をはっとさせました。
ナイチンゲールが自分のことを神か天使のように祭り上げられる人となっていくのを嫌って言った言葉です。
「天使とは、美しい花を撒き散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」

彼女の人生はまさに戦いでした。
人生最初の戦いは、「貧しく負傷した人たちのために尽くす」と決めたときでしょう。
反対する家族を押し切って、彼女はその道に入ることを決めました。
裕福な家庭に育った彼女ですから、何もあえて苦難の道を選ばなくても、もっと楽な人生を送れたことでしょう。
温かいベッドも毛布もミルクもある場所を蹴って、そしてそこにいる一番自分が愛する人たちが反対しているというのにそれを押し切って、冷たいベッドと不衛生で危険にさらされた場所におもむく、というのは並大抵の決意では出来ないことだと思います。

そしてせっかく赴いた場所では全ての人から歓迎される、というわけではなく、軍のお偉いさんから排除されるような目に会う。
でも彼女には強い味方がいました。
ヴィクトリア女王です。
女王は、ナイチンゲールからの報告書が誰の手にも渡らず、直接女王に渡るように、という命令を出しました。
これにより、物事は非常にナイチンゲールの思い通りに運ぶようにはなるのですが、反対に、反感を買い、反目しあう人間を増やしてしまったことも確かです。
のちに彼女の家が「小陸軍省」と称されるようになったのは、多少のそんな揶揄もこめられているのです。

こんな彼女の生きざまから再びボトルに彼女の名前が冠せられた意味を考えてみると、本当の奉仕とは、「人になんと言われようと、どんな横槍が入ろうと先頭にたって進む、という開拓者スピリットが必要なのだ。」ということ、「そしてきれいごとの、気持ちだけの奉仕では何も改善しないし、長続きしない。きちんとした調査に基づき、どこから手を着けたら一番効率的であるかを計画し、そのとおりに実行しぬく力だ。」と思わされました。
マザー・テレサも「奉仕とは、特定の人の自己犠牲にだけ頼っていては、決して長続きするものではない。」と言っています。

最後に、ひょっとするとナイチンゲールが晩年失明した、ということもオーラソーマ創始者のヴィッキー・ウォール女史と重なって、名前を冠することになったのかもしれません、と思ったことを付け加えさせていただきます。

B25
「フローレンス・ナイチンゲール」
「開拓のスピリット、スピリチュアルな知識の探求」。
キーノートは、「神秘家。天から与えられたインスピレーションによって、霊感を受けた人。人に奉仕をすることのなかにある開拓精神」。
アファメーションは、「私は過去を手放し、私があるように自分自身を愛します。」
特項として、*倦怠感や疲労感を伴う病気や頭痛、筋肉痛に。
       *大病や手術後の回復を助ける。
       *神経系統によい。
       *緊急時の緩和。

精神的な面では、もし今あなたが大きな決意と希望を抱いていたのに、身近な人から賛同を得られず気持ちがくじけそうになっているなら、この「フローレンス・ナイチンゲール」とワークしてみてはいかがですか?
きっとあなたに力強い気持ちをよみがえらせてくれますよ。

肉体的な面では、もしあなたが慢性的な疲労感を感じているなら、あるいは大病をしたあとなら、きっとその回復を助けてくれることでしょう。

「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」では、ボトル1本から全国どこへでも送料無料でお届けいたします。

お問い合わせ・ご注文などはお気軽に、chakra@aura-soma.nameまでどうぞ。








オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

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インド貧民層のこどもたち

2010-05-29 07:58:00 | テレビ番組

先日、テレビでショッキングな番組を見ました。

インドのこどもたちがいかに違法で劣悪な状況のなかで働かされているか、という実態です。

私たちはインドという国が世界のなかでもとてつもない人口を誇っていて、それがゆえにというところもあるかもしれませんが、いまだにカースト制度の面影を色濃く残している国だということは知っています。

だから、頭のなかではぼんやりと想像もつかないような金持ちもいれば、また反対に想像を絶するような貧民の人たちもいるんだろうな、ということは思ってはいます。

でも、それはホンモノのビジュアルにはかないませんでした。

インドでは5歳や6歳のほんのこどもが強制労働を強いられています。

貧しいので、親がこどもを売り飛ばす場合もあれば、白昼堂々とさらわれていってしまう場合もあります。

自分の子どもの居場所がわかっても、親も貧しいのでわかっていても取り返すことができません。

ある電車のなかは、そんな子どもと仲買人でいっぱいです。

もちろんそれは犯罪に決まっていますが、取材とわかっている記者が仲買人に「隣にいる子どもはあなたの何?」と聞くと、いちおう、「弟だ。」と答えますが、「弟さんは何歳?」と尋ねると、知らないので適当なことを言います。

では、と隣の子どもに「君は何歳?」と聞くと、全然違う答えをします。

こんなずさんなすぐにバレるような嘘を平気でついて、テレビに映っていても「どうせみんなやっていることでつかまることなんてないさ。」とうそぶいているのかどうか、堂々としたものです。

もし、こどもが「いいか、おまえはこれから俺の弟ってことにしておくんだぞ。」と言いくるめられているのだとしたら、仲買人が「15歳」と言ったら、ほんとうは自分が8歳でも、口裏を合わせて「15歳」と答えるのではないでしょうか。

あるいはこの取材を機に助かるかも、と思えば、わざと仲買人とは違う年齢を言う、ということもあるかもしれません。

でも、もはやそんな思考能力もないのか、どうだっていいや、どうせどこに流れていったって自分の人生、たいして変わりがあるわけはない、と思っているのか・・

この電車にはもちろん、普通のオトナだって乗っていますが、みな、見て見ぬふりです。

そして彼ら子どもが連れて行かれるのは、工芸品をつくる工場です。

私たちがエスニック雑貨屋などでよくみかける、総ビーズをほどこした小さな小物入れだったり、象の置物だったりするアレです。

シルクのスカーフに柄としてラメやビーズをほどこしている子どももいます。


そこは工場とは名ばかりの、コンクリート打ちっぱなしの窓もない薄暗い部屋で、そこにこどもたちはすれ違うすきまどころか、体を動かすこともできないほどの窮屈な状態でおしこめられ、1日12~18時間労働を強いられます。

そして、仕事が終われば商品を片付けて、同じ場所で横になるだけです。

たぶん、この部屋から出してもらっていません。

足が萎えてしまっても仕方がないほどのわずかな動きしか許されていない、という感じです。

そういうところに長時間居続けると、人間の体というのは自然に動きを求めるのか、こどもは、常に小刻みに貧乏ゆすりをしていました。ゆすっている、というよりは、かすかに振動している・・・って感じ。

これが唯一の彼らが「生きている」という証しなのでしょう。

そこに商品に興味があるふりをして隠しカメラで取材している記者に対して、オーナーはトクトクといかに大量の製品をすばやく仕上げることができるからうちと是非取引してくれ、ということを言います。

こどもたちが黙々と働いているその場所で、

「なぁに、通常1日に仕上げられる数は800個だけど、1000個になったって大丈夫さ。寝ずに働かせるだけのことだからね。必ず次の日の朝には納品してみせるよ。」なんてことを自信たっぷりに言うのです。もう、家畜以下の扱いとしか言いようがありません。

こどもたちはすべて無表情です。

もはや感情など失ってしまっているのでしょうね。

できなければ、殴られるだけのようです。殴られて終わりならともかく、殴られたってこなさなければいけない数には変わりはないのです。

ここから3年前にNPO団体によって救出された10歳の男の子は、右目がみえません。

はんだごてをつける作業中に火花が飛び散って目に入り、失明したのです。

右手は機械が落ちてきて、骨折しました。

いまは、骨折した形のままくっついて治ったので、腕が変形してしまっています。

彼がこの事故にあったとき、オーナーは彼の元にすっとんできました。

彼に「大丈夫か?」と声をかけるためにではありません。

その逆です。

「何やってんだぁ! バカやりやがって!!」と負傷している彼をさらに殴りつけ、「大丈夫だから、仕事を続けろ。」と言ったそうです。

なにが大丈夫なの・・?  失明と骨折だよ・・?

でも、これは彼だけではなくて、ほかのこどもも大方似たりよったりの目にあっています。

画面に「手」が大写しになりました。

私は場面変わって、ガンジス川でそのようなこどものために祈りを捧げるマスターのおじいさんのシーンにでもなったのか、と思いました。

しかし、その手は6歳のこどものものでした。

生まれてすぐ0歳からその仕事をしたわけではないでしょうから、いったい、何年でこんな手になってしまったのでしょう。

彼の手は一切の生きる気力を失ってしまっていることを何よりも雄弁に物語っていました。まるでひからびたミイラのようでした。

衝撃のシーンが次々と繰り出されました。

救出されたこどもが記者とカメラの前で、「ボクはこのあたりでさらわれたんだよ。」と話しているそばから、急に見知らぬひとりの男がその男の子の手を引っ張って、あらぬ方向へ連れ去ろうとしました。

もう一度言いますが、記者とカメラがある前で、ですよ!

何が起こったか、というと、その男は男の子とは初対面で無関係でしたが、やはり同じような工場を経営しているオーナーで、なにやら自分の工場の内実を暴露されて悪口を言われている、と勘違いしたらしいのです。

必死に記者が男の腕をとり、誤解であることを説明し、男は憮然とした表情で男の子の手を離しましたが、こんなことがまかり通るということは、いかに白昼堂々連れ去られる子どもが多いか、ということの証明でもあるな、と思いました。

この番組の記者とこどもを救い出そうというNPO法人が、悪質な工場のオーナーを摘発しようと警察とタッグを組んで、ガサ入れをしました。

しかし、これとて警察もそでの下をもらうことによってオーナー側とグルになっている人が結構いるらしくてあまり信用できないんだとか・・

実際、ガサ入れで踏み込んだら、どこから情報が漏れたのか、こどもはもぬけの殻で、オトナだけが「何か?」ってしゃあしゃあと居た工場もありました。

この摘発で救出されたこどもたちはみんな一様に「救出された」とは思っておらず、泣いて見逃してくれ、と懇願します。

なんでもオーナー側から毎日コンコンともし俺以外のオトナが踏み込んできたら、そいつらに腎臓をとられるからな、と脅かされていたらしいのです。

・・・それも確かに本当にあることのような気がします。番組では今回そういった闇内臓取引のことについては触れていませんでしたが。

ここで初めてこどもらしい感情をみました。

初めてみた彼らの涙が、誤解による命乞いの涙だったということがまた悲しいことでした。せめてここではうれし涙を見れるのかと思っていたら。

インドでは一応、就労年齢に達していない子どもを働かせてはいけない、雇ってはいけない、という法律はあるのです。

そして、政府が「ここの工場は大丈夫ですよ。信用できます。こどもを働かせては居ません。」という証明書を発行しています。

でも、インドではそんなものはわずかばかりのお金を使えばいくらでも手に入る、というのが実態だそうです。

こういったみやげ物の雑貨を作るばかりではなく、鉱山で一家して働いているこどももいます。

他には一切なにもない石材の山のなかで、大きな石をレールの敷石になるようなサイズにひたすらツルハシとトンカチで割り、サイズを整えるのが仕事です。

そこは遠くから撮影しても、細かい粉塵が空気中に散乱しています。

聞くところによると、ここでの平均寿命はなんと40歳だそうです。

ここで生まれ、4,5歳から働かされ、ひたすらカチカチと石を割るだけで人生終わる、と言う人も多そうでした。
いったい何のために生まれてきたのか・・・ 虚しさと行き場のない怒りで涙があふれました。

番組ではこういう違法な工場でつくられたものだ、と知っていて取引している海外の大手企業などを実名で摘発する、ということを目的としていたようですが、あまりにも問題が根深くてそれだけではどうしようもないことのように思いました。

もちろん、小さなことからコツコツとメスを入れていく、ということが大切なんでしょうが、この番組を見た直後では、とてもそんな気持ちにはなれずに放心してしまいました。


番組はものすごく手間もかかっているし、真摯な姿勢で貫かれていました。

こんな良い番組がどうして深夜の0:00過ぎにしか見られないのか。

たまたま私は目にして、もう寝なくちゃ明日の朝に差し支える、と思っても、目が釘づけになってしまい離れられませんでした。

これがゴールデンタイムに見ることができたら、もっと大きな反響を呼ぶでしょうし、大きな力となるかもしれないのに。

少なくとも私は、これからmade in Indiaのアクセサリー雑貨などはちょっと買えないな、と思いました。

こういう子どもの不法労働にかかわっているかもしれないものは不買行動を起こすことによって協力しよう!とかそんな高邁な思想に基づくものではありません。

もう、ただただ気持ちが萎えてしまって・・・

今まで、そういうエスニック雑貨屋さんを覗くのは結構好きでした。

そして、「安いねぇ! やっぱり、インドはまだ人件費が安くてすむんだねぇ。」なんてきゃっきゃっと友だちと「いい買い物しちゃったぁ。」と喜ぶ気にはなんだかなれない、というだけのことです。

今日のお話はこのテレビ番組で私が見たこと、を事実のままお伝えするだけで精一杯です。

わたしのなかでもまだ未消化のままで、どう気持ちの整理をつけてよいのか、自分としてはこの番組から何を得ればいいのかわかりません。

ここから教訓を、なんてえらそうにいうこと事態があの子供達を思うとなんと不遜なことか、と思えてきます。

ただあの子供達のために祈りたいと思います。

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再びパステルアート

2010-05-28 07:55:00 | 身辺雑事

さて、昨日のつづき、パステルアートで描いた絵をどんどんご紹介していこうと思います。

誘導瞑想が終わってからは、先回のときと同様、どんどん描きたいものが自分のなかに沸き起こっているので、その気持ちのままに無言で何枚も何枚もひたすら描いていきました。

4人がひたすら絵に没頭している静寂の世界・・

不思議な感覚です。

4人も(先生も含めて5人)いるのに、とても静謐なときが流れます。

そして自分勝手に自分の世界にだけ没頭しているようでいて、そこにはちゃんとシンクロが起こっていたりする・・

「光の天使」を描いたあと、私が次に描きたかったものは、どうしてもラハシャのコースで最後の瞑想をしたときに私がみた光景。

ビジュアルで残しておかないとそのうちイメージが色あせてしまいそうで・・・

どうしても残しておきたかったんです。

それは「ラハシャ博士のカウンセリングスキルコース 5」でも描きましたが、マゼンタの蓮の花の上にたゆたってひたすら気持ちよさげにしているわたしです。

そこは滝つぼか何かのようで、周りの岩肌は滝の水分で湿っているために苔むして一面グリーンでした。

ひたすらグリーンとマゼンタの世界・・・

Photo_4 それがこの作品です。タイトルは「瞑想」。
・・・桃太郎か一寸法師じゃないか、って?

ちが~う!!

この絵を描いて、先生に渡したとき、先生が「はっ」とされました。

なんだろう?と思っていたのですが、あとで理由がわかりました。

先生がラベンダーの香油を垂らしてくださって瞑想したのですが、それにはなんだかイメージをカードにしたようなものがついているらしいのですが、それと私が描いた絵がそっくりだったらしいのです。

またシンクロです。

Photo_5 そしてその次に描いたのがおとといブログでもアップした白山連峰です。

そのときにも書きましたが、雲は入道雲でもう春~夏、手前のグリーンは明らかに新緑のグリーン、なのに、白山だけがてっぺんに雪をいただいたまま、冬山としての厳しさを残している、というそのコントラストを描きたかったのです。タイトルは「ふたつの季節」。

そのとき、「白銀の世界」とはこういうことを言うのか!と感動しました。

ほんとうに頂上のあたりの雪が残っているところが、初夏の日差しを浴びて、白ではなく、銀色に光って見えたからです。

でも、パステルに「銀色」っていう色はないし、光る色もない。

できることは、光っているかのようなきらめきを表現することだけ。

    ・でも、そこまではできませんでした。


でも、嬉しかったのは後で全員で絵をシェアしたときに、「うたたね」さんが、私のこの絵を見たときに、「あ、白山だ、って最初っから思った。」と言ってくださったことです。

通じたんだぁ~と思いました。

Photo_6 次は、もっともっと「グリーン」を描きたくなりました。

そして思い出したのが、数日前に見た、パステルアートの先生のブログにUPされていた写真でした。

それは、こんもりと茂った木を下から見上げたときにその木々の間から強烈に差し込んでいた太陽の光でした。

よし、あれを描こう、と思いました。タイトルは「木漏れび」。

グリーンが描きたいと言いながら、なんて大きなインカネーショナルスターのような黄色なんだ、って感じですよね(笑)

先生が、「次のを最後にするね~」と一言。

さて、2枚続けて風景画を描いたので、最後はもう一度心象風景というか、テーマ性のある現実ではないものを描きたくなりました。

今の私のテーマというか、ずっと心にある言葉。

それは「ワンネス」。

最後には、「われら動物、人類はみな兄弟」という畑正憲ではありませんが、獰猛な肉食獣と草食獣、4本足の動物と鳥類などがみな仲良くしている、という様子を描こうと思いました。


Photo_7 頭のなかにはもう、その絵は出来ているんです。

ライオン、キリン、猿、サイ、馬、犬、猫、孔雀、オウム・・・いろんな動物がいっぱい記念写真のように並んでちんまりと収まっている感じの絵が描きたかった。

だけど、時間とスペースと左手という限界により、2頭と1羽しか描けませんでした。

Photo_8 終わったあとは「うたたね」さんが持ってきてくださった、焼き菓子と「みき」さんが用意してくださったハーブティーでリッチなお茶をしながら、みんなでシェアしました。

Photo_9 左から「みき」さん、「セレナ」さん、私、「うたたね」さんの作品です。

こうして並べるとほんとにカラフルでステキでしょ。


これから回を重ねても、あまり技巧に走らずにパステルそのもののほんわかとした良さを生かし、心のおもむくままにどんどん描いていきたいな、と思いました。

そして自分の心もより「オープンハート」になって、どんどん自分を解放していきたいものです。







オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

刻々と予約状況が変わるため、まずはメールにてご希望の日時をお聞かせください。

場所は、名鉄岐阜駅から徒歩5,6分のところです。(駐車場1台分有)

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「オープンハート」

2010-05-27 07:55:00 | 身辺雑事

さてさて、再びパステルアートに行ってまいりました。

「再び」と言いますか、このコースは10回以上続くはずですので、今後、「みたび」「よたび」「ごたび」・・・となる予定でございます。

え~・・・ もうごめんだよ、という方、そりゃ、みえますわね・・・

でもっ!

めげることなく載せるのだ。

ほんのわずかな少数の方からは、「次の絵が載るのを楽しみにしていますよ~☆」というお言葉も頂いておりますので、その言葉にすがるようにしてUPしたいと思っております。どうかご容赦を。

10回+αだったかな? 習いますと、準インストラクターという資格がいただけ、教えることができるようになるみたいなんです。

そのあと、正規インストラクターの道へとなるわけですが、準インストラクターで教えることができるなら、「準」と「正規」はどう違うのだろう・・?と思うのですが、今んとこ私はまだそんな質問をする気もなく、ひたすら自分が楽しいだけなんで、まだそんなことは先でいいです。

でも、確かにパステルアートが左手で、しかも基本は道具を使わずに指に直接パステルをつけ描く、ということがとても右脳開発によい、という点でめちゃオーラソーマともつながり興味深いと思っていますので、いずれはパステルアートそのものだけ、となるかどうかはまだ未定ですが、是非ともオーラソーマや他のものと絡めて私だけのオリジナルのコースが開催できたらいいな、と思っている次第です。

さて、今回お邪魔いたしましたのは、名古屋市北区柳原にあります「Gemutlich」というちょいと難しい名前のホリスティックビューティサロンさんです。

入ったら、玄関にいきなり「大天使ヨフィエル」のアークエンジェロイエッセンスが!

ハートの番人のヨフィエルではないですか。

もうびっくりして、「え! オーラソーマやってらっしゃるんですか?」と思わず聞いてしまいました。

サロンの主宰者であるみきさんは、「ううん、私じゃないの。でもボトルも持っているわよ。」と76「トラスト」を見せてくださいました。

そっかぁ。つながるなぁ。

Gemutlich」は、「ゲミュートリッヒ」と読みます。

ドイツ語で「心地よい空間」というような意味だそうです。

私はこれはドイツ語かな~?までは見当をつけましたが、「ゲマトリッヒ」と読むのかな?と思っていました。

そしてそれは少し前にUPした「偉大なるヘブライ語」でご紹介したカバラ数秘と関係のある「ゲマトリア」(数値等価法)と何か関係しているのかしら? だとしたらまたシンクロだわ!と思いましたが、残念ながらそれは違っていました。

でも、今回もすごくいろんなシンクロが起こりました。

例えば、絵がとても似ていたり、逆に絵はちっとも似ていないけれど、テーマが同じだったり・・

ほんとに不思議ですね。

こういう場所には必ず同調が起こるという証拠です。

まず最初にこの前と同じように、今日の自分の名前を決めます。

私は迷わず「オープンハート」としました。

なんかラハシャに行ってからハートのゲートががほんのちょっぴり開いたような気がするからです。

玄関先で「ヨフィエル」に出会ったことも関係していたかもしれません。


そうそう、あれから私はやたら「グリーン」なんです。

ポマンダーも「エメラルドグリーン」、クイントエッセンスも「ジュワルクール」、カラーエッセンスも「グリーン」とやたらグリーンずいちゃってます。

好きな香りか?って聞かれると「好き」っていうのとはちょっと違う・・・って感じなんですよね~

でも「グリーン」がかぎたい。

グリーンのなかに身をおいていたい。

なんなんでしょうね~  不思議です。

またあとでご紹介しますが、私が今回描いたパステルアートも、あとで気付いて見てみるとやたらグリーンが多用されていました。

そういえば、私は時々胸のみぞおちの辺りに神経痛のような痛みが走ることがありました。

勘としてわかるんですよね。これは何か内臓疾患系とかの重要な病気が潜んでいるわけではない、ってことが。

で、しばらくすると確かに跡形もなく消えるんですが、たま~にまた顔を出してくる。

これを私は、(あぁ、ハートチャクラが縮こまっちゃってるんだな)と思っていました。

それがここんとこ、ポマンダーやクイントエッセンス、カラーエッセンスなどでグリーンを多用するようになったら、起こらなくなったんです。

皆さんも病気じゃないけど、なんとなく不調と言うサインは、チャクラが縮こまっちゃってるか逆にぼや~んとくすんで大きく広がりすぎているかで起こっている可能性がありますので、そんなときはその不調な肉体の位置に対応する香りをかいだり、カラーエッセンスを垂らしたお水を飲むと緩和されるかもしれませんよ。

今回は、いきなり一番最初に誘導瞑想が行われました。

そこで先生が後から「今日始めての試みなの。」とおっしゃいましたが、ここでも香りが使われました。

非常に精度の高い、ラベンダーの香油を手のひらに3滴ほど落としてもらい、それをこすりあわせてかぎながら、誘導瞑想のナレーションを聞きました。

すると不思議なことに、ナレーションの内容そのものは先回とさほど変わるものではなく、やはり太陽の光が・・というような光を感じさせるものだったのにも関わらず、世界観が広がりました。


先回は「太陽の光」といわれたら、そのまま太陽を思い浮かべ、太陽光を思い浮かべ、太陽光が降り注ぐのに似合う場所といえば、という場所を思い浮かべ、と言う感じだったんですが、今回は香りをかぎ、すべての五感器官がとぎすまされていたせいでしょうか、より抽象的なものとしてスムーズにそれを味わうことができました。

抽象的になる、ということが世界観が広がるということなの?と思われるでしょうが、私的にはそんな感覚がした、ということです。

「太陽」だから「太陽」を思い浮かべ、というビジュアルの視覚だけを使う、ということではなくて、光を肌で感じ、耳で感じ、舌で味わった、という感じでした。

その結果、出てきたのはやっぱり「天使」・・・。

後光が射すほどのまばゆい光の柱を受けた天使が天界に向けて羽ばたいている、というようなイメージ。

しかもそれは人間の風貌をしている、とか中性的だ、とかいっさいなく、カラダそのものが蝶のように細く、マッチ棒のような天使でした。

その天使が翼だけはわっさわっさと広げて、すーっと次元上昇していく、って感じなんです。


Photo_3 そして、その瞑想が終わってからすぐさま描いたのがこちらです。

何だか私が描きたかったものは、こういう正方形のなかじゃ収まらないのよ、という気分になっていたので、なるべく画面を広く使えるように斜めに描いたのですが、結局、天使の羽根というものは、先っちょまでを描かないとなんのことやらわかりませんね。

瞑想と同じく非常に抽象的で、幼稚っぽい絵となってしまいました。

さて、それ以外の絵は明日、ご紹介いたします。

乞うご期待!

え? 誰も期待はしていませんよ、って?  ・・・わかってますけど。


                  

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