さて、昨日は自分が選んだ4本セレクションのボトルリーディングで、ボトルに対応したタロットの方から考えてみるということをほんの10分ほど行うだけでもすごく気付きがあった、ということを書いたのですが、きっと時間をもっと長くすればもっと掘り下げられることでしょう。
そして私は幸運なことに、そのさらに掘り下げる機会を与えられました。
先生がそのあと私が選んだボトルについてもう少し深く見てみよう、という題材として取り上げてくださったのです。
先生は、
「さぁ、じゃあ恵津子さんが一番パッと目に飛び込んだ、というオーラソーマタロットカードからもう1度見ていこうか。
1番目のタロットカードからはどんなことを感じる?」
私は、
「う~ん、この氷のなかにいてラッパを吹こうとしているのが私だ、っていう気がします。
そして外からノミでそれをかち割ろうとしてもらわないと私はここからいつまで経っても抜け出られないし、ラッパも吹けない・・・
全部割ってもらわなくてもいいから、少しどこかだけかち割ってくれれば、あとは内側からウムムって力を入れて割ることができると思う。
でも最初は外側からの刺激がほしい・・そんな感じ。」
と言いました。
不思議なものです。
何か具体的な事柄を思い浮かべて、わざとそれをオブラートでくるむように抽象的に言っているつもりはないんです。
ただただこの寓画を見ているとそんな気がしてくるだけなんです。
でもそれが何か自分の内側にあるものを象徴しているんでしょうねぇ。
私は何かを外側に向かって表現したい。
でも自分から殻に閉じこもってしまってそれができない。
それを打開するには何かしら、外側からの刺激がほしいと願っている・・
そんなことでしょうか。
そしてそれはこの絵を見なければ吐き出す機会はなかった、と思うとその共時性には目を見張るばかりです。
「そうなんだ・・」
それ以上、先生はとくに何か解説を加えようとはなさいませんでした。
「ほかには?
さっき、マルセイユタロットのほうのこの1番目のボトルの対応である『運命の輪』が気になる、恐い感じがする、って言ってたよね?」
と先生はおっしゃいました。
続けて先生は、
「どうして恐い感じがするんだろう?
ここには輪のなかに入っているわけではなく、その外側から見ている輩もいるというのにね。」
とおっしゃいました。
「・・・!!」
私はもう1度カードを見て、初めて気付きました。
そう、車輪ではなく、車輪の上の板の上に載っている悪魔みたいな猿みたいな奴は確かに車輪に巻き込まれているわけではない。
けれど私は全くそこには目がいかなかったのです!
別に絵がそこだけ小さいわけでもない。
むしろ真ん中に堂々と描かれているというのに!
それは私がこの車輪とそれに巻き込まれている(張り付いている?)者、というところしか見ていなかったからでしょう。
オーラソーマタロットでは「OUTWARD JOURNEY」と「RETURN JOURNEY」とのタロットが一対のようになっていて、この「運命の輪」の「RETURN JOURNEY」では確かにこのように、運命に翻弄されるがごとくの渦をもうすでに外側から眺めている人間がいます。
でもふつうのタロットでは「OUTWARD JOURNEY」や「RETURN JOURNEY」というカードがあるわけではない分、むしろ今回の私のように1枚のカードの中から何が気になった? 何をそこに見た? というのは面白いように思いました。
“見えた”“感じた”ものが今の自分とシンクロしている、という捉え方からその人自身を掘り下げていく地味な作業に加え、“見えなかった”“気付かなかった”ものに目を向け、実はそんな恩恵もあったんだ、と気付く作業もまた面白いものです。
私は「運命の輪」を恐れていたけれど、自分が見えていなかったものに目を向ければ何も恐れることなんてない、むしろ祝福されているんだ、ということに気付いたわけです。
「さて、そのほかに目を向けて気になる絵はある?」
そう言われて私が「これ」と指さしたのは、3番目のカードのアドバイスカードでした。
実は私が持っているこのカードはウエイト・ライダー版でもちょっと特殊な「ゴールデン・ライダー版」というものでゴールド部分のマットな色付けがいい雰囲気なのですが、絵としてはこちらの方がわかりやすいと思いますので、オーソドックスなウエイト版のタロットを掲示しておきます。
これを見て私は、
「私はこのおじいさんみたいな人。門の中で楽しそうにしている2人を見てなんだか穏やかでない気分。
犬も私に吠え付いている。
またこの子供がいや~な目で私を『誰なの? あんた?』みたいに見てる。」
と言いました。
「ふぅ~ん。この門は何なの? どうして恵津子さんはこの2人のように入っていけないの?」
「いや、これは私の屋敷の門で入っていけないはずはない。
でもなんだか無言の結界を敷かれているかのように入っていけない。
自分でためらっているだけなのかもしれないけれど・・」
「では、この子どもというのは誰?」
「世間一般の人たちのことかな。」
・・・と進めていくうちに、
「あ~、もうわかりました!」
と私は言っていました。
この子ども(今回の場合世間一般の人たち)がいや~な目で見ている、と思うのは私だけであってほかの人はこの子どもの目をそんな風には思わない。
でも勝手に私だけが、「え? そうじゃないの? 誰が見たって、これはいやらしい視線じゃないの?」と思っていたというわけです。
自分の我を貫き通すことが多いと思っていた私の性格だけれど、私と言う人間は(今回に限ってかもしれないけれど)意外にも世間体とかを気にしていた、というわけです。
それに対して心当たりがありました。
だからもう「ここで結構です。」と言ったのです。
プラクティショナーの方なら、経験がおありではないでしょうか。
自分ではまだまだリーディングが続くと思っていた矢先(まだ全てのボトルのことをお話ししてないじゃないの、なんてね。)、クライアントさんのほうが、
「あ~、そうか! わかった。もういいです。」
と唐突にセッションを強制終了のようにさせてしまう、というような経験が。
私にも、もちろんあります。
こうなると「え・・ ほんとにいいの?」と思ってしまうのですが、まだ自分が喋ろうと思っていたことをどうしても言っておかなくては、なんて思うのはプラクティショナーのエゴにすぎないのでしょうね。
今回私は自分がクライアント役をやってその感覚が初めてわかりました。
この、自分で気づいた、という感覚。
それに対してもう1ミリの隙間から漏れるしずくさえ入れたくない、って感じ。
逆に言えばそれを受け入れたら、まだまだ私はまた「え? そういうのもあり?」みたいに揺れてしまうあやうい状態ではある。
でも自分が「これでよし!」と得た感覚を信じたいので、そしてそれを家に帰ってから、明日からのなかでワインのように醸成させたいので、ここはもうこれ以上の言葉は不要です、っていう感じなんですね。
この感覚は私にはとても新鮮な体験でした。
あ~、面白かったわぁ、タロット!
っていうか、厳密にいうと、タロットというイメージ画から掘り下げる自分が。
もう1つだけ・・
おまけのように語りたいことがあるんですが、またまた長くなってしまいましたので、それは明日に取っておくことにいたしましょう。
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