ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

タロットで作る自分のストーリー3

2014-05-31 09:03:00 | オーラソーマ

 

さて、昨日は自分が選んだ4本セレクションのボトルリーディングで、ボトルに対応したタロットの方から考えてみるということをほんの10分ほど行うだけでもすごく気付きがあった、ということを書いたのですが、きっと時間をもっと長くすればもっと掘り下げられることでしょう。

 

そして私は幸運なことに、そのさらに掘り下げる機会を与えられました。

 

先生がそのあと私が選んだボトルについてもう少し深く見てみよう、という題材として取り上げてくださったのです。



先生は、

 

「さぁ、じゃあ恵津子さんが一番パッと目に飛び込んだ、というオーラソーマタロットカードからもう1度見ていこうか。

 

1番目のタロットカードからはどんなことを感じる?」

 

とおっしゃいました。140526_144401

 

私は、

 

「う~ん、この氷のなかにいてラッパを吹こうとしているのが私だ、っていう気がします。

 

そして外からノミでそれをかち割ろうとしてもらわないと私はここからいつまで経っても抜け出られないし、ラッパも吹けない・・・

 

全部割ってもらわなくてもいいから、少しどこかだけかち割ってくれれば、あとは内側からウムムって力を入れて割ることができると思う。

 

でも最初は外側からの刺激がほしい・・そんな感じ。」

 

と言いました。



不思議なものです。

 

何か具体的な事柄を思い浮かべて、わざとそれをオブラートでくるむように抽象的に言っているつもりはないんです。

 

ただただこの寓画を見ているとそんな気がしてくるだけなんです。

 

でもそれが何か自分の内側にあるものを象徴しているんでしょうねぇ。

 

私は何かを外側に向かって表現したい。

 

でも自分から殻に閉じこもってしまってそれができない。

 

それを打開するには何かしら、外側からの刺激がほしいと願っている・・

 

そんなことでしょうか。

 

そしてそれはこの絵を見なければ吐き出す機会はなかった、と思うとその共時性には目を見張るばかりです。



「そうなんだ・・」

 

それ以上、先生はとくに何か解説を加えようとはなさいませんでした。



「ほかには?

 

さっき、マルセイユタロットのほうのこの1番目のボトルの対応である『運命の輪』が気になる、恐い感じがする、って言ってたよね?」140526_144501_2

 

と先生はおっしゃいました。

 

続けて先生は、

 

「どうして恐い感じがするんだろう? 

 

ここには輪のなかに入っているわけではなく、その外側から見ている輩もいるというのにね。」

 

とおっしゃいました。



「・・・!!」

 

私はもう1度カードを見て、初めて気付きました。

 

そう、車輪ではなく、車輪の上の板の上に載っている悪魔みたいな猿みたいな奴は確かに車輪に巻き込まれているわけではない。

 

けれど私は全くそこには目がいかなかったのです!

 

別に絵がそこだけ小さいわけでもない。

 

むしろ真ん中に堂々と描かれているというのに!

 

それは私がこの車輪とそれに巻き込まれている(張り付いている?)者、というところしか見ていなかったからでしょう。

 




オーラソーマタロットでは「OUTWARD JOURNEY」と「RETURN JOURNEY」とのタロットが一対のようになっていて、この「運命の輪」の「RETURN JOURNEY」では確かにこのように、運命に翻弄されるがごとくの渦をもうすでに外側から眺めている人間がいます。140526_160601

 

でもふつうのタロットでは「OUTWARD JOURNEY」や「RETURN JOURNEY」というカードがあるわけではない分、むしろ今回の私のように1枚のカードの中から何が気になった? 何をそこに見た? というのは面白いように思いました。



“見えた”“感じた”ものが今の自分とシンクロしている、という捉え方からその人自身を掘り下げていく地味な作業に加え、“見えなかった”“気付かなかった”ものに目を向け、実はそんな恩恵もあったんだ、と気付く作業もまた面白いものです。

 




私は「運命の輪」を恐れていたけれど、自分が見えていなかったものに目を向ければ何も恐れることなんてない、むしろ祝福されているんだ、ということに気付いたわけです。



「さて、そのほかに目を向けて気になる絵はある?」

 

そう言われて私が「これ」と指さしたのは、3番目のカードのアドバイスカードでした。140526_161201

 

実は私が持っているこのカードはウエイト・ライダー版でもちょっと特殊な「ゴールデン・ライダー版」というものでゴールド部分のマットな色付けがいい雰囲気なのですが、絵としてはこちらの方がわかりやすいと思いますので、オーソドックスなウエイト版のタロットを掲示しておきます。O0211036212134398081

 

これを見て私は、

 

「私はこのおじいさんみたいな人。門の中で楽しそうにしている2人を見てなんだか穏やかでない気分。

 

犬も私に吠え付いている。

 

またこの子供がいや~な目で私を『誰なの? あんた?』みたいに見てる。」

 

と言いました。

 

「ふぅ~ん。この門は何なの? どうして恵津子さんはこの2人のように入っていけないの?」

 

「いや、これは私の屋敷の門で入っていけないはずはない。

 

でもなんだか無言の結界を敷かれているかのように入っていけない。

 

自分でためらっているだけなのかもしれないけれど・・」

 

「では、この子どもというのは誰?」

 

「世間一般の人たちのことかな。」

 

・・・と進めていくうちに、

 

「あ~、もうわかりました!」

 

と私は言っていました。



この子ども(今回の場合世間一般の人たち)がいや~な目で見ている、と思うのは私だけであってほかの人はこの子どもの目をそんな風には思わない。

 

でも勝手に私だけが、「え? そうじゃないの? 誰が見たって、これはいやらしい視線じゃないの?」と思っていたというわけです。

 

自分の我を貫き通すことが多いと思っていた私の性格だけれど、私と言う人間は(今回に限ってかもしれないけれど)意外にも世間体とかを気にしていた、というわけです。

 

それに対して心当たりがありました。

 

だからもう「ここで結構です。」と言ったのです。



プラクティショナーの方なら、経験がおありではないでしょうか。

 

自分ではまだまだリーディングが続くと思っていた矢先(まだ全てのボトルのことをお話ししてないじゃないの、なんてね。)、クライアントさんのほうが、

 

「あ~、そうか! わかった。もういいです。」

 

と唐突にセッションを強制終了のようにさせてしまう、というような経験が。

 

私にも、もちろんあります。

 

こうなると「え・・ ほんとにいいの?」と思ってしまうのですが、まだ自分が喋ろうと思っていたことをどうしても言っておかなくては、なんて思うのはプラクティショナーのエゴにすぎないのでしょうね。

 

今回私は自分がクライアント役をやってその感覚が初めてわかりました。



この、自分で気づいた、という感覚。

 

それに対してもう1ミリの隙間から漏れるしずくさえ入れたくない、って感じ。

 

逆に言えばそれを受け入れたら、まだまだ私はまた「え? そういうのもあり?」みたいに揺れてしまうあやうい状態ではある。

 

でも自分が「これでよし!」と得た感覚を信じたいので、そしてそれを家に帰ってから、明日からのなかでワインのように醸成させたいので、ここはもうこれ以上の言葉は不要です、っていう感じなんですね。

 

この感覚は私にはとても新鮮な体験でした。



あ~、面白かったわぁ、タロット!

 

っていうか、厳密にいうと、タロットというイメージ画から掘り下げる自分が。

 




もう1つだけ・・

 

おまけのように語りたいことがあるんですが、またまた長くなってしまいましたので、それは明日に取っておくことにいたしましょう。











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タロットで作る自分のストーリー2

2014-05-30 09:05:00 | オーラソーマ

 

さて、昨日は選んだイクイリブリアムボトルの4本に対して、普通に色だけでコンサルテーションしたら・・ こんな感じ。

 

そしてそのボトルに対応したタロットカードを並べてみたらこんな感じ、というところまで書きました。

 

今日はその続きです。



私がこれだけのタロットカードを目の前に並べられて、

 

「どれでもいいから、まずはパッと目に留まったもの、一番気になったことを言ってみて。」

 

と言われて発したのは、やはり一番絵が微細に描かれているためか、オーラソーマタロットの絵柄のことでした。

 

「この2番目に描かれている人と、4番目に描かれている人(ここでは大天使ジェレミエルとマハコハンのはずです)が、なんだかネイティブ・アメリカンみたいに見えるなぁ、って思いました。」140526_144302_2

 

と言いました。140526_144303

 

内心、(こんなくだらないこと言っちゃって大丈夫かなぁ?)と思いました。

 

こんなこと、さすがに何にも関係ないよねぇ、って。

 




するとペアを組んでくれた人は、

 

「ネイティブ・アメリカンに象徴されることというのは、『伝統』とか『土着の文化』というようなことだと思うから、なにか今恵津子さんは、そういうものを大切に考えていて、でもそこに囚われすぎていることもある、って感じなのかな。

 

でもそこから取捨選択したなかでまたそれを生かす、ということもしていくのが恵津子さん、って感じがするなぁ。」

 

とおっしゃったのです。

 

ドキッとしました。

 

的を突かれている、という感じがしたからです。

 




ボトルに対応するオーラソーマタロットをさらりと眺めただけで、自分の中からするっと何気に出てきた言葉。

 

それが自分の本質やらいま囚われていることを示唆しているなどとは思いもよらなかった。

 

けれど共鳴というのは恐ろしい・・

 

たったこれだけのことなのに、ボトルの色からのメッセージを補うべくことが掘り出されようとは。



具体的に言うと、私はいま、オーラソーマ界のなかにいることが窮屈に感じるときがあって、でもそこから恩恵を得ていることももちろんあって、だからいったい何を取捨選択して、何を自分のなかで割り切っていけばいいのかがちょっとわからなくなっている、という感じがしているのです。

 

それを見事に言い当てられた、という感じがしました。



「それから、ほかには?」

 

そう尋ねられて私が次に語ったのは、1番目のマルセイユタロットカードです。140526_144501

 

これは、「FORTUNE OF WHEEL」(運命の輪)、です。

 

「これがなんだかとっても不気味に見えて・・

 

何もこの輪に縛り付けられているわけではない、この輪から離れようとすればいくらでも離れられる。それなのに、どうしてここに描かれている奴らはこれにしがみついているんだろう・・?

 

それが何だか自分を表しているようで・・」

 

と言いました。



実は、皆さんご存知でしょうが、タロット占いでは「正位置」「逆位置」とで意味がまったく逆になってしまうんですね。

 

このときは、せっかくだから出た位置のまま並べてみようか、ということでやっていました。

 

それでいくと私はこの1番目と3番目のカードが逆位置だったのです。

 

そして逆位置に出たものに対しては、もう1度残りのタロットデッキをシャッフルしてカードを逆位置に出たカードの枚数分、クライアント役が選び、そしてそのカードを逆位置に出たカードのアドバイスカードとして使う、ということをしました。

 




それによると私はこの逆位置に出た1番目の「運命の輪」のカードに対して、「TEMPERANCE」(節制)を選んでいました。140526_151601

 

なので、ペアの方は、

 

「う~ん、それに対する対処としては、バランスを考えてやっていけ、ってことでしょうか。」

 

とおっしゃいました。



この言葉自体が目新しいわけでもなければ、私の中にこれまで浮かんだことがなかったキーワードというわけでもありませんでした。

 

けれども、「やっぱり・・・!」という感じはしました。

 

私という人間は何かにつけ極端なところがあり、「白か黒か」「YESかNOか」はっきりしたい、と常々思っています。

 

グレーゾーンってやつが苦手なんです。

 

だから自分が何かを選択しなければいけない局面に立たされているときにも、それが例えば「ブルー」という局面に立っているときであれば、真逆の「オレンジ」にまっすぐに行ってみよー、という選択をしがちなところがあるのです。

 

間にはグリーンもイエローもあるのにね・・

 

ブルーを0%にしてしまう必要はないのかもしれないのにね・・

 




「わかっちゃいるけどやめられない。」というスーダラ節(えぇえぇ、ご存じなくてかまいませんとも。←開き直り)のように、自分が危うい選択をしようとしているのではないかと疑心暗鬼になったとき、「ほら、やっぱりね。」というアドバイスが出ると「わかってはいても、なるほど。」と人は思うものです。

 

そして少し立ち止まってもう一度考えてみようかな、という気にもなります。

 

長く立ち止まっている者が最善の道を選ぶわけではないでしょうが、私のように選択や決断に時間をかけることが嫌いな人間には、わかってはいてもタイミングよく繰り出されるアドバイスというのはやはりありがたいものなのです。



さて、これはたった10分ほどのコンサルテーションの練習で起こったことですが、これだけでも私には相当な財産でした。

 

しかし、さらなるギフトが私に与えられることになったのです。

 

それは、

 

「ハイ~、そろそろ時間だから終わりましょうね。」

 

と先生がおっしゃったあと、私が選んだ4本を題材にして、もう少し深くみていくデモンストレーションをみんなの前で行おう、ということになったのです。

 

なんてラッキー!

 

そこで私は更にこのタロットが、私の中に深く沈殿していたものを再び表面に浮かび上がらせてくれるものを目の当たりにしたのでした。

 




・・・というところでまたこれ以上書くと長くなってしまうという分量になりました。(ってか、すでに長いんだよ。)

 

というわけで、先生のコンサルテーションについてはまた明日!











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タロットで作る自分のストーリー

2014-05-29 09:03:00 | オーラソーマ

 

今回のマルセイユタロット基礎講座では、一番最初のときに私たちは“妄想族”になりました(笑)

 

タロットの瞑想を聞いたあとにそこから受け取ったインスピレーションを絵にしたり、言葉にしたり、ほかの人の絵を見てそこから感じたものを言葉にしたり・・

 

そしてその“妄想族ごっこ”の最後には、1人ひとりが描いた絵をつなげて自分でストーリーを創作したり・・

 

それは実に楽しいひとときでした。

 

私はそれをまさに“ごっこ”、つまりこれから始まるタロット講座のためのウォーミングアップのようなものだと思っていたのです。

 

しかし、実はそれこそが最終形でもあったというか、私にとっては今回で一番のギフトでした。



地道に大アルカナのタロットを1枚ずつ解説していく講義もあったのですが、それは一方的に先生が、

 

「いい? このカードはこう読み解くのよ。」

 

というものではなく、昨日も書きましたが、受け取り手の中にあるものを顕在意識に引っ張り上げるためのものでした。

 

つまり、生徒である私たちに、

 

「このカードを見て、どこが一番パッって目に飛び込んできた?」とか、

 

「これが何に見える?」などというように、

 

先生は私たちからその内側にある答え(=その人にとっての答え)を引っ張り上げようとされたのです。

 

ですから、1枚1枚には当然かなりの時間を費やしましたし、これもまた楽しいひとときでした。

 




そんなとき、先生がふとこんなことをおっしゃったのです。

 

「ボトルに対応したタロットカードをその人の前に置いただけで、勝手にクライアントさんが話してくれることがあるからね~

 

あ、ここに書かれているのはお姑さんだわ、とか、喧嘩しているようにみえるけれどこれは私と妹に違いない、とかね。

 

そう見える、ということはその人の意識がそこにフォーカスしている証拠だからそれでいいのよね~

 

そこから話を展開させていくことができるじゃない?」と。

 




プラクティショナーの前でクライアントが自分の今置かれている状況や問題などをどれだけ具体的に話すか、はもちろんクライアント次第です。

 

プラクティショナーが、

 

「できるだけ具体的にお話しください。」

 

と言うことはしません。

 

どちらであっても最良の起こるべきことが起こるのですからいいのですが、早い時間帯に具体的なお話しをしてくださるとプラクティショナーとしては、数あるその色のもつメッセージの中から一番フィットするものを絞り込みやすい、という利点はあります。

 




けれどそうはいったって、いきなりの自己開示が得意な方と、そうでない方というのはいらっしゃいますよね。

 

別に「そんな具体的なことまでは話すもんか。」と扉を閉じているわけではないけれども、なんだか「実は・・」と自分から開示していくのはちょっとためらっちゃう、というような方。

 

そんなとき、そこにタロットカードというビジュアルが存在すると、人は何かしらは感じることがあるので、

 

「やだ。この意味は知らないけれど、なんだか怖い絵ね。」とか、

 

「まるで今の私の状況にぴったりのような気がするわ。」とかいうようなことは言いやすい、ということがあると思うのです。

 




そういうことにこのタロットカードを使うのはナイスだな、と思いました。

 

昨日も書きましたように、私はタロットだけで占うことができる占い師になりたいというつもりはないからです。

 

ちなみに講座(講座はあくまでワークショップで、オーラソーマのシェアリングデー対応ではありませんでしたが)では、その日に選んだオーラソーマの4本ボトルセレクションからペアを組んで通常のコンサルテーションをしたあとに、そのボトルに対応したタロットカードを置いてみて、今度はそのタロットカードを中心にコンサルテーションを再び繰り返す、ということをしました。



例えば、この最後の日に選んだ私の4本セレクション。140526_141001

 

1本目・・・・B68「ガブリエル」

 

2本目・・・・B108「大天使ジェレミエル」

 

3本目・・・・B44「ガーディアン・エンジェル」

 

4本目・・・・B62「マハコハン」

 

相変わらずブルー系、それもターコイズが多いなぁ・・・

 




これを色からだけ見てコンサルテーションするとさしずめこんな感じでしょうか。

 

「あなたはスピリチュアルな洞察力がある方ですね。

 

しかし、今何かにこだわりすぎているものがあって、何を取捨選択したらいいのか、自分の進む道に迷ってしまっているのではありませんか?

 

自分の源に正直になれば、すぐにもあなたらしい個性化の道が開けているのですよ。」

 

・・・ってな感じ。(※これは、私が私を自己コンサルテーションしているのでこんな感じがフィットする、ということになるのであって、あくまで色のメッセージに準ずるのではあっても、まったく同じボトルのラインナップを選んだ方がいたとしてもまたその方のコンサルテーションでは同じ色がもつ別のメッセージなどが選択されて十人十色になるはずだ、とは思いますけれども。)



さて、このボトルに対応するタロットをその下に並べてみます。140526_144201

 

上からオーラソーマタロット、ウエイト・ライダー版タロット、一番下がマルセイユタロットです。

 

壮観ですね~!

 

そして、今度はボトルを見ずにこのタロットカードだけを見たらどんなことを思う?というコンサルテーションをしたのでした。

 




そこまで書こうと思ったのですが・・・

 

そこまで書くととっても長くなってしまいそうですので、それはまた明日に回しますね。

 

いや、別にもったいぶってるわけじゃないんですけれども。

 

書いてるほうはいいんですが、皆さんあまり長くなるのもお時間とらせてしまいますのでね。

 

また明日、ぜひお会いいたしましょう!

 







 

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タロットに対する概念が一変!

2014-05-28 09:02:00 | オーラソーマ

 

22日より3日間、東京は用賀のレゾナンスさんでマルセイユ・タロット基礎講座を受けてまいりました。

 

レゾナンスさんではありますが、今回は先生はマリア先生ではありません。

 

横浜は、「Angele‘s Powder」http://angelspowder.com/の清水ツタコ先生に習いました。(清水先生、オーラソーマ以外にも実に手広くいろいろと行ってみえる先生なんですねぇ! 私もHPを見て初めて知りました。え~、何なに、それ!? とか面白そうな講座がいっぱいありますよ・・ ぜひ、一度ご覧ください。)

 




さて、この講座を申し込んだのはずいぶん前なのですが、なぜかそのとき、「マルセイユ・タロットってなんじゃ、それは???」状態だったのにもかかわらず、「マルセイユ」という響きが美しくて、「この講座を学ぶことにより、コンサルテーションに深みが増します。」なんてキャプションにも惹かれ、すぐさま申し込んでしまったほどでした。

 




もう1つには、オーラソーマのレベル3で生命の樹およびオーラソーマタロットを学ぶのですが、授業ではタロットについては大アルカナにしか触れません。

 

(レベル3の教科書にはほんの少し小アルカナについても触れられているので、先生によってはそこをきちんと教える方もいらっしゃるかもしれませんが、まずはすっ飛ばすことになるパターンが多いと思います。)

 

コンサルテーションに生かすとなれば、学んでいない小アルカナのことも多少は知っておきたいと思っていたら、この講座では「少し、小アルカナのことにも触れます。」とのことでしたので、余計に「よし!」ってな感じだったわけです。

 




さて、マルセイユタロットってなんぞや?ということなんですが・・

 

一言でいうならば、タロットと言えば、とみなさんがよくご存じのウエイト・ライダー版タロットの原型となったものです。

 

絵に関しては好みが分かれるようですが、シンプルでウエイト・ライダー版より書き込まれていないぶん、純粋に読み取れるという感じもします。140526_134301

 

そしてウエイト・ライダー版とは微妙に違うところもあります。

 

例えば8番と11番が入れ替わっているとか、愚者は「0」ではなく、番号が与えられていない、とか・・

 

オーラソーマタロットはおおむねウエイト・ライダー版に準じて作られていますが、マルセイユタロットに準じている部分もあったりして、両方を取り入れているようです。(どのようにこれはウエイト・ライダー版を取り入れよう、これについてはマルセイユにしよう、と振り分けたのかは謎ですが・・)

 

ならば、オーラソーマタロットをもっと理解するためにも、ウエイト・ライダー版のさらに元祖であるマルセイユタロットのことも知っておきたい、と張り切りました。



そうはいってもですね~

 

実は私はタロットに関してはこれまでオーラソーマとは別のもの、と分けて考えた方がいいのではないか、と思っていたのですよ。

 

タロットにも興味はわくし、オーラソーマタロットという立派にタロットとオーラソーマのボトルたちは関連しているではないか、という実証済みのツールまであるというのに、それでも私は「タロットやっちゃうと占いになっちゃうじゃないの。」と思っていました。

 

だからタロットについてはあまり深入りしないようにしよう、と自らを戒めていたほどです(笑)



というのは、オーラソーマでは「答えはあなたの中にある」と言っているのに、タロットではタロティスト(タロットデッキを扱う人のこと)がもっとズバリと「う~ん、これは止めておきなさい、って出ていますよ。」とか預言するものだ、と思っていたからです。

 

それは「最良の教師は自分自身のなかにある」というヴィッキーさんの教えを汚すものじゃないか、とさえ思っていたのです。

 

実際、タロットにはズバリ預言するという側面もあるとは思うので、今も私は単独で「タロット占い」が出来るようになるためにタロットをもっと勉強しよう、というようには思ってはいません。

 

けれど、ボトルをより深く考察するための1フォローアイテムとして、タロットを使うということはこんなにも面白くて深いんだ、ということに今回は気付き、楽しい3日間を過ごしてまいりました。



今回もいろんなウロコを落としてまいりましたよ~

 

ウロコその1。

 

講座では冒頭に少しタロットの歴史を学んだのですが、それが意外に古くてびっくりしました。

 

私はてっきりルネッサンスとかかなり現代に近いところで生まれたものだと思い込んでいたのですが、一説には古代エジプトや古代ユダヤとする説まであるそうですね。

 

そんなとき、ツタコ先生が、

 

「私はタロットって、後世の人にこれだけは伝えたい、残したいって思ったメッセージだと思うの。」

 

とおっしゃいました。

 

そのとたん、私は1枚のウロコを落としたのです。

 




そっかあ~。

 

もし私が死んでなお、このことだけは後々の人類にも伝えておきたいものがある、と思ったとき、どうするか・・

 

目を閉じて考えてみました。

 

同じ国の人に発見されるかどうかわからない。

 

ということは、日本語が通じないわけだ。

 

となれば、やはり絵とか、触れた感覚とか、音ももし一緒に残せるようなら音も添えて、とか何かしら“イメージ”にするだろうな・・

 

そのなかでもやはり絵というビジュアルに訴えるものは一番インパクトがあると思う。



それから発見は何十年どころか、なん百年、なん千年あとになるかわからない・・

 

となれば、今の私の価値観としてはこれをどうしても残しておきたい、伝えたい、なんて思っているけれど、そのものズバリでは価値観が違う時代になっていることによって受け入れられないかもしれない。

 

そうしたらせっかくのものでも「何だ、古臭い。全然私たちにフィットしないわ。」と思われてしまうかもしれない。

 

だったらいっそ、抽象的にしておいて、後世の価値観、その人そのものの価値観のなかでそれを消化して受け取ってもらえばいい、というものとして残そうとするかなぁ。



・・・そんなことを考えたら、寓画というかたちで後世に残す、というのは確かにとても理にかなったやり方かも、と思えてきました。

 

しかもウロコその2でもありますが、タロットはカードを見て、その解釈を受け取る人に任せるというところがありますよね。

 

「私にはこの絵のなかでここが一番気になる。」とか、「この絵に描かれた婦人は母だと思う。」などというように、見た人がそう受け取るならそれでいいんだよ、何も否定するものじゃない、という姿勢。

 

実際に私は、タロットをもっと学ぼうかな~、どうしようかな~と思って「1日体験講座」にだけは参加したことがあるんですが(オーラソーマとは全く別に)、そのときにも先生が大アルカナの1枚ずつを手に取りながら、

 

「これを見て、何を感じる?」と生徒1人ひとりに聞いていき、生徒が何を答えても、

 

「うん。それもあるかもね。」とだけおっしゃったことに張り合いがない、というかがっくりきて習うまでには至らなかった、という経験があります。

 

だって・・・

 

どう受け取ってもいいのなら、習う必要ないじゃないですか。



あれが私はこれまでどうも腑に落ちなかったんですよ。

 

「そんなにもイメージを自由に受け取っていいなら、100人100通りってことになっちゃうわけで、タロットの解釈なんて成り立たなくなっちゃうじゃないか。」

 

と思ってたわけですね。

 

確かに例えば「戦車」というタロットカードなら、「戦車なのにそれを引いているのがスフィンクス(ウエイト版の場合)ということは、前に進まないじゃないか、と読み解くわけです。」とか、「稲は豊穣をあらわしています。」とか、そういうことは見た人のイメージにまかせることではありませんからね。

 

その兼ね合いがどうもしっくりこずに、

 

「だったら、このカードはこういう風に読み解くべし。」

 

ということだけを教わり、ヘタな自分なりの解釈なんて加えない方がいいんじゃないか、と思っていたわけです。

 

それはいくら「タロットカードを通して、読み手が感じたことは共時性だからそれでいいんだよ。」と言われても、です。



けれど、先述したようにタロットというもの自体のそもそもの存在意義が、後世の人たちにどうしても伝えたいことがあって残された先人の知恵だというならば、そしてそれは時代の流れや住んでいる国の文化、使う言葉に翻弄されるものでない普遍的なものとしてのメッセージだ、というのならば、ある程度抽象的なものを自分で咀嚼して自分なりに受け取ればいいではないか、と初めて思えたのです。

 

イメージのみを受け取り、そのときの自分と共鳴しあったものだけを浮かび上がらせる。

 

すると自分の中に潜んでいたものが浮かび上がってくる。

 

自分でも気づいていなかった自分の考えを表に取り出すことができる。

 

それはまさに、色を使って潜在意識やその可能性を浮かび上がらせるオーラソーマのボトルと同じではないか、と思いました。



これは大きな私の視点の転換でした。

 

私って、このようにたった一言の言葉にすごく反応して、「あ~! この言葉をいただけたことが何よりの今回の祝福だったわ~ 収穫だったわ~ もうこの一言だけで十分!」と満足してしまうところがあります。

 

ま、単純でゲンキンでそこが自分のいいところでもあるっちゃ、あるんですが、あまりにも即物的かしらん、と反省することも多いですがね。

 




明日は具体的に自分が選んだボトルからのコンサルテーションでどういうことが起こったのかをお話します。

 

 

 

 

 

 

 


 

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子どもは成長したいんだ

2014-05-27 09:05:00 | テレビ番組

 

1週間ほど前になりますが、テレビ番組で、チャウシェスク政権時代のルーマニアの子どもたちの惨状を目の当たりにしました。

 

もうこれまでにもさんざんチャウシェスクという人についても、その時代のルーマニアについても、そして政治の犠牲になった子どもたちについてもメディアでは取り上げられましたので今更なのでしょうが、私はこういった番組をちゃんと見たことがありませんでしたし、「そりゃあ、血も涙もないような独裁政治が行われていたら、国は疲弊し、民衆は犠牲になり、なかでも一番弱い子どもたちにそのしわ寄せが行ったことだろう。」ぐらいに思って、想像力が欠けていました。



しかし当時、テレビ朝日が独占潜入したという病院の子どもたちを見て絶句しました。

 

そこには人間ってこれほどまでにやせ細ってもまだ生きていられるのか・・・!というほどに骨と皮だけになった赤ちゃんたちのベッドが所せましと並べられていました。

 

彼らは小児エイズだというのです。

 

どうして小児エイズが蔓延することになったのか?

 




みなさんはとっくにご存じのことかもしれませんが、それはそもそもチャウシェスクが、国の借金を減らすために輸出だけは多くして外貨を獲得しようとし、輸入はほぼ0に制限したため、国のなかに物資が不足し国民は飢えているにもかかわらず、「1家庭最低5人は子どもを産むこと」と義務付け、人口を増やすことによって生産性をあげようとしたためです。

 

飢えているにもかかわらず子どもを産むことを強制され、生まれてきた子どもたちはやっぱり食べることができずにやせ細ったり、病気になったりしました。

 

そうしたら、なんとそういった赤ちゃんたちに栄養剤代わりに大人の血液を定期的に注射したというのです。

 

注射針を消毒もせず・・・

 

そのため小児エイズに罹った子どもたちばかりであふれかえることになってしまった、というわけです。



テレ朝のカメラは赤ちゃんがまさに亡くなったばかりのところも捉えていました。

 

「1週間に2,3人は死ぬわ。」

 

と、もう感覚もマヒしてしまったのでしょうか・・・

 

こともなげに言い、亡くなって死後硬直した赤ちゃんをまるで畑から獲れた大根のようにそのへんにドサッと投げ置くようにする看護師さん・・・

 

この子のお母さんはどうしているのだろう・・?

 

そもそも、「5人は産め」と言われたから義務を果たしただけで、生まれてからのその子のことなんか、どこでどうなっていようが知ったこっちゃない、ということだったのでしょうか・・

 

そこには命の尊厳はかけらもありませんでした。



気付かぬうちに私は涙を流していました。

 

動物のこととなるとすぐに涙を流すくせに、子どもにはたいてい心を動かされない私が、初めてかもしれない涙を流しました。

 

何が悲しかった、って・・・

 

映像の中にいた赤ちゃんたちはみな、正視できないほどミイラのようにやせ細っていましたが、それでも身体は成長しようとしているんだな、と見受けられてそのギャップに打ちのめされてしまったのでした。

 

その瞳の美しさ、伸びる髪、透明感のある、痩せていてもなおつやつやしている肌、爪など、そのどれもがただただ当たり前のように大きくなろうとしている、こういう状況下にあってもなお成長しようとしている・・・ 

 

そのことが辛くて辛くてしょうがありませんでした。



次の日。

 

私は夕食材料を買いにスーパーに行きました。

 

するとその出入口付近のところで、何やらいろんな表情の子どもたちの写真パネルを掲示しながら催し物をやっているスペースがありました。

 

「なにかな?」と思って、カートを押しながらのぞきこむようにすると、ポスターを持った若い女性と目が合ってしまいました。

 

「こんにちは! 『世界の医療団』ってご存知ないですか?」

 

とその女性はニコニコしながら尋ねました。

 

「さぁ・・? 『国境なき医師団』なら知ってるけどねぇ。」

 

と言うと、

 

「あ! それと同じ母体なんですよ!

 

『国境なき医師団』は緊急事態の支援に限定されているんですけれど、この『世界の医療団』は逆に現地の人たちが国境なき医師団が去ったあとでも自分たちである程度の治療や応急措置が続けられることを支援するものなんです。Photo

 

特に子どもたちの。」

 

とのこと。

 

ふぅん、それはいいな、と思いました。

 

もちろん、緊急の支援も必要なことはわかるけれど、現地の人が自分たちの力で生きていけるようにする地道なお手伝い、っていうのは何かそのときの私にはすごくフィットしたのでした。



前日に、あまりに悲惨な子どもたちを見たせいでしょうか。

 

チャウシェスク政権は崩壊したものの、もしあんな国がほかにも地球上のどこかには今も存在して苦しんでいる子どもたちがいるのかと思うと、そこに今日の分は何とかあるよ、みたいな食料支援をしたとてどうなるのだろう、と思ってしまい、無力感を抱いてしまったのでした。

 

そして私はこの「世界の医療団」に月々ほんのわずかですが寄付をしていくことにしました。

 




思えば、ずいぶん昔に「フォスター・ペアレント」をやっていたこともあったなぁ。

 

でも、会社を変わり「これからちょいと生活苦しくなるかもなぁ。いろんな生活費を見直そう。」と考えた時、まるで保険の見直しをするかのようにやめてしまったのでした。

 

あのときは、「私は子どもを産まないから・・」というまるで罪滅ぼしのような気持ちでしていました。

 




でも、今回は違う。

 

どうして子どもを支援しなくてはいけないのかという意義や、明日の地球は子どもたちが担っていくものではないか、その子どもたちを救わなくてどうする、とかそんな大義名分は相変わらず私の中には響かない。

 

けれど、昨日見た映像の、確実に死に向かっているなかでも成長を続けようとする肉体を持っているのなんて子どもだけじゃないか、ということだけが何か私をそうさせるのでした。

 

子どもはただただ成長したいんだ。

 

そこには理由なんてないんだ。

 

ただただ成長するのが子どもなんだ。

 

だったら、成長させてあげなくては、とそう思っただけです。



「これ、今日のお礼にどうか使ってやってください。」

 

と差し出されたかなりしっかりした帆布で作られたバッグ。Photo_2

 

「え、いいよ、いいよ。そのぶん、支援のほうに回してあげてください。」

 

と言うと、

 

「坪内さんもご存じなかったように、まだまだ『世界の医療団』は知られていないんです。だから私たち、いま、このマークをもっともっと広めようとしています。

 

是非、このバッグをいつも使うことによって坪内さんもこのマークを広めていく活動に参加くださいませんか?」

 

と言われました。



よく見ると・・・

 

なかなかカワイイマークでねぇの。

 

無垢と平和の象徴である鳩とオリーブがあしらわれたマーク。Photo_3

 

「わかりました。では、遠慮なくいただいていきます。」

 

と、ちょっと食品のお買いものにはサイズが小さいんですが、水分がつかないようなドライ食品だけこれに入れるようにして、今日も私はこのバッグを持って買い物に行くのです。

 






 

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